結夢─出会い
「ヤベー!遅刻する!遅刻する!」
四月も終わりに差し掛かり、春と言う季節も様になった頃。年度が明け、皆に穏やかさ、落ち着きを与える時期。
それを台無しにするような台詞が、ある民家から響き渡った。
「結夢~?忘れ物は大丈夫~?」
「オッケー!オッケー!問題なし!……んじゃ、行ってきます!」
元気よく家を飛び出したのは、赤い短髪に寝癖をつけた、つり目の女性徒──紫野月 結夢。
スタートダッシュからトップに乗り、ぐんぐんと足を早めていく。結夢が急いでいるのは、学校や習い事では無い。
今日は4月28日……結夢の誕生日であり、そして──天召を行う日でもあるからだ。
街中にある一際大きな西洋風の建物。目的地であり天召の会場。その入り口で、結夢は膝に手をつき、肩で息をしていた。
「はぁ…はぁ…はぁ……遅刻した~…。」
あれだけ走ったが結局、結局間に合わせる事は出来なかったのだ。遅刻したから天召はできません……等とはならないが、相手側が迷惑を被る事に、酷く申し訳無くなってくる。
後ろめたい気持ちで一杯だが、敷居が高いのをグッと堪え、結夢は入り口の扉に手を掛けた。
「お邪魔し──」
「何だあの天使は!?」
「彼は何処へ行った!分からない?早く探せ!」
「こちらの情報には全く無い天使だと!?何としてでも捕まえてこい!」
「おい!他の天召者はどうなっている!?」
入った途端怒号が飛び交うフロント。皆が皆、鬼気迫る形相で右往左往している。
「……………………。」
何も言わずに扉を閉めた。
明らかに取り込み中な上、誰もが鬼の形相なのだ。正直言って怖い。
「鬼気迫る状況の中、皆が鬼の形相……つまり、誰もが鬼に恐怖しながら誰もが鬼と成っている。本当の敵は自分って事だな~うんうん。」
空を見上げて現実逃避。今日は雲一つ無い快晴の為、空の青は等しく結夢の瞳に映り込む。
あぁ……もう帰ろっかな?そんな考えが頭を過る。すると、ぼんやりと見ていた空に、黒い影が現れた。
建物の屋上から飛び出したであろう影は、大きさ的に人の様にも見てとれるが、羽が生えている様にも見える。まるで、謎の生き物が人間を運んでいるかの様だ。
「うぎゃあああぁぁー!」
「!?」
影の後に大きな悲鳴。それは恐らく、影から発せられたものだろう。
結夢は慌ててその影を目で追った。距離もある上、太陽の光もある。目を細めて、影を鮮明に捉えようと集中する。
「ぎゃああああー!!!」
先程よりも一際大きな悲鳴が上がったかと思うと、影は物凄いスピードで、結夢の視界から外れてしまった。
しかし一瞬。ほんの一瞬だけその正体を捉えた。
暈けてはいたが、影の中の人物には心当たりがある。見慣れた服装だったからだろう。それだけでなく、今日に天召を行う人物であると言う事も、一役買っていた。
「まさか…………志神、か…?」
「ごめんね~?ちょっとバタついちゃってさ。」
「い、いえ!私も遅れてしまってすみません。」
相手の言葉に、結夢は慌てて頭を下げる。今居る場所はフロントのロビー。
遊が飛び去った(結夢には連れ去られた様にも見えた)のを確認した後、流石に帰るわけにもいかず、十分ほど悶々とした挙げ句、出てきた役員に招き入れられたのだ。
情けない。人知れず心の中で、よよと涙を流す。
「早速だけど天召に入ろう。」
「あ、はい!」
場所の案内を受け、結夢は天召会場へと足を運ぶことにした。
蝋燭の淡い光が照らす部屋。謎の文字で書かれた魔方陣の上に、結夢は緊張の面持ちで立っていた。
その部屋に結夢以外の人間はいない。本来ならば監督役が置かれるのだが、魔方陣に異常の無い事を確認すると、結夢に針を手渡して出ていってしまった。しかし、その原因が遊であることは想像に難くない。
役員に渡された針で、自身の指を軽く刺す。そこから垂れた血は、足元の魔方陣に落ちると、渇いた土に水を与えるかの如く吸い込まれていく。
瞬間、魔方陣は目映い光を放ち、明滅し始めた。それと同時に風が起こり、辺りには安らぎを与える美しい音が響く。
(あぁ……なんて心地が良いんだ…。)
目を瞑る。まるで、自分が雲の上に乗っている様な、柔らかい何かに包まれている様な感覚だ。このまま安らぎに身を預けてしまいたい。しかし、瞼の裏に浮かぶ情景を堪能する時間は、そう長くは続かなかった。
辺りを包む美しい音色は一転し、結夢を現実へと引き戻した。ただし、音が雑音に変わったわけではない。例えるならば、標題音楽から絶対音楽へ変わった感覚だろうか。
音色が一転したのを皮切りに、風は強く、光は淡く変化する。そして、全てのタイミングがカチリと合わさった瞬間。音は、風は、光は一際強く反応し、部屋全体を覆った。
「う、眩しい…!」
結夢は堪らず手で目を庇う。しかし、先程の反応が終わりの合図だったのか、それ以上音が流れることも、風が起こることも、光が点灯することも無かった。
恐る恐る庇っていた手を外す。足元の魔方陣は消え、その代わり、結夢の目の前には、慈愛に満ちた笑みを浮かべた天使が、羽を広げ立っていた。
「……初めまして、私の名はハニエル。美と愛を司る優美の天使。貴女の名前は?」
「……………………。」
結夢は何も答えない。口をだらしなく開けて固まっているのだ。しかし、ハニエルは気にした様子もなく、変わらず柔らかな笑顔を浮かべている。
「ふふふ、驚くのも無理はありません。そうだ。一度深呼吸をしてみてはどうでしょう?」
「……………………。」
「それが難しいのなら、状況を整理することです。貴女は天召を行った。その為私が目の前にいる。おかしな事などありませんよ。」
「……………………。」
「天召の権利を得た、勤勉で聡明な貴女なら、直ぐに理解が可能な筈です。だから落ち着いて、そしてお話をしましょう?」
「……………………。」
「あ、え……えと…。」
どれだけ話しかけようとも微動だにしない結夢に、ハニエル堪らず言葉に詰まってしまった。浮かべていた笑みも苦笑いに変わっている。
「あの~?だ、大丈夫ですか?」
自身のイメージした、優雅なる天使の皮を脱ぎ捨て、思わず素で聞いてしまった。トテトテと結夢に近づき、顔を覗かせる。
「……か、かかか…。」
それが項を奏したのか、はたまた偶然か、結夢の目には光が戻り口を動かした。しかし、発したのは言葉ではなく只の声。壊れたテープレコーダーの様に、同じ発音を繰り返しているだけだ。
端から見れば、それは黙っているよりも異常な状態に映るだろう。ハニエルから完全に笑みが消え、変わりに、今にも泣きそうな表情が伺えた。自分が原因なのだろうか?自分が何かしてしまったのだろうか?そんな心配が頭を駆け巡る。
「あわわわ、どうしましょう…どうしましょう。あ、あの──」
「可っ愛いぃぃぃ!!!」
「んにゅ!?」
突如結夢はハニエルに飛び付いた。華奢で小さな体躯は、衝撃を受け止めきれず、変な声を漏らして巻き込まれた。
「あははは~。可愛いなぁ可愛いなぁ!ハニエルか~じゃあ呼び方はハルだなぁ。ハル~。ハル~。」
なでなで、すりすり、べたべたと。そんな擬音が聞こえてくるような激しい愛撫。
突然の出来事。突飛な行動。ハニエルの思考回路はショートしてしまい、まさに、されるがままである。そんなハニエルの呪縛が解けたのは、結夢が唇を奪おうとしたその時だった。
「わわわわぁ!な、何をするのですか!?」
「ん~?キスしようとしただけだぜ?」
あっけらかんと、事も無げ。またもハニエルの思考回路はショートし掛かったが、不屈の精神力で無理矢理繋ぎ止めた。
ハニエルは自身に起こった事を整理し、結夢を叱りつける。
「貴女は何をしているのですか!私は天使!貴女は人間!もう少し礼儀や敬い、距離感を持って然るべきです!」
「えぇ~?いーじゃんかよぉ。私とハルは言わばパートナーだろ?こんな事で怒ってたら身が持たないぜ?」
「自分で言わないで下さい!……はぁ頭が痛くなってきました…。」
軽く涙目になっているハニエル。天使に対して、ここまで友好的な人間は珍しい。寧ろ、全世界で結夢だけかもしれない。それ程までに天使の存在は崇高なものなのだ。
「もういいです、行きましょう。確か私達を呼び出したら手続きがあるのですよね?」
「おぉそうだ。さっと済ませるかな。」
天召を行った後、召喚者と天使は直筆でサインをしなければならない。滞りなく、偽りなく天召が終了した事を報告するためだ。
「んじゃ、行きますか。」
そう言うと、唐突に結夢はハニエルを抱き上げ、そのまま出口へ向かおうとする。
「こ、こら!何をしているのですか!離しなさい!」
「まぁまぁ遠慮すんなって。」
「遠慮ではありません!早く離しな──!」
言葉の途中で、ハニエルは急に黙り込んだ。バタつかせていた手足もピタリと動きを止め、全くの無抵抗となったのだ。それを諦めと受け取った結夢は、揚々と歩き出す。
頭に直接声が響く。それは、天界からの伝令。その役割を勤めるガブリエルからの交信。
『ハニエルへ指令を言い渡す。天召にて悪魔が出現。召喚者は志神 遊。紫野月 結夢のクラスメイトである。今はラグエルが交戦しているが、失敗した場合、貴女が早急に"排除"せよ。能力の行使は厭わない。繰り返す。ラグエルが失敗した場合、貴女が早急に排除せよ。能力の行使は厭わない。』




