73.番外編 優しいだけでは㉞
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それから少し後。『ほんっとーに頼みましたぞ、色々と!』と念押しした狼神は、従神たちを引き連れて帰っていった。『もしもの時はすぐに迎えに来る』とフルードに伝えた上で。
『足りないものがあれば、俺にでも従神にでもいいから遠慮せず言えよ。従神や使役には、お前の言葉は俺の言葉だと思って聞くように言ってある』
後ろに控えた従神たちがニコニコして頷いている。
『主様の大切な者は我らの大切な者ですからな!』
『うぃっす、何でも言いつけてもらっていいっすからね!』
『狼神様の最愛であらせられる高位神にお仕えできて嬉しいです』
フルードは全員に向かって笑顔を返した。フレイムと初めて会った時にも思ったが、随分と気さくで友好的な従神だ。狼神の従神や使役たちは、主神とこれほど距離が近くない。
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
フレイムがフルードの帯からノートを引き抜き、従神の一柱に渡した。
『これはいったん戻しておけ。んで、お前たちはもう下がれ。用事ができれば念話で連絡するから』
『承知いたしました』
従神と使役が全員姿を消すと、フレイムは再びフルードを抱き上げた。同じ景色でも目線が高くなると新鮮に映る。キョロキョロしていると、優しい眼差しが降ってきた。
『俺の従神や使役を見て驚いたろ。狼神様の従神とは雰囲気が違うはずだ』
「そうですね……お兄様とかなり仲が良いように感じました」
『俺のとこが異質なんだよ。あいつらは俺が精霊だった頃の友達なんだ』
それは思いもかけない話だった。だが、記憶を掘り起こしてみて納得する。フレイムと従神たちの会話や距離感は、主従関係というより仲間・友達同士のそれだ。
『皆、器用な方じゃない上に要領が良いわけでもなかったからな。いつも主神に叱られていて……使えない使役として処分対象になったり、使役を使って実験する冷徹な神のところに下げ渡されそうになっていた』
神は同じ神には無限の慈悲を見せるが、神格を持たない使役のことは消耗品としか思っていない。その点を踏まえると、狼神は使役に対して異例なほどに情が篤く寛容なのだという。
『だが、いよいよ処分か下げ渡しが実行される寸前で、俺が焔神になった。助けるなら今しかないと思った俺は、あいつらを引き取って自分の使役にした。んで、その中でも素質のある奴には神格を与えて従神にしたわけだ』
まさに危機一髪だったわけだ、と、フレイムが切なげにひとりごちる。
なお、使役すなわち神使になるにはどうしても能力や性格が追い付かない者は、下働きにしたそうだ。選ばれし神の御使いは特別な存在となるため、友情や私情に流されて妥協することはできない。
『覚えが悪くても不器用でも一回でできなくても、探してみれば誰だってどこかに得意分野や長所を持ってるんだ。そこを認めて伸ばしてやったら、どんな奴でも十分使い物になるんだよ。けど、お偉い神様方はそんな手間暇かけて使役ごときを育てたりしない』
主神が求める役割をこなせない使役は、無慈悲に切り捨てられるだけだ。
『精霊なんざ天界に幾らでも生まれる。替えは効き放題だからな。そこにいくと狼神様は飛び抜けて使役に優しい方だ』
確かに、とフルードは頷いた。狼神の従神と使役は、フレイムたちとは違って純然たる主従関係にあるが、皆狼神を慕っている。狼神も彼らに対してそれなりには気を配っていた。
『っと……すまん、話が逸れたな。まぁそんなわけだから、従神にも使役にも遠慮は無用だ。何かあればいつでも声をかけな』
そう言ったフレイムが意識を切り替えるように軽く頭を振り、腕に収まったフルードを見た。
『それよりセイン、大丈夫か。初めての場所で緊張してるだろ。ここはもうお前の家だ、不安になることはないんだぜ。ここにお前を傷付けるものは何一つないからな』
この領域に入ったばかりの時、硬くなっていたのを悟られていたらしい。すっかり体の力を抜いているフルードは、安心しきった声で返す。
「はい。全然怖くないです。だってお兄様の神威でいっぱいの場所だから。お兄様の気はとっても温かいです」
『――そうか』
一呼吸置いてフレイムが笑った。陽だまりのようにポカポカした表情だ。
『お前は俺のことを心から兄だと思ってくれてるんだな。俺も同じだよ。もう本物の弟と同じだ。……ちょっと転移するからな』
言い置き、一瞬で場所を移す。移動した先は壮麗な広間だった。赤を基調とした装飾がなされ、数段高くなった上座には炎を象った玉座がある。おそらく、神殿の主軸となる空間の一つだろう。
上座に降り立ったフレイムがフルードを下ろした。
『なぁセイン、今から俺と兄弟の契りをしないか。そうすれば、俺とお前は本当に兄と弟の関係になれるんだ』
「そんなことができるのですか?」
フルードは目を丸くした。口で兄弟だと言うだけではなく、名実共にそうなれる方法があるのか。
『神同士で誓言すれば可能だ。人間の世界でも、養子縁組の書類に署名して正式に親子になったりするだろ。イメージ的にはそれの兄弟版に署名する感じだな』
「契りを交わしたいです、お兄様!」
目を輝かせたフルードは、一切躊躇うことなく本物の弟になることを選ぶ。
『よし、じゃあまず俺が誓言を告げるから、お前はそれに応えて神格を解放しろ』
「えっ……でも、聖威師が神格を出したら強制昇天です」
『神同士の契りを結ぶ時は、聖威師も本性に――神になっていい。特例扱いで強制昇天されないことになってるから心配すんな。ただし、終わったらすぐに再抑制するんだぞ。じゃあいくぜ……ん?』
言いかけたフレイムは、ふと何かに気付いたように瞬きした。
『そういやお前、俺とおそろいなんだな』
「え?」
『神格の読み方だよ。焔神と縁神。どっちもえんしんって読むだろ』
「あ……そうですね」
本当だ、と頷いたフルードは、透き通った碧眼を嬉しそうに輝かせた。より正確に言えば、その清廉な神威から清縁神が正式な神格なのだが、大きなくくりでは縁神である。
「おそろい……わー、お兄様とおそろいだぁ」
ルンルンとしている様子を見て小さく笑ったフレイムが、つと面持ちを引き締める。次の瞬間、その容姿が炎に包まれて変貌した。真っ赤な長髪と真っ赤な双眸。赤い赤い神威が渦を巻く。
『我は焔火神フレイム。この場にて、清縁神フルード・セイン・レシスを我が弟とすることを正式に誓う』
『…………!』
フルードは本能で察した。今この場面で、自分は何をしてどう答えればいいのかを。魂の内に押し秘めている神性を解放し、告げる。
『私は清縁神フルード・セイン・レシス。この場におきまして、焔火神フレイム様のお言葉を拝受します』
淡い薄紅碧の神威が立ち上り、赤い神威と絡み合う。
『手を出せ』
『はい』
言われるまま右腕を前に差し出した。まだ小さな手を、フレイムが右手でふわりと握る。自分のそれよりもずっと大きな掌を、フルードはきゅっと握り返した。触れ合った肌を通じ、温かさと鼓動が伝播する。
フレイムが身をかがめると、左腕でフルードの肩を抱くようにして包み込んだ。反射的に、フルードもぴょんと背伸びをし、左腕を伸ばしてフレイムの背に絡める。
赤と薄紅碧の神威が蛍火の群れのごとく輝き、二神の周囲を舞い踊り、互いの魂に強い繋がりが生まれた。決して破られることがない、神と神の間に結ばれた兄弟の結び付きだ。
『よし、神格を抑えられるか』
『は、はい』
流れ込む圧倒的な力強さと波動に翻弄されていたフルードは、どうにか首を縦に振って神格を押し込めにかかった。フレイムが自身の神威で補助してくれたため、あっさりと成功する。
『ん、終わったぞ。これで俺たちは真の意味で兄弟神だ。神と神の契りは魂に刻まれる。だから、神とか高位の神官とか、見る奴が見れば一発で分かる。俺にもマジで弟神ができたんだなぁ』
葡萄酒色の短髪に山吹の瞳、そして紅蓮色の神威に戻ったフレイムが満足げに言った。フルードは成功に安堵しつつ、首を傾げる。
「僕もお兄様が本当にお兄様になって下さって嬉しいです。でも、今のお兄様の姿……それに、えんかしんというのは?」
『あー、焔火神な。俺の本当の神格だよ』
選ばれし高位神は、普段出している仮の神格の奥に、真の神格を持っている。フレイムのように最高神になり代われる分け身の御子神であれば、親神の神位に通ずる真の神格を有している。それが焔火神だ。
そして、焔火神としての姿――フレイムの真の本性にして全力を出した姿が、先ほどの赤髪赤眼なのだという。火神から直に分かれ出た存在であることから、焔火神の神格を解放した際の神威は母神と同じ赤色となる。
そう説明を受けたフルードは感嘆の眼差しを向けた。
「お兄様って本当はすごい神様なんですね!」
何気に失礼な台詞だが、フレイムは微塵も不快な様子を見せず明るく笑った。
『おぅ、実はすごいみたいなんだぜ俺! 自分でもよく分かってねえけどな!』
そして、フルードの目を真っ直ぐに見据えて言う。
『セイン、お兄様がお前を守る。強くしてやる。不幸になんかさせねえからな。安心しろ。それで……良かったらお前も俺に教えてくれよ。人間のことを』
「えっ?」
『お前と触れ合ったおかげで人間に興味がわいた。もっと知りたいと思うようになったんだ。人間がされて嫌なこと、悲しいこと、痛いこと。逆に嬉しいこと、楽しいこと。人間の感覚と思考を俺に教えてくれないか。どんなことをされたらどう感じるかを』
思いもよらない言葉にポカンとしたフルードは、慌てて気を取り直して頷く。
「分かりました。僕で良ければ」
『ありがとうな。一緒に教え合っていこうぜ!』
弾けるような笑顔で宣言したフレイムが、フルードの手を引いて歩き出した。
「どこにいくんですか?」
『決まってんだろ、お前が最初にやるべきことをやりに行くんだ』
(ああそうか、さっそく修行だ。きっと基本から教えてもらえるんだろうな)
密かに緊張していると、山吹色の眼差しが向けられた。
『さぁ、遊ぶぞ!』
「は、はい! ――え?」
『お前が今一番やるべきことは、よく遊んでよく食ってよく寝て、心から笑ってのびのびと過ごすことだ。修行はそれから! 一緒に遊ぼうぜ。人数が必要なら俺の従神も呼んでやる。何がしたい?』
「あ、えっと……でも僕、両親からも貴族からも、遊んでも食べても寝ても笑っても駄目だって言われていました。僕ごときの分際で分不相応なことをしてはいけない、死産だった兄もそんな贅沢は絶対に許さないだろうって』
おずおずと言うと、フレイムが立ち止まる。端整な顔立ちが痛みを堪えるように歪んだ。
『セイン。お前のお兄様は俺だ。その俺が良いと言ってるんだ』
「あっ、そうですよね。だけど、どんな遊びがあるかよく知らないですし……」
そう言ったフルードは、ぎゅっと体を硬くした。
「そういえば、一つだけ許されてた遊びがあります。父親との格闘技ごっこです。遊んでやると言われて、毎日毎日締め上げられて骨を折られました。いつも泣きながら気絶して、水をかけられて起こされて、また同じことが始まって……あんなのもう二度と嫌です。お兄様、僕、遊びたくないです。修行を付けて下さい」
『今すぐ認識を修正しろ。格闘技ごっこは遊びじゃねえ。虐待だ。遊びと言い張るクソ親が間違ってたんだよ』
力強い声にきっぱりと断言される。
『クソ親と俺とどっちの言葉を信じるんだ?』
「お兄様です」
間髪入れずに即答すると、フレイムの双眸が満足げに細まった。
『じゃあ俺を信じろ。お前は普通の子どもみたいに遊んでいいんだ。それからお前の親がしてたのは遊びじゃねえ。分かったな』
「はい……」
小さく頷いたフルードは、外で見かけた兄弟姉妹の姿を思い出す。自分の兄が生きていたら、あんな風に仲睦まじくしてくれたのだろうかと何度も考えた。彼らが何をしていたか思い出しながら、口を開く。
「お兄様……僕、高い高いして欲しいです。抱っこ……はしてもらいましたから、おんぶも」
高い高いは幼児に対する行為だが、異様な環境で育ったフルードはそのことすらよく分かっていなかった。
「あと、僕はやったことないですけどかくれんぼとか駆けっことか、それにおやつを半分ことか」
『よし、任しとけ。全部してやるから』
手始めにと両脇の下に手を入れて持ち上げられ、高く掲げられた。
「わぁっ」
グンと高くなった視界に歓声がこほれる。
『体を動かす遊びも頭を使う遊びも、それから盤上遊戯も、全部教えてやるよ。これからはめいっぱい楽しみな。たくさんたくさん笑うんだぞ』
そう呟いたフレイムは、『そ〜れ』と掛け声をかけながら、目を丸くしてキョロキョロと周囲を見回す弟を優しく上下に揺らす。そして、再び足を進め始めた。
嬉しそうな声を上げて喜ぶフルードと、それを抱えたフレイムの姿は、ゆっくりと広間から消えた。
ありがとうございました。




