8.神を鎮めよ
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大いなる存在の怒りを受け、全身に鳥肌が立つ。同時に、険しい顔をした佳良が転移で駆け付けた。
「太子様方に申し上げます。ただいま皇宮神官府の中庭に、荒神化した神が顕現しました。広範囲の被害が出る確率が高いと予測されます」
「承知している。私が行く……」
「お待ち下さい兄上」
即応する秀峰を遮り、高嶺が日香に笑顔を向けた。
「日香、そなたが収拾せよ」
「え?」
「もう隠す必要はなくなったのだ、堂々と日神の力を振るって対処すればいい。そなたの真価は機会を見て早めに公表しようということだったではないか。今この時を、その機会にしてしまえばいい」
あっさりとのたまう高嶺。彼は自らが早熟な天才肌であるがゆえか、息をするように難題を放り投げて来ることがある。悪気があるわけではない。それくらいできて当たり前という認識なのだ。
「分かりました」
(はい来たー、高嶺様の無茶振り!)
だが、日香ももう慣れたものだ。次々に繰り出される高難度の要請に必死で食らいついている内に、いつの間にか順応していた。秀峰を筆頭とする家族たちが上手く支えてくれたおかげでもある。
「一応確認しますが、皇帝方は……」
そろりと尋ねると、秀峰が肩を竦めた。
「何も仰って来られない。黙認するということは是であろう」
荒神が出現した今、天威師の誰かが動かねばならない。現場近くにいる天威師たち――つまり日香たちの様子を、皇帝たちは視ているはずだ。彼らが念話なり転移なりで高嶺を制止しようとしないならば、今の提案を認めているということだ。皇帝公認ならば否やはない。
「そうですか。承知しました」
「初の公の場での公務だな、日香――いや、紅日皇女。恙無く神を鎮めよ」
高嶺の言を受け、日香は佳良に目を向けた。
「佳良、もう少し詳しく状況を聞かせて」
「はい。先ほど皇宮神官府において、皇国と帝国の神官が連携し、古の狼神様をお喚びする儀式を行いました。狼神様の寵を受けているのは、帝国神官フルード・レシスです」
「ええと、ちょっと前にラウお義兄様から聞いたかも。フルード君……確か9歳で、この前見初められて聖威師になったばかりじゃなかった? 神官としては霊威が弱くて、貴族の出自ってわけでもなくて伸び悩んでたけど、頑張って狼神に認められたんだよね」
「仰せの通りです。フルード神官同席の上、狼神様を勧請しようとしておりました。神々は定期的にご機嫌伺いでお喚びすることがございますので」
佳良が手早く説明を続けた。
「しかしその前に、別の神が降臨されたのです」
「え?」
(狼神を喚ぶ前に違う神が来たの?)
「そしていきなり荒神になられまして」
「ええ?」
(どういうこと?)
首を捻る日香に、眉を寄せた佳良はさらに続ける。
「現在は騒ぎにならぬよう、私の聖威で荒ぶる神の気配を遮断しております。天威師と聖威師以外は気付いていないでしょう。ですが、それもいつまで保つか……」
「――そう。分かった、説明ありがとう。とにかく行ってみるね」
日香の体から虹色を帯びた紅光が立ち上る。
「行きます」
掛け声と共に、日香は転移を発動させて神官府の中庭に飛んだ。
◆◆◆
(わ、ぐちゃぐちゃ……)
そこは散々たる有様であった。美しく手入れされていた緑は無残に破壊され、地面は抉られ噴水は砕け、木も草も花も踏み荒らされている。中心では、見上げる程に巨大な孔雀が目を爛々と光らせ、極彩色の翼を広げて仁王立ちになっていた。
(あれは――孔雀神だ!)
色持ちの高位神である。その脇で跪き、半泣きで祈りを捧げている、翠色の神官衣をまとった金髪碧眼の少年。ぱっと見は少女にも見える、儚げな容姿をしていた。
「フルード神官です」
日香に続いて転移して来た佳良が、少年を示して言う。
(うっわあぁ、めちゃめちゃ可愛い子じゃん!)
孔雀神が甲高い声を上げて首を振り、大きく嘴を開いた。喉の奥から青白い光がこぼれ出る。フルードがひっと硬直し、その場にへたり込んだ。瞬間、空色がかった灰銀の毛並みを持つ巨狼が顕現し、愛し子の襟首をくわえて佳良の横に退避した。
同時に佳良の側に舞い降りた大鷹がその神威で彼女を包み込む。その直後、孔雀神の口から青みを帯びた白熱の閃光が放射された。
(いけない!)
日香は即座に、庭一体に結界を展開させた。防御と荒神の気配を遮断する効果を持たせたものだ。強烈な音波を放つ青白の波動が中空を焼き焦がしながら散乱し、結界に吸収されて消える。
『セイン、怪我は無いか』
「うぅ……ありがとうございます狼神様」
ぴょこんと尻尾を振る狼神の前脚の間に抱え込まれたフルードが、がたがた震えながら涙目で頷く。
その隣では、鷹神と佳良も簡潔に会話していた。
『大丈夫か、佳良』
「鷹神様のお慈悲をもちまして』
頷いた鷹神が、狼神と視線を合わせた。この二柱もまた、有色の神威を持つ高位の神である。互いに思案するように首を捻った後、口を開いたのは狼神であった。
『さて、どうしたものか。私たちが相手をすれば、人の世で高位神同士のいざこざが勃発してしまう。それは可能な限り避けたいところですな。……恐縮ですが天威師方に鎮めをお願いできますでしょうか』
鷹神も賛意を示すように首肯している。
「て、天威師? ……あ、太子様!」
狼神の言葉で、フルードが日香たちに――正確には共に転移した秀峰と高嶺に気付いた。泣きべそ顔で縋る。
「来て下さったのですね! ど、どうすればいいのでしょうか? 孔雀神様は大変に荒ぶられていて、意思の疎通ができないのです」
「私が対処します」
にっこり笑って述べた日香は、なおも青白の波動を放射している孔雀神を見た。怒りの奥に潜むものを感じ取らんと、意識を集中させる。フルードが困惑の気配を滲ませた。
「え? でもあなたは……朱月皇女様ではありませんよね。――もしや霊威をお持ちではないという妹君では」
高位の神官は魂の波動が読める。まして、フルードはなりたてとはいえ聖威師だ。神官府の催しで月香を見たこともあるだろう。どれだけ外見が似ていても、目の前にいるのが月香ではないと判断できる。目眩しの指輪も聖威師相手には通用しない。
「それについては後で」
日香は荒ぶる神を見たまま答えた。フルードの反応は最もだが、今は緊急事態なのでひとまず横に置くことにする。
(どうしてこんなに荒れてるの)
神を観察し、意思を傾け、心を添わせ、その意を感じ取る。何を言いたいか、何を訴えているか。明確な言語を聞けずとも、感情という名の声を聞く。
孔雀神が苛立ったように翼を開閉し、頭を振りながら激しく鳴いた。その動きに合わせて放たれる閃光は結界が無効化しているが、直撃すれば皇宮が丸ごと蒸発するだろう。
(……孔雀神は――苦しんでる。すごく嫌がって、何かを振り払おうとしてる。そういえば何度も首を振って……)
頭部あるいは首元に何かあるのかと、瞳に天威を込めて目を凝らし――小さく息を呑んだ。
(えっ? あれって……)
視えたものに驚き、思わず高嶺に声をかける。
「高嶺様――孔雀神の首に何か巻き付いています。紐のような……おそらく神器かと。神威を感じます」
神器とは、神が己の神威を練り上げて創り出す宝具のことだ。気に入った人間に下賜される場合もある。
(しかも相当強く食い込んでるみたい。孔雀神の神威と神器の神威が絡んでもつれ合ってる)
神は呼吸をせずとも生きられる。にも関わらず苦しんでいるのは、息ができないからではなく、絡んだ神器の神威が首を絞め上げているためだ。静観している高嶺と秀峰が小さく頷いた。
「じ、神器?」
フルードも瞠目し、じっと孔雀神の首を見つめてあっと声を上げる。
「本当ですね! 孔雀神様の神威に紛れて分かりませんでしたが……何故神器が?」
当然の疑問だが、それを考えるのは後回しだ。うん、と一つ頷いた日香は、高嶺に笑いかけた。
「これはあれですね、外すより斬っちゃった方が早いし楽ですね」
そして右の手を握り込み、力を集中させた。体内を灼熱が駆け巡るような感覚と共に、掌中から虹の色を纏った紅い光が溢れ出る。それは瞬く間に細く長く伸び、一振りの細剣の形を取った。
「わぁ!?」
フルードが驚嘆の声を上げる。日香は狼神と鷹神の方に向き直り、頭を下げた。
「偉大なる神々に申し上げます。ただ今から、孔雀の神を害なすものを取り除かせていただきます。その作業を迅速かつ確実に遂行するために必要となりますので、一時のみ神に刃を向けることをお許しいただきたく」
本来であれば、人間が神に抗うことは許されない。防御を始め、剣を向ける、放たれた神威を弾き返すなどはもっての外だ。神格を抑え人に擬態している天威師と聖威師にも、その禁忌は適用される。
ゆえに、荒神を鎮める際は荒れる神威の前に丸腰で身を投げ出し、損傷を負いながら全身全霊で宥めることが多い。だからこそ、危険度が高い神鎮めは天威師が引き受ける。高位神の神威による致命傷でも瞬時に治癒できるのは天威師くらいだからだ。
だが、今回の場合は元凶である神器をどうにかしなければならないため、ただ大人しく神威を浴びているだけというわけにはいかない。それでは何も解決できない。
『本件の対処をお願いしたのは私ども。ゆえにこたびに関しては、我らの名において承認いたしましょう』
『孔雀神にも、後ほど私たちから説明いたします』
狼神と鷹神は口々に応じてくれた。
「ありがたきお言葉。多大なるご配慮を賜り、感謝の念に堪えません」
礼を述べた日香は、出現させた剣を斜に構え、片足を半歩引いて体軸を調整しながら孔雀神を見据えた。
(さぁて、やりますか)
皇家の者として、あらゆる武術や兵法は極め尽くしている。その中には当然剣術もある。
(斬るのは神器。孔雀神様じゃない。神器だけを斬る)
剣に強く深く刻み込むように念じ、地を蹴った。孔雀神に向かって疾走すると、荒ぶる神威が火花のように炸裂して周囲に飛び散り、鋭い稲妻や獰猛な獣の形と化して日香に殺到した。
「危ない!」
フルードが叫ぶが、日香は全く動じない。
(大丈夫、これくらい捌ける)
いざとなれば高嶺たちが助けてくれるという安心感はあった。だが、仮に彼らがおらずとも、自分は足を止めることはないだろう。数撃くらい喰らったとしても天威で治せばいい。怪我の有無や程度は問題ではない。
(神を鎮める。それが天威師の務めだから)
およそ三千年の永きに渡る歳月、天威師たちは皆その使命と共に在り続けてきた。そして自分もまた、連綿と続くその列の末席に加わる存在なのだ。
日香は顔色一つ変えずに剣を振るい、向かい来る神威を舞うようにして斬り伏せていく。孔雀神と神器の力がぶつかり合うごとに火の粉のような光が爆ぜ、虹を纏う紅い煌めきが飛沫のように大気を彩る。
(孔雀神――どうかお鎮まり下さい)
鎮魂の意思と力を宿して放った斬撃は、ばちばちと閃光を散らしながら唸りを上げていた神威の獣たちを一瞬で宥め、ふわりと霧散させた。
同時に剣を回転させて稲妻状の攻撃を弾き、あるいは受け流し、天威を込めた脚で一足飛びに跳躍する。重力から解き放たれたかのような身軽さで、孔雀神の真上まで飛び上がった。
(あ、皆見てる)
こちらを見上げる皆の顔は様々だ。いつも通り涼しい表情を崩さない秀峰と高嶺。少しだけ心配そうな目をしている佳良。興奮したように頰を上気させているフルード。
それぞれの眼差しを視界の隅に収めつつ、中空まで追撃して来る波動を刀身で受けていなし、天威を地面に向かって放つ。全方位に広がる円状に放射された紅色の天威は、散らばっていた孔雀神の神威を全て一掃し、ぴたりと鎮めた。
(よし、今!)
そのまま宙で体勢を整えて剣を構えなおすと、神器目掛けて真っ直ぐに振り下ろす。
(神器、だけ、斬る!)
刃が当たる寸前、全霊で強く念じると、虹色の光を纏う紅の刃が一度脈打った。直後、神器が切れる音と感触が手に伝わり、その後は虚空を空振りするような手応えのなさで刃は神をすり抜けた。
(よし!)
振り抜いた剣を引くと、断ち切られた神器がひらひらと落ちてくる。日香はそれを掴み取った。切断された紐の先に、宝玉が付いている。
(これ……首飾り型の神器だ)
傷一つ付いていない孔雀神が大きく息を吸い込む。荒れ狂っていた神威がみるみるうちに鎮まり、凪いで行った。
ありがとうございました。