天国
「人間は死ねば必ず天界へ行くのだぞ?」
悪魔の放った言葉に遊は言葉を失う。その衝撃は強く、息をすることさえ忘れてしまう程だ。今まで信じていた事が、当たり前だと思っていた事が、嘘だと突きつけられれば当然だろう。
しかし、それを疑う事は無かった。悪魔の言葉は真実であると、妙に納得してしまっているのだ。だからこそ言葉が出ない。遊は気付いてしまったのだ……悪魔の言葉、"その先"に。
「そんな……嘘だろ…!ふざけんなよ!」
堪らず近くにある机を強く叩く。部屋に響いた無機質な音は、より一層怒りを助長させた。そんな些細な事にも苛立ちを覚えるほど、遊の頭に浮かぶ考えは酷く、酷く、酷く、酷い。
以前に見せられた光景がある。それは、悪魔の見せた"天使の所業"。腕を切り落とされ、腹を捌き、胸を抉り、頭を割られる。皮を剥がれ、傷を踏まれ、悲痛な叫びを嘲笑う天使。人間が必ず天界へ向かうならば、死後に待っているのは二度目の死。つまり、人間が死後天界へ向かった先は、惨たらしく凄惨なまでの惨劇……そんな事を遊は認めたくなかった。
しかし、いくら心で否定をしようと頭は現実に近い想像を突きつける。相反するそれらに体は引き裂かれてしまいそうだ。
気分が悪い。心で否定すればするほど想像は現実味を増し、理想を飲み込むかの様に悪心を引き起こす。悪循環が怒りと悪心を競りあげ、目の端から涙となって押し出される。遊は椅子に座ったまま、うずくまって小さな嗚咽を漏らした。
その反応を見て、悪魔がどう思ったかは想像に易いだろう。当初は驚き、その後は納得である。
天界へ行く事を知らなかったのには驚いたが、だからこそ日常や報道で見聞きする、人間の異常なまでの天使に対する扱いに合点がいった。そして、同時に過去に遊が言った言葉と、報道で流れていた要約された天使のルールに繋がりを見出だす。
「……人間。貴様は以前、地獄と言うものがあると言っていたな。」
「あ、あぁ……言った、けど…。」
「それは誰が最初に言い出した?」
「誰がって……そんなの分かるわけないだろ。」
「そうか、ならば考えろ。今の貴様ならば、答えを出す為の情報は揃っている。」
「…………それってまさか……いや…。」
考えなくとも、悪魔の発言で誰が言い出したかなどすぐに理解できた。遊の出した答えは"天使"。しかし、途中で言葉を切ったのは、その先を考えるため。
何故天使は地獄と言うものを広めたのか。そこに至る情報を持っているのならば、繋げない訳にはいかない。問題と回答は既に出ているが、悪魔の意図を察するに、最も大切なのは過程なのだ。それを出す事ができれば、更なる真実にたどり着けるだろう。遊は椅子の上で胡座をかき、俯きながら考えを巡らせる。
(どうして天使は地獄を広めたんだ?影響は?利点は?必要性は?マクアが言う俺の持っている情報ってのは、裏を返せば、マクアが人間界に来てから今までの範囲で得られる情報だ。だとしたらソースは何だ?テレビ?天使?それともマクアか?)
十五分程考えに没頭していた遊だったが、やがて一瞬体を震わせると、うつむいていた顔をゆっくりと上げた。その表情は驚きを隠せないでいる。信じられない物を見たような、信じられない真実にたどり着いたような顔……つまり、答えが出たのだ。
「まさか……いや、でも理に叶ってる。これなら嘘をつく事にもならないし…。くそ!俺たちは騙され続けていたのか…!」
天使の発したルールは、「天使を召喚した者は死後天国へ行くことを保証される。」である。これには一つ、不自然な点が存在する。それは……"天国"と言う単語だ。
後の天召における規則では、天国ではなく天界と記されており、思い返すも、天使は天界の事を天国と言った事は無かった。
勿論この事に関して人間側から疑問は出た。しかし、得られた天使の解答は"天界も天国も同じもの"、である。嘘のつけない天使がそう言ったのならばそれが全て。人々はそう考えそれ以上を求めなかった。
では、遊のたどり着いた考えは何だったのか。天国も天界も同じものならば分ける必要はない。その疑問を解消するのが、悪魔の見せた天使の所業。
天使が人間を解体していた場所は、まるで地獄の様であった。仮にあの場所が地獄であったとして、何故天使がいたのだろうか。それは、地獄も天界の一部だからだ。つまり、天界には地獄と呼ばれる場所と天国と呼ばれる場所が存在すると言うことだ。そして、地獄を広めたのが天使であるならば、対を為すものとして天国を広めたのも天使。そして、ここから先が悪魔の意図。質問の本質であり根本。天使が地獄を広めた理由とその影響。
その答えは、今の人間社会を考えれば簡単にたどり着いた。天使が絶対である天使主義社会、その原因の最たるものは測定不能な"恐怖"だ。天界へ行けなかった魂は何処へ行くのか、と言う恐怖がたどり着いた先は地獄である。冥界とも呼ばれるそこは、人々の空想が織り込まれ、編み込まれ、陰惨な空想的環境を造り上げた。天使が現れたことにより空想は現実味を増し、天使の顔色を窺い、助言と言う名の命令を聞く社会が生まれたのだ。それが天使の目的。地獄を広め人間を支配する事こそが。
だからこそ対を為す天国が必要となり、不利益な人間側の質問には答えられないのだ。
ここまで考えた遊だったが、答えが出ればまた新たな疑問が浮かぶ。今の段階では、悪魔が問う質問の根本には未だ至っていないのだ。一度悪魔に視線を向けると、悪魔はただジッと遊を見据えるだけで何も答えない。それだけで質問は続いている事を示唆していた。遊は再度腕を組んで考え込む。
(地獄を広めたのは天使で、目的は人間を意のままに操作するため……………待てよ、おかしいだろそれは!だったらいつから天使は人間界にいたんだ!?)
悪魔や地獄に関する資料は遥か昔から存在する。地獄を広めたのが天使であるならば、少なくとも資料の出現以前には居た事となるのだ。だとすれば何故、百二十年前に突如として現れたのだろうか。
「そこまででいいぞ人間。それ以上は出ない。」
新たな疑問に顔を強ばらせていた遊に対し、悪魔はそう声をかけて意識を思考の海から引き上げた。先程「情報は揃っている。」と言ったのに対し、ここにきて否定をされるとは思わなかった遊は、驚きと言うよりも拍子抜けと言った形で思考を遮られた。
「な、何だよ急に…。てか、簡単に俺の心読むのやめてくれない?」
「ふん、貴様の考えなど反応を見れば予想できる。」
「マジかよ。俺ってそんなに出やすいかな……まぁいいや。で、止めたって事は結局情報は揃ってなかったのか?」
「俺が求めたのは、貴様が今考えた質問に至る事だ。そこから先はその内話そう。」
「今は無理なのか?」
「そう、だな……俺にも少し心の準備と言うものが欲しい。」
「…………分かった。これ以上は詮索しないことにするよ。」
心の準備など言われたら流石に聞くに抵抗が起こる。好奇心が強かろうと、そこまでデリカシーは欠如していない。当初の内容から大分逸れてしまったが、これ以上詮索するにも、広げる訳にもいかずどうしようか参っていると、申し訳なさそうなノックが遊の部屋の扉から響く。
「遊くん?結夢ちゃんが来たけどどうしようか?」
ノックの主は栞だった。どうやら遊と悪魔は、話に夢中でインターホンに気付かなかった様だ。丁度話も切れ、その先も迷っていた為、遊は切り換えて結夢を迎えることにする。
「ありがとう。後は俺が対応するから、栞はリビングで寛いでてくれ。」
「ん、分かったよ。」
「おっす志神ぃ!休みも残り二日、最後まで楽しもうぜ!」
「お、おす……紫野月。元気だな、はは、は…。」
元気溌剌と言った様子の結夢。昨日の出来事で、身体的にも精神的にも疲れが溜まっている遊には、どうもついていけない。しかし、疲れているのを理由に無下にする事など出来ず、少し引き吊った笑顔で結夢を迎え入れる。
リビングへ案内すると、結夢の姿を見た栞は瞳を輝かせた。栞も昨日の出来事の当事者ではあったが、遊と悪魔の誤魔化しもあってかその負担は和らいでおり、少しの疑問を残してはいるものの特に気にしていない様子だ。
「おっす栞ぃ!一昨日は外でお泊まりで昨日は志神ん家でお泊まりなんて、実は付き合ってんじゃないのか?」
「結夢ちゃんおはよう。結夢ちゃんこそよく来てるみたいだし、遊くんと付き合ってるんじゃないの?」
「ち、ちちちち違わい!」
冗談に冗談で返しただけだったが、結夢は面白いくらいに狼狽する。しかし、栞がそんな冗談を吃る事なく口に出来たとは、遊としては驚く事だった。結夢の表裏の無い人柄は栞に大きな影響を与えたのだろうか。そんな考察をしながら、ふと、ある事に気付いた。
「紫野月。ハニエルは何処に行ったんだ?」
リビングを見回しても、そも、玄関で出迎えた時点でハニエルの姿は無かった。いつもならば、仏頂面をしながらも必ず近くにいる筈なのだが、今日は一向に出てくる様子がない。
「え、ハル?さっきまで私の隣にいた筈なんだけど……っていない。ん~今日は何か様子が変なんだよな…。」
「様子が?どんな風に?」
「とにかく志神の家に行きたがらなかったんだよ。ずーっと暗い様子だったし。」
「何でそんな事に………………あっ…。」
五十メートル以内にいるのは確かである筈だが、姿を隠す理由などあるだろうか……と、そこまで考えて昨日の出来事が原因だと理解する。ハニエルが直接関わらずとも、天使が人間に対して危害を加えた。その事実だけで十分なのだ。
勿論ハニエル関連の事で、遊の反応を流す結夢ではない。しかし、その顔は悪鬼の如く恐ろしい。何故ならば『遊の家に行きたくない。』、『ずっと暗い様子。』、この情報により結夢の中で勝手に結論付けた理由は、"遊がハニエルに酷いことをした"からである。
「志神ぃ……どうやら心当たりがある様だな…?ここから先の言葉には気を付けろ。さもなくば、お前の命は今日終わる。」
「え!?何で!?」
「ハルに元気が無いのは、志神が何かしたからじゃないのかぁ!?」
「いや、俺は何かしたと言うよりは寧ろされた側だな。」
「はっ!?された!?されたって何を!?あんな事やこんな事やそんな事をか!?」
「まぁ、と言ってもハニエルはただ後ろめたいだけだよ。あんなに激しく(天使から攻撃)されたからな。」
「は、ははは激しく!?そそそ、それそれそれって、Aなのか!?Bなのか!?Cなのかぁ!?」
「悪いけど紫野月には話せない。これは俺とハニエルの問題なんだ。」
「Gだとおおおぉぉぉぉ!!!?」
「おわぁ!?紫野月!?」
バターン!ブクブク…。結夢は極度の勘違いによって、その場に泡を吹いて倒れた。当然遊は、急に結夢が倒れたようにしか見えず、慌てて駆け寄る。色恋には疎い栞も遊と同じ様に見えており、結夢は手厚く介抱される事となった。
この場に凛華がいなかったのは、不幸中の"超"幸いだっただろう。誰にとって、とは言わずもがな。
「あれ、私…。」
気が付けばリビングのソファーの上。天井を見上げて目を覚ました結夢の耳に、心底呆れた様子の声が届く。
「起きましたか結夢?全く貴女は…急に倒れるなど、どうしてこうも落ち着きが無いのですか…。」
「その声は──ハルぅ!!!」
起き上がると同時にハニエルへ抱き付く……事は予知されていたのか、ハニエルは裕に包容を躱し、結夢との安全距離三メートルをとる。そして、押し倒す勢いで向かった体は空を切ったことによりバランスを崩し、結夢は床に顔から突っ込んだ。
「ぶべら!」
リビングに響く容赦無い衝撃音。まさか、受け身もとれず無防備なまま顔面に衝撃を受けるとは思わず、距離を取っていたハニエルは慌てて駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか結夢!?」
「い、いひゃい…。」
鼻を押さえて涙目の結夢。近くに目標のハニエルがいるが、包容する余裕はないらしい。
衝撃音は相当大きかったのか、二階に待機していた遊がドタドタと音を立てながらリビングへと飛び込んできた。その後に栞、悪魔と続き、家にいる者全てがリビングに集結した。
「何だ何だ?今すごい音がしたぞ?」
「ハルさん、結夢ちゃん、大丈夫?」
「騒がしいな。何事だ。」
「すみません。結夢がバランスを崩して顔を打ったようです。」
「お騒がせしまひた…。」
遊は台所からタオルを引っ張り出し、それを冷水に浸けて結夢へ渡す。結夢の鼻の痺れが治まるまで、結夢の羞恥が落ち着くまで、他四名は特に会話をするでもなくリビングで待つ。誰一人として心配の言葉は掛けない。そんな事をすれば、結夢の羞恥心に尚更追い討ちをかける事になるからだ。これは、結夢の心情を知る全員からの小さな優しさだった。
結局は結夢の早とちり、自業自得自滅であるが、そこに口を出す者もここにはいない。
「さて、紫野月も落ち着いたところで丁度いい時間だ。昼飯にするか。」
時刻は十一時を指している。今から準備を行えば、十二時には昼食を取る事が出来るだろう。遊は立ち上がりキッチンへ向かう。すると、突如走りだし、遊の前へ立ちはだかる者が二名。
「ここは私とハルに──」
「任せてください!」
その者の正体は結夢とハニエルだった。示し会わせたかの様に、背中合わせで腕を組んでいる。その顔は自信に満ち、「任せてください」と言った割りには「任せろ!」と聞こえる程の眼差しだ。
余りに唐突な発言に、遊は唖然と固まってしまう。結夢とハニエルが任せろと言っているのは、勿論料理の事である。それを理解するまで十秒を要した。しかし、その事に関して遊としては問題無い。面食らった状態ながらも、どうにか返事を返す。
「え、あ……あぁ、よろし──」
「ダメだ人間!!!」
「っ!?」
大声を出して影が一つ、遊と結夢たちの間に割り込んだ。その者は、二名の料理技術を知っている者。明らかな失敗を予知した者。そう、悪魔だ。
悪魔は覚えていた。ザドキエルとの一件、テーブルに並べられた暗黒物質を。悪魔を突き動かすは後悔。二度と、二度とあんな悲劇を産み出してはならないのだ。物理的に。
「ど、どうしたんだよマクア……急に大声出して。」
「奴等に料理をさせてはならん!最低でも五名の死者が出るぞ!」
「全滅すんの!?」
ツッコミながらも、冗談など微塵も無い悪魔の剣幕に、遊は結夢とハニエルの料理の腕前が底辺である事を悟った。汗を垂らしながら二名へ視線を向けると、何故かそこに邪悪な気配を犇々と感じる。
しかし、そんな事を言われて黙っている二名ではない。そも、止められることは想定内だったのだろう。またも示し会わせた様に正面を向き、対称に人差し指をたてる。
「なめてもらっちゃあ困るぜマクア。」
「あれから私たちも練習したんです。」
「……練習?」
「あぁ。だからここは任せてくれよ……な?」
「私たちは真剣に事に臨みます。志神遊、どうかチャンスをいただけませんか?」
態度一変。急にしおらしく言われた遊は反応に吃るが、先程のおふざけは何処へやら、二名の目差しは真剣そのもの。それを無下にすることなど出来ないし、したくない。
「ん、まぁ……そうだな。ハニエルが練習したって言うんだったら信じよう。まだ不安はあるけど折角だもんな。」
そう言った途端、結夢とハニエルに笑顔が咲く。二名は礼を口にすると、意気揚々とキッチンへと姿を消した。料理を許可しただけでここまで喜ばれるとは、以外ながらも少し嬉しくもある。
どんなものが出てこようと食べよう。そして、感想を言ってあげよう。そう心に決めた遊は、料理が出来上がるまでの時間を首を長くして待つことにした。
「さぁやるかハル!」
「そうですね結夢!」
「「クッキング・トイで練習した成果を見せてやる!!!」」
さてさて、(主に遊の胃袋は)どうなることやら…。




