第18話 心のトロフィーを捨てる
時々、テレビで有名なスポーツ選手の自宅や実家での
インタビューを見ることがある。
リポーターが家の中に入ると、大抵ガラスケースや棚に
沢山のトロフィーが飾られている。
若い選手は全てのトロフィーが美しく輝いているが、
引退して時間が経った選手はトロフィーの表面がくすみ、
帯は色褪せている。
どんな選手であっても、リポーターは「素晴らしい栄光の
数々が...」などと称える。
私はトロフィーをもらったことがない。
(自他ともに認める運動音痴だし、今のところ受賞されるような
才能にも巡り会えていない)
そんな私でも引退して時間が経った選手のインタビューを
見ていて辛くなることがある。
ああ、この人はこれからも過去の栄光にしがみついて
生きていくんだなぁと感じた時だ。
過去の栄光が大きければ大きいほど、膨大なトロフィーを
抱え、飾る為に場所が必要になる。
飛びぬけた実績を残した人は偉人となり、子孫が記念館を
建てて末永く飾り続けるのだろう。
世間には私のように「飾れるトロフィーなんか無いから関係ない」
という人が多いかもしれない。
だが、意外と心の中にトロフィーを沢山飾っている人は多いのでは
ないだろうか?少なくとも私はそうでした。
心に飾れるトロフィーは物理的制約がない。記憶が許す限り
いくつでも飾ることができる。
そして、年齢を重ねれば重ねるほど意識せずとも増えていく。
学歴や資格をはじめ、仕事での実技やスキルなどの社会経験。
トロフィーが新しく輝いている時は自信となり、新たな出来事や
困難に挑戦する糧となる。
しかしくすみ色褪せ古くなってくると、時に自分の持つ可能性の
邪魔をし、閉じ込める原因となっていく。
過去の経験からくる既成概念だ。
そして古いトロフィーが一定数を超えると、記憶の有無に
関わらず新しいトロフィーを置く妨げをするようになる。
「やった事がないから自信がない」
「わからないし興味がない」
何かと言い訳をつけてやらなくなっていく。
人によっては年齢を理由に最もらしく断る。
加齢により身体的にできなくなる事が増えていくのは仕方が
無いが、そうでないものに及んでいる場合がある。
自分だけに留まらず、周りの人に迷惑をかけていないだろうか?
それは歳を取れば老害に、働いていたら労害になっているかも
しれない。
私は10年前、パワハラで酷い目に遭った時に古いトロフィーの
存在に気付いた。
8年後、介護離職をした時に記憶にある古いトロフィーを捨てた。
そして再就職を諦めた時、記憶にない古いトロフィーも全て
捨てた。
現在、私の心には新しいトロフィーがひとつだけある。
53年生きることができたというトロフィーだ。
今後は54、55と数字が増えていくだけ。
隠居を選択した今、
二つ目の新しいトロフィーができる予定は今のところないが、
このひとつだけの新しいトロフィーを更に輝かせる為に、
新たな挑戦をする気概だけは忘れないようにしたい。
心のトロフィーは見えない既成概念。
要らなくなったトロフィーは捨てていこう。
自分の可能性は少しでも大きい方がいい。




