9.本当の嵐はこれから
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「やった……すごい……!」
フルードが目を輝かせ、感激したように呟く。
ゆるりと頭を振った孔雀神が身動ぎし、絢爛な姿に相応しい艶めいた声を放った。
『ありがとうございます、皇女様』
威嚇するように広げられていた翼が閉じられる。日香は剣を消し去り、神の前に跪拝する。
「奇跡の大神に申し上げます。神たる御身に刃を向けました非礼、お詫びのしようもございません」
ここで狼神が口を開きかけたが、孔雀神はどこか婀娜っぽい仕草で体を揺らめかせ、分かっていると頷いた。
『意識はありましたので、事情は承知しております。皇女様が剣をお取りになられたのはわらわを助けるためでしょう。わらわの方こそ、天威師を攻撃するなど……慙愧の念に堪えませぬ』
至高神は全ての神から思慕される。本性が至高神である天威師もまた、あらゆる神に慕われる。荒神となって理性を飛ばした時は神威を向けられることもあるが、その場合でも神が冷静に戻った後は必ず陳謝されるのだ。
日香と、その後ろで拝礼している秀峰と高嶺に頭を下げた孔雀神は、次いで狼神と鷹神にも軽く目礼した。
『わらわの不手際であなた方の愛し子を傷付けるところでした。謝罪します』
そして、平伏しているフルードと佳良にも優しげな目を向けて会釈する。
「お心遣いをいただき、身に余る栄誉にございます」
「い、いえ、そのような……ろ、狼神様のおかげで何事もありませんでしたので」
冷静に答礼する佳良と、あわわわと声を上ずらせて答えるフルード。鷹神と狼神も応じた。
『結果論とはいえ被害はなかったのだから構わぬ』
『大事にならなかったのですし、此度は良いということにしましょう』
和やかなやり取りを聞きながら、日香は密かに嘆息した。
(危うく世界が吹き飛びかけたんだけど……そっちは無視なんだね)
日香が孔雀神の攻撃に上手く対処できていなければ、おそらく地上の全域が焦土となっていた。だが神々は、そのことについては気に留めてすらいない。フルードと佳良のことは慮っているが、それは二人が神の寵児であり神格を授かった者であるから――つまり神たる自分たち側の存在であるからだ。
神と人の、圧倒的にして残酷なまでの格差。神は人間のことなど歯牙にもかけない。加護を与えられるほど気に入られる者は、本当に特別なのだ。
『それで孔雀神、お主は何故降臨したのだ? 私は愛し子の危機を察知し、守護のため特例対応として降りたが……何しろ高位中の高位であるお主が荒れておったからな』
鷹神に問われた孔雀神は、ゆるりとした所作で答えた。
『わらわの愛し子に相応しい人間を見付けたもので。他の神に取られる前に囲ってしまおうと思い、急ぎ降りたのです』
気に入った人間に寵と神格を与える際は、神が直々に降臨することもあるのだ。
「御身のお気に召すとは……一位貴族の者でございますか」
黙って成り行きを見ていた高嶺が静かに言った。孔雀神が艶を帯びた声で笑う。
『ご明察にございます』
「唯全家の雛でございましょう」
秀峰も推測を述べ、孔雀の神はそれにも応を返した。
『仰せの通りにて』
それを聞いた日香ははっとする。
(唯全の雛――当真君だ!)
『愛し子の元に行こうと天から地上を目指しておりましたら、突然下から神器が飛んで来まして。それが首に絡み付いて締め上げられたのです。とても強い力でしたので苦痛に襲われ、人界に降り立つと同時に荒れてしまいました』
(下から飛んで来た神器って……これだよね)
日香は手の中に握っていたものを見た。孔雀神に絡んでいた、首飾り型の神器。最高級に格式の高い物だ。
「それは、おそらくこちらのものと思われます」
両手に神器を持って掲げると、孔雀神は首を縦に振った。見初めた雛に気を取られていたことと、地上に降りるため平時より遥かに神威を抑えていたこと、神器自体がとても強い物だったことなどが原因で、首に引っかかるのを止められなかったそうだ。条件がどれか一つでも欠けていれば、余裕ではね返せたのだろうが。
『ええ、これです。わらわの神威を解放して強引に引き千切ってしまおうかと思いましたが、出力の加減を誤れば余波で地上を丸ごと壊滅させてしまいますわ。天威師が統べておられる世界を焦土にするのは憚られ、堪えましたのよ』
人界を吹き飛ばしかねない暴れようだったが、あれでも極限まで抑えている方だったのだ。神は最下位の者ですら、容易く世界を灰燼に帰す力を持っている。高位の孔雀神ともなれば、ほんの僅かに力を解放しただけで、全ての宇宙次元を含めた森羅万象を造作なく消し飛ばせる。
「孔雀の神に置かれましてはご不快な思いをさせてしまいましたことを心より謝罪申し上げます。狼神と鷹神にもお手数をおかけいたしました」
日香が再度謝罪すると、三柱の神は悠然と礼を返して来た。
『天威師のお心遣いがいただけるとは嬉しきこと。気分も良くなりましたし、唯全の子に寵を与えて参りたいと思います。その後は天に戻りますので』
発した孔雀神が優美な仕草で舞い上がる。最後に日香と高嶺、秀峰にお辞儀し、残像と共に飛び去った。
『私も還ろう。長く下界に留まるのは良くない』
次いで発した鷹神も力強く羽ばたき、礼をすると空の彼方に消えた。
『私はセインの招請を受けて降臨する準備をしていたため、この事態を見て勧請を待たずやって来たのだが……結果的には予定通りになったと思えばいいのか』
「はい、狼神様。本日はご機嫌伺いのためにお喚びする予定でございました」
狼神もフルードと話し始める。日香は余所行きの言葉遣いに切り替えてフルードに声をかけた。
「神官殿。この場はお任せしてもいいかしら? 私は本件を皇帝方に報告しなくてはなりません」
(ま、天威で全部視てらっしゃるだろうけどねー)
それでも形式上の報告は必要だろう。
(何で神器が下から飛んで来たのかも調べないと。また同じことがあったら困るよ)
フルードが何か言いたそうな顔で頷く。
「承知いたしました……」
「頼みましたよ。何かあれば、念話で連絡なさい。それから――間もなく孔雀神が唯全家の子息に寵を与えるでしょう。新たな聖威師の誕生に、皇国と帝国の神官府は騒がしくなるでしょうから、心構えを」
「……はい――あの。畏れながら、少しだけお尋ねしてもよろしいでしょうか」
一瞬黙り込んだフルードは、疑問と困惑に満ちた顔で息を吸い込んだ。
「……朱月皇女様の妹君は、もしかして天威師なのですか?」
(うん、絶対聞かれると思ったよ!)
恐る恐るの問いかけに、日香は微笑んだ。自分の真価を臣民に公表する際、どのように説明するかはあらかじめ打ち合わせてある。本当のことは言えないので、晩熟型だったとごまかすことになっていた。
「そうよ。実はつい昨日覚醒したの。日神よ。気の色は紅色だから紅日神になるわね」
「えっ、日神!? 皇国では初代以来のはず……では三千年ぶりに太陽の女神が顕現されたのですか!?」
「ええ、まあそういうことね……」
分かってはいたが、実際に言葉にされると恥ずかしい。神千国では、日神の神格を持つ女性の天威師は、初代以降生まれていなかったのだ。ミレニアム帝国の方では結構ぽんぽん誕生するのに。
「17歳で目覚めるなんてすごく遅咲きだけれど、ごく稀にそういうこともあるみたいなの」
そこで、さらりと秀峰が合いの手を入れてくれた。
「非常に珍しいが、絶対に有り得ぬことではない。私も15歳での覚醒であった。我らが御祖――天の至高神様方も、間違いなく日香が日神であるとお認め下さっている」
「そうだったのですか! 誠におめでとうございます!」
フルードが目を見張り、素直に祝いの言葉を述べる。微笑んでそれに応えながら、日香は秀峰を見た。
(義兄様は本当に例外的な遅咲きだったんだよね)
天威に覚醒する者は多くが一桁の年齢であり、遅くとも10代前半までには己の内に眠る神性を呼び起こす。秀峰が記録を更新するまでの最高年齢は13歳だった。
皇帝家に生まれた者の宿命として、秀峰もまた覚醒を求められ、臣民から壮絶なまでの期待と圧力を受けて育った。だがその時は訪れず、14歳になると同時に見限られ、出来損ないの庶子として失望と軽蔑の視線に晒された。家族は味方であったものの、15歳で奇跡が起こるまではとても辛い時間を送ったのだ。
両親と祖父母が庶子である日香と違い、秀峰は親兄弟と叔父叔母、従弟妹たちが全員覚醒していることから、周囲の期待値が極めて高かったことも逆効果になったと聞く。
(私も月香が目覚めてからはすっぽんなんて言われたけど、実際は覚醒してたし……本当は自分も天威師だって分かってたから、心に余裕があった。でも義兄様は違う)
本当に能無しだと思っていたわけだから、余裕などなかっただろう。
無能と蔑まれる辛さをよく知っている秀峰は、日香が月香と比較されて苦しい思いをしないよう、率先して守ってくれていた。むろん彼だけでなく、高嶺を始めとする家族たち全員が支えてくれていたが、秀峰は己の実体験を元に、的確に立ち回ることができた。
「……あっ」
その時、不意にフルードが声を上げたため、日香の思考はそこで断ち切られた。
「どうかしたの?」
「いえ、まだ自己紹介をしていなかったと……大変失礼いたしました。僕――いえ、私は帝国神官、フルード・セイン・レシスと申します」
天威師への名乗りであることから、秘め名を含めた正式名を告げる。
「ええ、よろしくね」
「皇女様は、これから覚醒を公表されるのですか?」
「そうよ。あなたの前で力を使ったことだし、これを皮切りに――」
期待に満ちたフルードの言葉に返しかけた時、空間が歪んだ。薄い緋色の神官衣を纏った男性が、息せき切って転移して来る。
「太子様、急報でございます!」
「何事か」
些かの動揺も見せず、秀峰が即応した。
「たった今、宗基邸から急使が参りました。宗基家の息女、花梨様が天威師に覚醒されたとのことです。目覚めた神格は日神――神千国においては初代以来となる太陽の女神であると!」
ありがとうございました。




