38話
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「…………………………」
「…………………………」
エルネスタとリオはことの成り行きをただ聞いていた。一連の会話で導き出されたものは同じだったようで、自然と二人の視線が絡み合う。
「……男はネリーナの先客よ。反対側の隣室だったからそちらへ行ったのね」
「まずは隣へ行こう」
リオは気配を消して音も立てずに廊下へ出るとアレンの部屋の扉に手をかける。鍵はかかっておらず、すぐさま中へと入った。エルネスタも同じように続くと部屋の壁に顔をつけた。「耳」を探さなくても隣の部屋から小さく女の喘ぐ声が聞こえてくる。どうやらあの二人は期待通り真っ最中のようだ。
エルネスタはリオが厳しい顔で見下ろしているベッドまで行くとアレンの様子を窺う。
アレンはしゃっくりのような笑いを続けたまま、涎を流して目は充血し色を失くしたように濁っていた。手足は痙攣もしている。
「リオ様。あなたはその戸棚、……酒が置いてある場所に何か小瓶でもないか探してくれますか?」
「……わかった」
エルネスタはアレンの脈を測りながら、片手で彼の目や体温を確かめる。そっと顔を近づけて匂いも嗅いでみる。
「………………」
ベッドに転がっていたグラスを取ると底に少しだけ液体が残っていた。ポケットから筒状のガラス瓶を取り出して液体を入れる。
「酒びんの棚にこれがあった」
リオは二つの小瓶を持ってきた。
「右手のものを貸して。左のものはこの娼館で使用しているただの媚薬瓶よ」
素直にエルネスタのいうまま渡すと彼女は蓋を開けて鼻を近づける。
「無色透明匂いなし……」
確かに彼らはそう言っていた。であるなら今のこれがそうなのだろう。エルネスタはもう一つ細いガラス瓶を取り出してそれを少量入れてから小瓶をリオに渡す。
「元に戻して」
その間にもエルネスタはテーブルから水差しを持ってきて、そのままアレンの口へ少しずつ流し込んだ。むせりながらもアレンは水を飲み込んでいく。
瓶を戻してきたリオがその様子を見ながら考え込んだ。
「違法薬には違いないな」
「精神に影響を与えるやつだわ。自白剤に近いけれど、もっと危険なものね。成分がわからない以上、今は水を飲ませるだけしかできない」
「中毒性も禁断症状もないと言ってたな」
「……これを飲ませて朦朧とした意識の中で洗脳するのね。あなたはこの人を追っていたと言ってたけど何か気になる点でもあったの?」
「こいつは襲われた騎士の一人だ。だが俺は自作自演に見えた」
結果、その見立て通りになったわけだが、それでも謎は深まるばかりだ。
「こいつはただの事件を撹乱させる駒の一つだった可能性が高い」
エルネスタはあの事件の夜を思い出す。暗がりの中、騎士たちが灯りをもって右往左往しているのを城壁から見下ろしていた。
「お前を傷つけた奴は他にいる」
リオの言葉にハッとなる。エルネスタの中ではあの傷のことはすでに頭になかったが、彼の中では消化しきれないもののようだ。
「……傷はもう大丈夫よ」
「そういう問題じゃない。俺は決して許さない」
傷つけた犯人も、そして守りきれなかった自分自身も。
リオの頑な言葉が意外でエルネスタは少し驚く。彼がそこまで気にしているとは思っていなかった。彼女にとってあのくらいの怪我は軽いくらいだ。もっと重傷を負ったこともある。この服の下にはいくつもの傷跡があることを彼は知らない。それを見たとしたらリオはどうするだろうか。ふとそんなことがよぎったが今は余計なことだと頭から追い出す。
「……この人はまだ泳がせとくの? すでに何度かこの薬を飲まされているようだし、きっと少なからず体に何かしらの影響があるはずだわ」
「禁断症状はないと言っていたが、この娼館に頻繁に通いあの娼婦に会うことそのものがそれじゃないか」
「会わなきゃいけないって思うことがもう精神的に病んでるってことね」
それだけなら、外からは娼婦にハマってるだけに見える。なんとも上手くできている。
「でもまだ殺さないってことはまだ利用できると思ってるのかしら?」
すべてにおいていろいろな可能性がある。
「……あら? これは」
水を飲ませ終わったエルネスタがアレンの首の根元あたりの痣に気づいた。背中側に向けるとそこにも小さい赤い斑点がある。
「──これはっ」
リオがアレンの痣を凝視して目を見張った。
「……ここ数ヶ月の間に発見された変死体にも同じものがあった。今、それを調査中なんだが……」
「……まずはこの薬を調べてみないと何とも言えないけれど、もしかするとこれの成れの果てかもしれないわ」
エルネスタはガラス瓶をかざす。揺らぐ透明な液体が何とも毒々しく見える。
「それはこちらに渡してくれるか?」
「それは少し待ってほしいの。一旦こちらで調べさせて」
「……結果は教えてくれよ」
「もちろん」
「わかった。上にはあるルートで調べてもらってると報告しておく」
アレンの顔からは狂った笑いは引いたものの体の痙攣はまだある。エルネスタはそっと顔を近づけた。
「おい……」
エルネスタがアレンの耳元へ口を寄せる。リオが手を伸ばそうとするがエルネスタが片手を上げて黙らせた。
「あなたはネリーナが嫌い。ネリーナは最低な女。ネリーナなんて大嫌い……」
「……ぅぅ、……ぁ……」
「ネリーナが嫌い。ネリーナとはもう会わない。ネリーナのことは忘れる」
「……ぁ、……ぁぁ……き、……らぃ……」
アレンはエルネスタの囁きにわずかに反応した。これでどうにかなるかはわからないが、少しでもネリーナに対する印象が変わればいい。
「無意識なのに人の言葉は耳に入ってくるようだな」
「……これが続くときっといずれ精神を崩壊させるわ」
そして命までも奪われるだろう。
痛ましいアレンの姿に怒りが湧いてくる。おそらく彼だけではない。他にも犠牲者は確実にいるはずだ。何よりあの変死体もその可能性が高い。
人の思考を捻じ曲げ洗脳する薬。そういったたぐいのものはいくつか存在するが、無自覚というのはあまり聞かない。
だが、どちらにせよ許すことはできない。重苦しい空気が二人にのしかかった。
「……お前の追っているのは男の方か?」
「ええ」
隣室に戻ってきた二人はしばらく黙っていた。お互い頭を整理していたがここにきてリオはエルネスタがこの娼館に潜り込んだ理由に行き着いた。てっきりアレンを追っているかと思っていたが、彼女は彼のことをそこまで重要視しているようでもなかった。
エルネスタはグラスに水を入れると椅子に座っていたリオへ渡す。そして自分はベッドに腰を下ろした後に彼を改めて見やった。
「あの男の名はミヒル。リズボアード国の裏組織の一員よ。と言っても情報屋に近いわね」
「リズボアード、か」
「どうやらそっちもその国の者を追っているようだけど」
「……お前は、国はどこまで知っているんだ?」
リオがグラスをテーブルに置いて真正面から彼女と目を合わせた。重なる情報もあるだろうが、国が秘密裏に動いているというのなら、無駄を省くためにもこちらだってそれを把握しておきたい。
「残念だけど、私が動いているのは国からの要請でも何でもないわ。あえて言うなら個人的なことよ。……私は、ね」
少し含みのある言い方ではあるが、エルネスタ以外は動いているとも取れる。
「裏には裏のやり方があるのはわかるでしょう? でも、今回の襲撃事件とこの薬の件が繋がっているのは確かだわ。ただあんな派手に襲撃する意味が何なのか、それさえも隠れ蓑にしている何かがあるのか。そこはあなたのお仕事になるわ」
「……だが、お前が動いている事案と関わりもあるだろう? お前の言うようにこれらの点と点は確実に繋がっている。……つまりだ」
リオは一度押し黙る。
「共闘しないか?」
真剣な眼差しがぶつかる。
「もちろんお互い邪魔をしない程度に、だ。動機は違っても、この先俺たちには交わるところも出てくるはずだ。何よりこの国に生じる不利益に対して看過できないのは同じだろう?」
それに、とリオは付け加える。
「都合のいいことに俺たちは婚約者同士だ。一緒にいても怪しまれないし動きやすい利点がある」
名案とばかりにリオは得意げに笑う、が。
「……あのですね、別に私は一人で動けるのでそこはまったく利点にはなりませんけど?」
エルネスタの言葉にリオは笑みを浮かべたまま固まった。こういう返しが何とも彼女らしいが、そう言われれば確かにそんな気もする。現にこの娼館に潜入している時点で普通ではないし、個人的な理由だとしてもレーウ騎士団副団長の婚約者がいるのに相談の一つもないのは鼻から頼る気もないし必要ともされていないということだ。
逆に自分で動けるからこそ、そんな考えも浮かばない。
だが、その前に。
やはり二人の関係性が距離を物語っているようでリオは小さいため息とともに天井を見上げた。
「……まあ、な。お前なら一人でも動けるんだろう」
リオはしばらく考え込むと再びエルネスタを正面から見つめた。
「じゃあ、言い方を変える。レーウ騎士団としてお前からの情報は事件に関して貴重なものだと判断した。これからもこちらが求める情報の提供の協力をお願いしたい。……建前上はな」
そう言って椅子から立ち上がった。そしてベッドに腰掛けているエルネスタのそばに片足で跪くとその手を取った。
「……さっきのことで後回しにした話を今したい。ここからは俺の本音だ」
彼女を見上げ告げる。
「……心配くらいさせてくれ」
その言葉にエルネスタが息を呑んだ。
「俺は最初から間違えたし最低なことも言った。だからお前が俺に対して素っ気ないのも仕方ないとは思っている。それでも、いくらお前が何者であってもやっていることは危険なことであり、俺の目の届かないところで傷つくことはしてほしくない。だが、それができないこともわかっている。だから、せめて心配くらいはさせてほしい。もっと言うなら、守秘義務でない事柄で危険に突っ込む時は一言欲しい。──婚約者ではあるが、その前に一人の、お前を守りたい一人の男として、そう思っているんだ」
リオの手のひらにすっぽりと入るエルネスタの小さな手。令嬢らしい綺麗な手ではあるが、そこには剣だこがわずかにある。おそらく剣を扱う時は手袋などでカバーしているのであろうが、扱いが長くなれば必然的にできてしまうものだ。
それほどまでに彼女が訓練を積んでいる証でもある。
「お前が何者かは俺からは聞かないし、もしお前と敵対する時が来るというのなら全力で立ち向かう」
二人が国側に立つ人間であればそんな日は来ないはずだが、何事にも例外はあるし可能性だってゼロではないのが現実だ。
「……さっきは俺のことを信じてほしいと言ったが、俺にはそれを言える資格もなかったな。俺が言えることは一つだ。────俺がお前を信じているということだ」
目線を合わせて真摯に言ってくるリオにエルネスタは黙ったまま見つめ返した。
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