〜咎を持って生まれた者⑤〜
「…………」
「…………」
その部屋には、重苦しい雰囲気が漂っていた。
ジッとしてベッドに座り動かない少女、先程持ち込まれた二人掛け用の小さなソファに寝そべり、額にタオルを置かれた少年。
と、寝そべっている少年がタオルを外して起き上がろうとした。
「ッ駄目! まだ寝てなさい!!」
途端に飛ぶ大声と小さな体躯によって押さえ付けられ、少年は起き上がる事を許されない。
「も、もう大丈夫ですよ……というかタオルはあんまり意味がないような」
「しし仕方ないじゃない! 看病とかした事ないんだから!!」
頬を染め言う少女に少年は苦笑し、とりあえず寝たままでタオルも被っておく事にする。
「……ねえ」
「何ですか?」
萎れたような少女の声。
少し言い淀み、静かに話し出す。
「あんたは、本当に私に守る価値が、その……」
「――ありますよ。だって、僕なんかの心配してくれたじゃないですか。だからこそ、来て、怒ってくれたんですよね?」
「……別に心配とかじゃないわよ。ただメサイア家の者として、貴族として、下の者を思うのは当たり前の事」
だから別に、心配はしてない――そう言って見てくれる瞳は、しかし不安の色を覗かせる。
「それでも、いいんです……僕が守りたいって思えた人なんだから、どう思ってくれていても」
自分の『正体』がバレるまでは、まだ、優しいこの人の近くにいられる。
バレたらきっと、彼女も今までの人と同じ目を向けるだろう……いつもの事である。
でも離れられないのは、自分がまだ、誰かと関わっていたいから――
「ま、まぁ下手に怪我をされても気分が悪いしね! ただ……まさかあのエルラが加勢するなんてね」
そして訝しむような視線を少年に向ける。
「……何であの変人があんたを助けに来たの? 何? もしかして何かあった?」
更に睨むように視線を飛ばす少女。
タオルをずらしその視線を受け止めるとなぜか悪寒がし、ピリピリとした雰囲気がする。
「な、なんで怒ってるんですか?」
「べべ別に怒ってないわよ!? 変な勘違いしないでよ!!」
慌てたように声を荒げる少女。
それを見て首を傾げてしまう少年、と、ちょうどその時扉を叩く音がした。
「私だけど」
その声に少女は驚き、すぐさま顔をしかめっ面にした――
「…………」
「…………」
「…………」
その部屋は、更に重苦しくなっていた。
三人の前に置かれたお茶はしかし誰も手を出さず、シエルはエルラを睨みつけ、エルラはロンを見、ロンは居心地悪そうに下を向く。
そして、遂に一人が口を開いた。
「私、ロンの事が好きかもしれない」
――――――は?
たっぷり数秒の間を置き、シエルとロンはそんな顔をした。
だがエルラは気にする事なく、更に言葉を続ける。
「ロンの事をもっと知りたいと思う。これは、多分、好きっていう感情なはず」
恋する乙女にしては淡々と喋るエルラであるが、しかしその目に冗談の色はない。
というか冗談とかを言わなそうであるが。
「広場で助けたのはその為。だから、お礼はデートにする」
とんとん拍子に進んでいくエルラの話であったが、やっとシエルが思考を取り戻したようにハッとし勢いよく立ち上がる。
「人の部屋にいきなり来て、いきなり何言ってるのよあんたは!? 大体お礼がデートって……性格最悪ね、エルラ!!」
指差し名指しで言い放ったシエルだったがエルラの表情はまったく変わらず、おもむろに小脇に抱えていた袋をシエルに差し出した。
「な、何よこれは?」
「私、姑とは仲良くしておきたいの。つまらない物だけど受け取って下さい、お母さん」
どこまで本気か分からない事を言いながらも目が本気っぽいエルラ。
お母さんと言われ、シエルの額に青筋がくっきりと浮かぶ。
「だ……だ……」
噴火する寸前の山のようだ、とロンが戦戦恐恐していた――瞬間。
彼の人ではない部分が、人より優れた感覚が『ソレ』を察知した。
凄まじい速さでインクリス魔法学院に近付いてくる『ソレ』は、狂ったような感情を蠢かせ、泣きながら、喚きながら、命を削りながら向かってくるよう。
今まで感じた事のないくらい、嫌な感じがロンの全身を舐め上げた。
「っ誰がお母さん――きゃっ!?」
唐突にロンが立ち上がったのでシエルはセリフを途中までしか言えず、ついでに驚いた声を上げる。
何なのよ――と怒ろうとしたのだが、ロンの顔が険しい事に気付き、どうしたのかと訝しむ。
「……シエルさん、エルラさん。この学院で一番安全な場所ってどこですか?」
「突然何よ?」
「……西の塔にある、魔法石で造り上げた地下倉庫の、はず」
「少しの間だけ、そこにいて下さい。あと、出来れば他の人に外に出ないように言って下さい」
無言で窓へ近付くロンに、シエルは問いただそうとした。
が、その時、気付いてしまった。
彼の背中からまた哀しさが滲み出しているのを。
「エルラさん、少しの間だけレイの事借りてもいいですか?」
それにエルラは答えず、指笛を短く吹いた。
すると窓側から羽ばたく音が聞こえ、ロンが開けると風が部屋へなだれ込む。
「――――っ」
荒れ狂うような風のせいで、目を開けていられなくなったシエルはロンの声を聞いた。
はっきりと、哀しい、少年の声を。
「すぐに終わらせてきますから……待っていて、下さい」
風が、急に止んだ。
目を開けると、部屋にロンの姿はなく開かれた窓から見える空だけが視界に映る。
「――何なのよ!!」
そう言うと扉へと向かうシエル。
ロンのあの声、胸を締め付けるような、放っておけない、あの声。
不意に哀しく笑う表情が浮かび、シエルは唇を強く噛み締める。
「待って」
しかし出ようとするシエルの前にエルラが立ち塞がり、サファイア色の瞳が真直ぐに見つめてくる。
「邪魔よ!」
「ロンは待ってるように言った。なのに、何で行こうとするの?」
「そんなのあいつが私の使い魔だからに決まってるでしょ! 何も話さず勝手に行って……とにかくあんたには関係ないでしょ!!」
エルラの小柄な身体を押しのけ扉のドアノブを回す。
しかし、いくら引いても扉は開かない。
押してみてもビクともせず、疑問と焦りと怒りが混ざり合いシエルの心はグラグラと揺れてしまう。
「……まさか、あんた」
いつの間にか杖を持っていたエルラを見て、シエルも懐の杖を抜く。
「扉には『デルタ・ロック』をかけてる……あなたの魔力じゃ開けるのは、不可能」
「何でそんなに邪魔するのよ! だ、大体あいつが好きなんなら心配じゃないの!!」
扉に『ロック・オフ』をかけるが開いてはくれず、シエルの顔に焦りが浮かぶ。
「私は……ロンが、学院からいなくなるのが、嫌なだけ」
「そんな事あるわけ――」
言いかけ、止めた。
エルラの真剣な表情が気になったのもあるが、けれど、それよりも――
(何で、あいつはあんなに自信があったの……)
ベルとの決闘の時、ロンからは自信のようなものを感じられた。
貧相とまでは言わないが、決して強そうには見えない彼からは想像がつかない程の。
今も、あの哀しそうな声には自信を感じた。
何か隠し玉を持っているような、けれど、隠したままでいたいような、そんなものも同時に感じたが。
「あなたは……いいえ、あなた以外の人だってロンの『正体』を知ったら畏れを抱くはず。契約を切るのは勝手、だけど、彼を傷付けるのだけはやめて」
その瞳をみて、その声を聞いて、シエルは――
「――――はっ!!」
笑った。
本当に面白い事を聞いたように、ただただ、笑った。
少しばかり驚いた表情をしたエルラに、シエルは強気な笑みを向ける。
「『正体』なんて私には関係ないわよ。ただあの馬鹿がどんなでも、私は私の使い魔を見捨てたりしない。畏れる? 絶対あるわけないじゃない。だってあいつは私を……私を守る為なら竜になるって言った、大事なパートナーなんだから!!」
――叫んだ直後、扉から耳をつんざくような音が響いた。
扉を引いてみると簡単にそれは開き、間髪を入れずにシエルは廊下へと飛び出す。
部屋に一人残ったエルラ。
デルタクラスの自分がかけた魔法が、なぜワンドクラスのシエルに解除できたのか。
今はそれを気にしても仕方ない。
自分もすぐに彼らの後を追うため、大きな杖を振るった――
「ここでいいよ。ありがとうレイ」
ロンが声をかけるとレイは頷き、大きな身体を地面へと降ろしていく。
地面につくと羽を一度羽ばたかせ、身体を出来得る限り低くする。
背中から飛び降りたロンは後ろを向き、小さく見えるインクリス魔法学院を見つめた。
『今から何をするんだ』
頭の中に直接響くようなレイの声。
それに応えるように、ロンは苦笑いを浮かべる。
「感じないかい? ここに向かっている感情の渦を……竜の、咆哮を」
ロンの指さした先、地平線まで広がる雄大な草原と青空しかないが、レイも感覚器を研ぎ澄ましそちらを見ると――
『なんだ……これは……』
レイは困惑の声を出した。
確かにここに近付いてくるものを感じる……ぐるぐると渦巻く感情と、悲鳴に似た咆哮を。
しかし上位種であるレイが同族の接近に、指摘されるまで気付けなかった。
それはだいぶ前から気付いていたロンの持つ感覚器が、自分を上回っているという事。
『まさかロン。君の引き継ぐ竜の血筋は、上位種よりも……』
それにロンは答えず、レイに小さな小袋を渡す。
そして、離れていく。
「これから僕は『力』を開放する。けどその小袋を持っていたら、レイに影響は出ないはず。でも、出来るだけここからは離れてほしい――巻き込まない、自信がないから」
レイの方へ振り向くロン。
瞬間、レイは驚愕する。
ロンの瞳が黒と赤に彩られ始めたのだ。
線を引いたように瞳孔は細くなり、そこから噴き出すのは何者も逆らえないような――深淵の底から湧き上がるような、殺意。
眼だけで殺せるとはこの事をいうのだと肌で感じ、自分で思わぬ内に頭を下げてしまいそうになる。
それほどまでにロンの雰囲気は変わり、気高くも恐ろしく、儚くも絶対的に、頂上に君臨する常世の闇の具現者のよう。
『……分かった。しかし君が危険になってると知ったらすぐに飛んでくると、約束しよう』
そうして羽ばたくとレイは飛び去って行ってしまった。
後に残こったロンはしばし飛び去った空を見、小さく溜め息を吐く。
(近付く竜の気配が妙だ……この胸騒ぎが、気のせいならいいんだけど)
近付いてくる『ソレ』がロンの場所まで辿り着くのは、あと少し――




