〜咎を持って生まれた者⑨〜
「……遅い」
二ツ月が輝かしく寄り添いながら浮かぶ漆黒の夜空の下、ボソッと文句を呟いたシエルはバルコニーで一人きりだった。
手にはワインを並々と注がれたグラスを持ち、頬を少し赤らめながらも、その表情は楽しそうにしてはいない。
その理由は、舞踏会が始まった直後から待っている待ち人が未だ現われない事に起因する。
(何やってるのよリーリアは! 大体男が女の子を待たせるって普通は有り得ないでしょ!!)
頭の中で怒りゲージを溜めまくりながら、でも――と思う。
(あいつは……普通じゃ、ないのよね)
竜の咎人――話を聞いた事は、ある。
しかし実物を今まで見た事はなく、また視線が合えば両の眼を抉られてしまうと、子供の頃に聞かされた事もある。
つまり、普通に暮らす者からすれば、それほどに咎人は希薄で、ともすれば子供の寝かし付けに話される御話の中の役のように、存在を否定された者達なのかもしれない。
だが、シエルはその目で確かに見た。
緋黒色の骨を、黒と赤に染まった、眼光鋭い瞳を。
(……今まであいつは、どんな生活をしてたんだろう?)
時折見せる、哀しげな笑み。
愛想笑いとも造り笑いとも違い、一見判別難しいものであるが、シエルは、気付く。
あの笑みは、心を枯らした果てに手に入れた、今の彼の全てなのだと。
ネガティブ発言だって、しっかり、がっちり、心の奥底に根を張った哀しさがさせているのだと、思う。
(でも……なら、あの涙は)
枯れたはずの彼から流れた、一筋の涙。
それはつまり、まだ彼の心に枯れを潤す事ができる、何かがあるという事。
心を震わす、何かがあるという事。
(私だったら、いいなぁ――っ!?)
思ってすぐに頭を振る。
一体全体何を考えてるのだと慌てるシエル、しかし心に浮かんだ無意識のそれは、確かに、静かに、緩やかに。
微かに緩んだ彼女の扉を、心の扉を、開けていくはず。
(早く、来ないかな……)
楽しむ生徒達を見ながらシエルは、一人を待ち続けた――
「まだ来ない」
「……言わないでも分かると思うけど、あんたとは踊らせないわよ」
バルコニーへ来て話しかけてきたエルラにそう言うと、シエルは外を見やりながらワインを飲む。
感情の起伏の見えない表情でそれを聞き、エルラもシエルの隣りでグラスを傾ける。
目を凝らさなければ分からない程ではあるがエルラの頬も赤らんでおり、注がれたシャンパンは弾ける音を奏でていた。
エルラは濃いブルーのドレスを身に纏い、豪奢な刺繍を施されたシルクの手袋をはめている。
胸元に開いた穴は少女の未熟な谷間を垣間見せ、碧い、未熟な蕾は、それでも女性の魅力を充分に醸し出していた。
「あなたと、ロンが抱き合ってた時」
「ぶばっ!?」
唐突にそんな事を言ってきたので思わずシエルはワインを噴き出してしまい、恥ずかしさが相乗で倍増しながら、顔を真っ赤にしてエルラを見る。
「いいいきなり何言って――」
「私は、嫌な気持ちだった」
文句をつけようとし――出来なかった。
それほどエルラは真剣で、純真に、言葉を紡いでいた。
一人の少年への気持ちを。
――そして、最大のライバルへと。
「ロンの事、私は、絶対諦めない」
指を指されシエルは少しだけ、たじろいだ。
エルラはそれを見て、微かにだが小さく、微笑む。
「私は宣言した。あなたは、どうするの?」
問いに答える声は一拍を置き、不敵に笑う。
「私の使い魔は私のよ。あんたにくれてやる気は、更々無いわ」
共に、見つめ、睨み、笑い合う。
友達ではなく、仲間ではなく、敵でもない。
『ライバル』という奇妙な糸で結ばれた二人の少女達が、心に浮かべるのは一人の少年。
「やあやあ、こんな隅っこに可憐な花を二つも見つけるなんて、僕はもしかしたら世界一の幸運な男かもしれないね。お嬢様達? 宜しければ憐れな薔薇使いと踊ってはくれませんか?」
先程から声をかけてきているベルはまったく無視され、それでもめげず歯の浮くようなセリフを連発していた時――
「おぉー!!」
「あれって誰?」
「格好いい人……」
「……ごっくん」
ホールから一際大きなどよめきが上がる。
それを聞きシエルとエルラは顔を見合わせ、小さく笑い合うとバルコニーを後にする。
「――あっ、そうそう」
薔薇を持ったまま、自分の誘いを断られたショックで固まっているベルへ、桃色の髪の少女と水色の髪の少女は言ってあげた。
「あんたじゃ私達には釣り合わないわよ」
「釣り合うのは、彼だけ」
笑って言う二人の視線の先に、共に心に浮かべた少年はいるはず――
「シ~エルちゃ~ん!!」
どよめきの中心へ行っている途中、幾人もの男子達に囲まれた、リーリアがとびきりの笑顔で手を振ってきた。
だがそれに一瞥もくれないシエル、気付いてないのかと更に手を振るリーリア。
そして――
「はっ! まままさか!?」
気付いた事実はあまりに酷く、思わずリーリアは自分を取り囲む男子達に火魔法で八つ当たりした。
まぁ、それでも彼等は『もっと! もっと下さい!!』などと言って喜ぶのだが。
二人がやっと中心地点へと行くと、多くの人で出来上がった囲いのせいで髪しか見えないが、中心人物は少女達から質問やダンスの誘いを掛けられまくっているようであった。
何とか目の前の太った男の子と太った女の子の分厚い壁を破って囲いの中へ入る。
視界の端に桃色と水色の髪でも映ったのだろう、中心人物はこちらを向いて救われたような顔をする。
「シエルさん! エルラさん!」
いつもと同じ喋り方の彼は、しかしいつもと違う外見で、シエルとエルラの心を高鳴らせた。
最初、シエルがロンを見た時、彼女は彼をこう思った。
平民の中でも貧相と位置付けされるような奴――と。
しかし今、目の前に立つのは、華を持った眉目秀麗の、あの時の少年。
ボロボロの服を着て、ボーボーな前髪で目が隠れて、でも鋭い視線は隠れきれていなかった、ロン本人。
整髪剤で後ろへ整えられた髪。
数本だけ前に垂れているのも、野暮ったさはなく洗練された髪型のように見える。
パリッと糊のきいたタキシードを少しばかり着崩し、開けられたシャツの胸元から見える肌は白い陶器を思わせる。
僅かに筋肉の付いた身体は、優男のベルとは違いロンを頼もしく感じさせた。
鼻腔をくすぐる匂いは、花の蜜のように微かに香るもの。
多分リーリアの趣味なのであろうが、今の彼にはよく合っていた。
鋭い目付きを隠す為か、はたまたリーリアの趣味かは分からないが、ロンはモノクルを身に着けていた。
似合っていたが、しかし――
「ど、どうしたんです二人共? さっきから急に黙り込んで……やっぱり、似合いませんか?」
鋭い瞳がそう言って笑う度に、モノクルがロンの魅力を倍増させている。
似合っているのだ、しかし――似合いすぎているのだ。
「……モノクルは反則よ」
「……うん」




