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異聞録 ダミアン

愛しの婚約者、ミュリーからの手紙はいつも当たり障りのない季節の挨拶から始まり、当たり障りのない文言で締められる。それこそまるで教本のように美しい文面だ。こちらがどんなに熱烈に定例舞踏会に参加してほしい、美味しい菓子があるから城に来い、異国の音楽団が来ているから聴きに行こうと誘ってものらりくらりと躱される。


そんな彼女からの今回の手紙にはなんと、信頼出来る腕の良いアクセサリーの職人を知らないかという内容が含まれていた。

兄弟と海へ出掛けた際に見つけた魚の鱗でブレスレットを作りたいと言うが、王都には海はない。従って海のものを使った装飾品作りに優れた職人はいないのだ。


しかしそんなことは言えるはずない。かわいいかわいいミュリーに会えるチャンスがあるのだ。何があっても諦められない。


とりあえず、鱗がどんな状態かを見ないと分からないと謎の理屈で僕はルアシータ領へ出掛ける許可を得た。ミュリーは押しに弱い。最近はしていなかったが、このチャンスは逃せまいと思い、久しぶりに猛プッシュした。王族万歳だ。


そして今ミュリーの部屋で、ふたりきりの会話が成立している。


『御機嫌ようダミアン様、遠いところからわざわざ私などのためにありがとうございます。』

「いいんだよ、婚約者からの頼みだからね。」


そこかしこがいい匂いがする。ミュリーの匂いだ。

白を基調とし、ところどころにパステルカラーのアクセントを置いた統一感のある部屋はどちらかと言えば幼児趣味で、大人びたミュリーのイメージとは少し違うところもなかなか良い。こんな可愛い部屋で毎日を過ごすミュリーが可愛い。


僕のそんなおかしな思考に気づくはずもないミュリーは、ベロア生地が貼ってあるワインレッドの小箱を開けて見せた。そこには窓から入る陽の光を受けて煌めく、オレンジと青の小さな鱗があった。


『こちらですの。』

「…思ったよりも厚いんだね。手に取って見てもいいかな?」


ミュリーが頷いてくれた。僕はオレンジの方の鱗を手のひらにのせた。

3センチくらいのそれは魚の鱗とは少し違うように思えた。しかし自分は海に馴染みがなく、確信的なものはない。

ふと、これくらいのサイズであれば手作りも出来るような気がした。


「ガラスとか金属の土台に嵌めるのはどう?」

『素敵ですね。でも本当に失くしたくないんです。』

「なら懐中時計のようにドーム型のカバーを被せるとか…いっそガラス玉に入れ込むとか。」


ぱっと目を輝かせ、ミュリーは大きく頷いた。

不覚にもドキリとしてしまう。


『懐中時計!いいですね、あの形を鱗のサイズに合わせたらきっとすごく可愛いブレスレットになりそう!枠組みをガラスで作って、鱗を嵌め込んで…、ガラスならいざと言う時に割れるもの。』


愛おし気に青い方の鱗を手に取って人差し指で撫でる。

いざと言う時に割る心理はわからないが、まぁミュリーの力になれたのだからそんなことはどうでもいい。


「割る機会があるのなら、薄い正方形の箱型で蓋を開閉できる作りにした方がいいんじゃないかな?ロケットのように。」

『わぁ、それも素敵…!それなら角に金具をつけてダイヤの形で連ねたいですね!腕の良いガラス職人なら、この前街を視察した時に噂で聞きました。今からでもそちらへ相談へ行きましょうか!』


褒めてもらってここまで嬉しいなんて久しぶりだ。

将来結婚した後はこんな感じで2人でいろんなことを決めていくのだろうか。結婚式の準備に始まって、建てる屋敷の間取り、子供のこと…。今からとても楽しみで堪らない。


って…え?


「…僕も一緒に?」

『もちろんです!』


そんなことあるか?どういう風の吹き回し??今までどちらかと言えば避けられ続け、押しても押してもまるで僕が王族だから仕方なく というようにしか頷かなかったミュリーが?自分から僕を街へ誘った?


正直に言うと感涙で咽び泣きそうだ。しかしそれはぐっと堪えていつもの笑顔を作った。


「光栄だな、ありがとう。」

『……いつもお忙しいのに、私に付き合ってくださるなんて、ダミアン様はお優しい方ですね。』


上手く笑えていると思ったが、ミュリーから見るとそうでもなかったようだ。嫌々着いていくと言っていると思われたのかもしれない。

しかしここで弁明をしたとしても誤解が解けるかどうかはわからない。余計なことはしないに限る。


『テオ、案内してもらえるかしら?』


ミュリーが扉の方へ声をかけると、テオがいつものように色香ある仕草で入室してきた。

久しぶりに彼を見たが、改めて妖艶さに驚く。僕もいつかはこうなって、ミュリーを虜にしたいものだ。


「馬車は既に手配しております。今日のお嬢様のお召し物ですと人目を引きますので、お召し替えなさいましょうか。」


と言うと、テオは安っぽい生地のワンピースをクローゼットから取り出した。平民のようだが、やはり身を守るにはこれがいいのだろう。少し前にいつもの馬車で出かけたら山賊に襲われたと聞いている。金で買った情報故に口には出せないが。


「…今日はナナじゃないんだね?」

『ええ、最近は武術を学び直すからとよく留守にしていますの。ダミアン様はどうしましょう…、おろしたてのお兄様の服では気に触りますか?』


こて、と小さく首を傾げる仕草はあざといはずなのに微塵もわざとらしさを感じさせない。こういう言い方はよくないが、男の比護欲を掻き立てるのが上手いのがミュリーだ。


「いやいいよ、王家の紋の入った服を着ていると混乱を招きかねないからね。ありがたく使わせてもらおう。」

『よかった、かしこまりましたわ。テオ、こちらはひとりで着替えは出来ますのでダミアン様についていて差し上げて。馬車で落ち合いましょう。』

「それではダミアン様、ご案内致します。こちらへどうぞ。」

「あぁ。」


扉が閉まる前にちらとミュリーを見ると小さく手を振っていた。

気づかないかもしれないというのにわざわざそういうことをするからどうしようもなく可愛いと思えるのだ。




ガラス細工店はすぐに見つかった。最近ガラスのアクセサリーが巷で流行りらしく繁盛しているようだったが、1日に数を限定して販売しているらしく、訪ねた時には既にほぼ完売していた。

一般市民にすればガラス細工は決して安価ではないこともあり、オーダーしたいという話はすぐに通った。


理想の完成系を伝えると、小さいものであることもあり数時間後に出来上がるらしい。

ブレスレットのチェーンをつけるくらいなら子供にもでき、そのための道具も工房にあるらしく、金具類を自分で買ってきたら教えてくれるとのことで、僕たちは生まれてはじめておつかいに行くことになった。ちなみに問題が起きぬようテオが遠くから見守ってくれている。


そして今、ミュリーは大量のチェーンを前にうんうん唸りながら悩んでいた。

色も金具の輪っかのサイズも決まらず、もういっそ紐にしようかという話さえ出ていた。


買い物に来た平民と身なりは同じで街にも慣れた様子なのに、ひとつひとつの所作が美しい為とても人目を引く。あまり長居は宜しくないと思っていたが、買い物はかなり長引いてしまっている。


ミュリーは小さくため息をついて小箱の蓋を閉じて僕の方を向いた。小1時間こうしていたからか、久しぶりに真正面からミュリーの顔を見たが疲れ切っていた。


『時間がかかってしまって本当にごめんなさい、折角貰ったものだし最高のものに仕上げたいのですがどうしてもどれがいいのかわからなくて…。』

「構わないよ、迷っている顔もかわいくて退屈していないからね」

『ふふ、ダミアン様ったら冗談がお上手ですね。』


小箱をポシェットに仕舞うとミュリーは黒の革紐を2本と、ゴールドの平均的なチェーンを手に取った。

これにしますわ、と一声掛けると、僕の返事も待たずにレジカウンターへと持って行った。

…3つを組み合わせるのだろうか?僕はアクセサリーにはさほど詳しくないからよくわからないが、チェーンの中に革紐を通したアクセサリーなら見たことがある。


『お待たせ致しました、もうそろそろガラスケースも出来上がっている頃合いかもしれませんね。ダミアン様は何か見ていきたい物はありませんか?』

「いやないよ、工房へ戻ろうか。」


精算を終えたミュリーは本当に嬉しそうに笑うと、僕の右手を握った。右手を握った。右手を握った?

突然のことに驚くと、ミュリーが申し訳なさそうにして言い訳をするように言った。


『あの、人通りが多くなってきたので迷子にならないようにって思ったんですが…お嫌でしたか?』

「まさか。嬉しいよ。」


今日はなんていい日なんだろう。ミュリーと共に過ごせる時間が貴重すぎて驚くほど涙腺が緩まっている。

徒歩30秒の距離を 涙を堪え幸せを噛み締めながら進み、再びガラス細工の店に入ると、職人が木のトレーを持って奥の工房から店内に出てきたところだった。


『できましたか!?』


目を輝かせて駆け寄るミュリーに、職人は屈んでトレーに乗せたガラスのロケットを見せた。綺麗な正方形で、開けるのには少し手間取るがしっかり閉まる作りだ。


『嬉しい…、ありがとうございます、職人さん!

今から仕上げてきますので、ダミアン様とテオは外で待っていてください!』


後ろの僕とテオにそう言い放つと、ミュリーは案内されるがままに工房へと入っていった。少し寂しいと感じるのはわがままだろうか。未だ彼女の熱の残る右手を軽く握った。


「ダミアン様、それでは馬車の中で待ちましょうか。」

「あぁ。」


僕が頷くとテオは近くに止めた馬車に僕を案内し乗せて、自分は真正面に座った。訝しげに見てしまったようでテオはひとこと謝辞を述べた。


「…何か話があるのかな?」

「はい。ダミアン様、貴方のことで少し。」


僕のこと?と聞き返すと、テオは少し考えてから話を切り出した。


「昨日もお楽しみでしたね。ダミアン様は第1王子様と共に娼館へ足繁く通われてるでしょう?それをルアシータ家一同快く思っていないんですよ。」

「なっ…!?」


まったく覚悟していなかった話題だけに惨めなほど狼狽えた。大変な手間をかけて王族だと悟られぬようにして出掛けていた筈なのに何故…?

テオは僕とは対照的に淡々と話を続ける。


「別に自分はダミアン様が色狂いでも何でも、お嬢様が幸せならいいんです。ただ、最近は目に余るものがあります。御自身の誰にも言えない性癖を娼婦たちにぶつけるのはまぁ許しますが、それが許せないほどにあまりにも酷い。」


思い当たる節がありすぎる。僕は震えることしか出来なかった。


「ほら、将来お嬢様のことをつい、思わず、反射的に傷つけてしまう可能性がありますよね?お嬢様は虐げられたいなんて性癖は無い。むしろ気持ちが悪くなるくらいに甘やかして欲しがるひとだ。娼館通いをやめろとは言いません。自分で自分を制御できるようになってください。申し訳ございません、使用人の立場からは絶対に許されぬことを申しました。どんな罰でも受けましょう。」


じっとりと追い詰めるような口調、視線、行動。

それらを一身に受け、僕はどうしようもなく逃げたくなっていた。この化け物を罰せるほど強くはない。罰せれば自分が死ぬとさえ思えた。


「いや、大変参考になるよ。テオ、君はいつも妖艶な雰囲気を纏っているよね。どうしたらテオのようになれるんだい?」


震える声しか出ないが何か言い返したい。

確信なんてものはないが、こいつから見放されればミュリーとの縁談さえ破棄にされそうだ。

テオはくつくつと笑い、立ち上がった。


「さぁ、意識したことがありませんので。」


と言って扉を開けると、ミュリーが小走りでこちらへ向かってきているのが見えた。

ミュリーはテオの姿を確認すると、また嬉しそうにして駆けるスピードを上げた。テオは手本のように礼をしてみせる。


「おかえりなさいませ、お嬢様。」

『ただ今帰りましたわ!ふたりとも、お待たせしてしまって本当にごめんなさい。帰りましょうか!』

「お手をどうぞ。」


優雅に馬車に乗り込むと、ミュリーは僕を見て首をかしげた。

が、先程までテオの座っていた位置に座り、馬車が走り出すと漸く口を開いた。


『…今日は私のわがままに付き合って頂き、ありがとうございました。疲れてしまいましたか?』

「いや、僕は大丈夫だよ。ミュリーこそ疲れていない?眠たかったら肩を貸すけれど?」


僕の申し出はやんわりと断られ、そこでまた沈黙が訪れた。

ふと見ると、ミュリーは紙袋を2つ膝の上に乗せている。

彼女のことだ、兄弟にお土産をなんて考えていてもおかしくはない。


『あの…』

「うん?どうしたの?」


もじもじ落ち着きなく指先を弄ばせていたが、意を決したように勢いよく手前の紙袋を僕に差し出した。


『ダミアン様へです!』


脳がその言葉を10回リフレインさせ、僕はやっと理解をした。が、まったく理解出来ていない。訳が分からない。


とにかく差し出された紙袋を受け取り、中に入っていたものを手のひらに出した。

そこには小さな赤いガラス玉を通した黒い革紐が入っていた。


『髪留めです、今日のお礼に。ダミアン様はいつも髪を結んでいるので使えるかなって思って。あっ、ガラス玉に穴を開けたのは私なんです!形が変なのは私のせいでっ、ごめんなさい!』


慌てて一息で話すミュリーは、きっと僕が困っているとでも思っているのだろう。反応が薄いのは困っているからでも嫌だったからでもない、うれしすぎるせいだ。やっとのことで脳が全てを理解し、思わず顔が綻ぶ。


「…ありがとう、ミュリー。明日から毎日この髪留めを使うよ。」


比喩でも何でもなく、本当に明日から毎日つけようと思う。

ミュリーは照れたように笑った。


来年からは僕たちは学生だ。ミュリーの世界が一気に広がり、友人ができて、ミュリーに惚れる輩も現れるだろう。彼女をよく思わない輩も現れるかもしれない。そんな時に、僕がストッパーになれればいいと思う。

王族の婚約者なんて正直あまり良いものでは無い。しきたりに縛られ、世間の目に縛られ、自由無く生きていく。将来、そんな窮屈な思いをするミュリーの心の拠り所のなる思い出をたくさん作りたいものだ。


ミュリーにとっては何の変哲もない、僕と出かけたのは本当に些細なことで、いつも通りの何でもない日だったのだろうが、僕にとっては今後一生忘れられない日になるだろう。


世界でいちばん可愛い僕の婚約者さんは、西日に照らされて頬を赤く染めて僕を見ていた。

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