優しいだけでは㉟
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月日が経つのはあっという間だ。永劫の時を在る神であればなおのこと。
『教えることは全て教えました。今のセインの実力と心技体なら、その気になればすぐにでも大神官や神官長を継げる』
自身の領域にある広大な神苑にて、緑地の上に横たわったフレイムは、ゴロンと寝そべる狼神と並んで話していた。
「狼神様、お兄様!」
少し離れた場所で神苑に生えた天樹の実をもいでいたフルードが、笑顔で手を振っている。13歳になった彼は、すらりと細い手足を持つ中性的な姿に成長していた。少年にも少女にも見える。髪は伸び、肩よりも長くなっていた。そろそろ切ってやるか、くくる紐をやるかした方がいいと、フレイムは思った。だが、当人は気にせず小走りでこちらに駆け出した。
「こんなに採れました」
光を超える速さで縦横無尽に飛び交う神樹の蔦を一瞥もしないままあっさり捌き、天から弾丸掃射のごとく降り注ぐ結晶の刃を軽々と聖威でいなし、籠いっぱいに詰まった実を見せに来る。この神苑の全てが修行場になっているが、もはやどれもフルードの相手にはなれない。
やって来たフルードは、そろって寝転ぶフレイムと狼神を眺めて首を傾げた。籠を置くと、自分も真似をして二神の間でコロリとひっくり返る。珍妙な川の字の出来上がりだ。フレイムが仰向けのまま顔だけをフルードに向けた。
『おー、よく採ったなぁ。狼神様に持って帰ってもらって、残りは煮詰めてジャムにしてやるよ。熱々のスコーンに塗って食べるの、お前好きだよな』
「スコーンも美味しいですけど、できたてのフィナンシェに付けて食べたいです」
『分かった分かった、フィナンシェも焼いてやるから。クリームも要るだろ』
「はい!」
麗らかな日差しに目を細めながら、パァッと瞳を輝かせるフルード。
「アシュトン様……ローナちゃんにも送りたいです。当真様と恵奈様と、聖威師の皆様にも」
アシュトンは今年で12歳。誕生日を迎えると同時に成年相当になった。一位貴族や大公家に生まれた子女は、通常の家の子どもより早く大人になることを求められる。
具体的には、12歳で成年相当となり、制限付きではあるが成人に準じる権限と義務を得る。そして三年間は先達から指導を受けながら自己研鑽に励み、15歳で正式な成年となる。
アシュトンが成年相当になった祝いとして、フルードはフレイムに頼んで髪飾りを贈った。花の形をした小さな宝石をいくつも連ねた――可愛らしい女の子用の髪飾りを。
アシュトンはすぐにフレイムの領域に映像付きで連絡を寄越した。
『あの、これ……』
髪飾りを手に困惑顔で言うアシュトンに、フルードは穏やかに言った。
『アシュトン様って女の子ですよね?』
『…………!』
アシュトンが小さく息を呑む。
『過去の光景を視た時、女の子っぽい口調で喋っていましたし……僕が天界に行く前に抱き付いて謝ってくれた時、神官衣の胸元から、薄ピンクでレース柄の女物のハンカチが覗いていたんです。後は、ここで修行して力を付けていく中で、もう一度あなたの気をよく思い出してみたら、女性の気配だったので』
『……そうでしたか。ご推察の通り、私は女です』
完全に見抜かれたと悟ったアシュトンは、素直に真相を話してくれた。
生家のイステンド大公家では、かつて一族の婦女子が相次いで早世した時期があった。イステンドの家に生まれた娘のうち、赤子から30歳までの女性が、立て続けに落命したのだという。
そのため、一族の娘は31歳になるまで男装する伝統が生まれ、現在まで続いているそうだ。事情を知っている周囲も、平時はその娘を男として扱うらしい。
貴族や中堅以上の神官ならば周知の事実だが、平民から神官になったばかりのフルードは知らないため、もう少し経ってから伝えるつもりだったそうだ。まずは聖威師のことに慣れてもらってから、と。
『いつかアシュトン様が本来の性別通りの格好をして、この髪飾りを付けてくれたら嬉しいです』
フルードは正直な気持ちを伝えた。もしかしたらアシュトン自身の意思で、女を厭うて男装しているのかもしれない。そう思ってあからさまなドレスなどは贈らなかったが、私情ではなく家の慣例だったならば遠慮は要らないと思ったからだ。
すると、アシュトンはえっと呟いて固まり、頰を赤らめてしばしモジモジした後で小さく頷いた。
そして、何故かその日からフルード宛てに手製の菓子や小物を送って来るようになった。秘め名であるローナと呼んで欲しいと言われたのでローナ様と呼びかけたところ、とっっっても嫌そうな顔で様は不要ですと返された。
アシュトンの性別を知っている当真や恵奈からは、プライベートではローナちゃんと呼ばれていると聞かされたので、真似してちゃん付けにしてみると、一転して上機嫌になった。
……フルードは知らなかったが、男装中のイステンドの娘に女性の装いをして欲しいと話すのは、お付き合いを申し込むのと同じ行為だったのだ。後で当真と恵奈から教えられて初めて知った。それから、なし崩しにアシュトンと付き合うようになった。
フルードがその時のことを回想していると、フレイムが言った。
『んじゃあ、狼神様用とアシュトン用に形が良い実を選り分けて、袋に入れて来てくれるか』
「分かりました!」
にっこり笑い、えいっと弾みを付けて起き上がったフルードは籠を掴み、葉っぱや花びらをくっ付けたまま走っていった。その無邪気な姿は、とてもライナスたちに匹敵する聖威師には見えない。だが、あどけない内に隠された真価を、神の眼は正確に見通している。真の強者は、必ずしも一目でそうと分かる様相をしているとは限らない。
すっかり気を抜いている狼神の灰銀の尾が、草花の上でピョコンと揺れた。
『いやはや、4年弱でセインの心を回復させ、修行も終わらせるとは。いえ、3年弱で、でしょうか。本当は1年前に修行は完了していたでしょう』
『お見通しですか。狼神様には敵いませんね。この1年は、万が一を考えての最後の様子見期間でした。ですが問題や不備は見当たらなかったので、もう大丈夫かと』
『ふふ……やはりあなたに託して正解だった』
『あの子が頑張ったからですよ』
自分の手柄ではないと、フレイムは首を横に振った。
『もう召し出しを終え、地上に戻してもいい頃だと思っています。俺たちにとっては非常に辛いですが、聖威師の役目を果たせていない期間が長くなるのは良くない。あまり長引かせていれば他の神々からも疑問の声が上がるでしょうし、そろそろ潮時です』
『そうですな。では近い内に……』
二神が合意しかけた時。フレイムが眉を寄せてあらぬ方を見遣る。頭をもたげた狼神もだ。
『おや、来訪ですか。しかしこの気配は……その反応を見るに、あなた様も想定外の客で?』
『ええ、招いた覚えはありませんよ』
すぐに領域の入口がざわつき、フレイムの従神がやって来た。そつのない動きで狼神に叩頭し、主に向き直る。
『ちーす、大変っすよ大変~!』と騒ぐいつもの軽薄さは鳴りを潜め、硬い顔で述べた。
『焔神様、鬼神様がお見えです』
『ああ、分かってる。門を開けるから入っていただけ』
何故鬼神がここに来るのか。疑問符を飛ばしながら、フレイムは同格の神を迎えるために体を起こした。その眼に拒絶の色はない。例え悪神であろうと、神である以上は大切な同胞だ。中には若干反りが合わず取っ組み合いになった神もいるが、それも喧嘩友達のようなものだ。神々は根底では皆仲が良い。
だが――起き上がったフレイムは、出現させた外套を羽織って身なりを整えたものの、門まで迎えには行かない。当然のように神苑の中心に佇んでいる。それを見た狼神が含み笑いを漏らした。
『ほほぅ、これはこれは……どうやらあの時の直々の出迎えは、可愛いセインのための特別対応だったようですな。本来の対応法はきちんと分かっておられましたか。ふふ、その節は説教して悪いことをいたしました』
面白そうな声音に、フレイムは肩を竦める。
『弟を出迎えるのは兄として当然ですから』
従神に先導されてやって来た鬼神は、見た目だけならば20歳前後の容姿をしていた。寒気がするような整った顔立ちに、くるぶしまで届くほど長い漆黒の髪を流した女神だ。耳と爪は鋭く尖り、縦に裂けた瞳は光を通さない鈍い灰色。左右の側頭部からはねじ曲がった2本の角が生えている。
『ようこそ鬼神様』
フレイムは外套を払い、流麗な所作で一礼した。狼神が目を細める。
『また珍しい形を継続しておられるのか。ここ数年はずっとでございますな』
端麗な容貌の鬼神。これは彼女の本当の姿ではない。本来の鬼神は、もっと恐ろしい化け物の形をしている。だが数年前、人間を奇跡の聖威師に見初めてから、急にこのような容姿に変化するようになった。
愛し子が可愛いあまり、悪神でありながら人間の美醜に合わせているのでは、というのが神々の見立てだ。そこまでさせるほど、真の意味での愛し子は主神に対して影響力を持つ。
『一概に珍しいとも言い切れないわよ。狼神様は私の真価をご存知でしょう』
滴るような色香を含む声で返し、鬼神が妖艶に微笑む。狼神が尻尾を一振りして笑い返した。
『ああ、そうでしたな。これは失礼』
鬼神のこの姿が全くの偽りかといえばそうではない。奇跡の神であり選ばれし神でもあるこの女神もまた、フレイムや狼神と同様に真の神格を持っている。最高神にすら届くその神格を解放した時の彼女は、異形の姿から一転し、今の容貌に近い麗姿になるそうだ。
フレイムは、かつて取っ組み合いの喧嘩をした神を思い出す。彼も悪神だ。その正体は末の邪神。悪神の長にして四大高位神に匹敵する影の最高神・禍神の分け身であり御子神だ。無数の蛆虫を這わせ腐食の黒炎を纏う骸骨の姿が、邪神としての本性である。
しかし――やはり選ばれし神である彼も、最高神に達する真の神格を有している。滅多にないことだが、それを解放して真の姿を取った時には、凄絶に美しい青年神として顕現するらしい。
最高位の神として君臨する時の悪神は、美醜の域を超えた神々しい容姿で顕れるのかもしれない。
『それで、此度は如何様な用向きでこちらに? もちろん、用事がなければ来ないで欲しいという意味ではありませんので、誤解なきよう』
意識を切り替え、フレイムが問いかけた。鬼神は婉然と唇を持ち上げ、黒髪を翻して優雅に一礼する。
『承知しているわ。こちらこそ突然お邪魔して申し訳ないわね。けれども、どうしても狼神様と焔神様にお話ししておくことがあるものだから。お二人がそろわれている今が好機と思って伺ったの』
『話とは?』
『私の愛し子のことよ』
狼神が耳をピクピクとそよがせた。
『鬼神様の愛し子――奇跡の聖威師ですか。数年前に見初めて以来、大事に大事に抱え込んでおられる寵児ですな』
『ええ。狼神様と焔神様と同じ方法を使ったわ。一の邪神様にお願いしてあの子を召し出してもらい、天界に留め置いているの』
主神が己の愛し子を召し出すことは禁止されている。それを可とすれば、いつまでも己の領域に囲い込んでしまうためだ。召し上げたいならば別の神に協力してもらう必要がある。
ただ、あまりその手法を頻発すると最高神からストップがかかる上、愛し子が地上に戻った後に主神が寂しさでとんでもないことになるリスクもあるので、聖威師の召し出しはそれなりの理由と状況がなければやらない。
灰銀の目が麗しい女神をじっと見つめた。
『私もそう聞いております。私が言えることではございませんが、思い切ったことをしたものです。おかげでその子の情報がほとんど入らず、地上にいる神官長や大神官たちも困惑しているようですぞ』
『聖威師として必要な修練はこちらで受け持つから心配無用だということは伝えているわよ。それに、幾度か愛し子とライナスたちを話させたことはあるわ。一の邪神様の領域から届ける映像越しだったけれども』
『しかし、件の愛し子はあなた様の神威で編まれたローブを目深にかぶっており、顔も容姿も分からなかったとか。声は聞き取れたものの鮮明には聞こえず、物静かであまり喋らない印象を受けたが他のことは不明だったと』
随分と厳重な措置だと、二神のやり取りを聞いているフレイムは思った。滅多に生まれ出ぬ奇跡の愛し子なので、悪神側も慎重になっているのだろうか。
『聖威師は大神官か神官長になるのが慣例ですが、主神が悪神となれば神官たちがパニックを起こしかねない。神官府としては早いうちから先手を打って準備しておきたいはずです。かくいう私も、早く奇跡の聖威師に見えたいと思っているのですがねぇ』
狼神の催促に、鬼神は玉を転がすように笑った。
『もうローブ無しのあの子に会っていただけるわ。今まではまだ準備ができていなかったものだから。でも、私の愛し子も狼神様の愛し子も修練が終わったから、もう大丈夫よ』
『はい?』
フレイムは思わず割り込んだ。
『セインの修行が終わったことと鬼神様の聖威師に何か関係があるんですか?』
『実はあるのよ。――私の愛し子の名は、アリステル・ヴェーゼ・レシスというの』
狼神とフレイムは同時に眉を顰めた。レシス。それはフルードと同じ家名だ。
『…………』
暴風が吹き荒れる予感がする。猛烈に。
身構える中、鬼神の言葉が飛び出した。
『ヴェーゼはフルード・セイン・レシスの兄よ。表向きは死産ということになっているけれども、実はあの子は生きていたの。今、14歳よ』
暴風どころか大嵐だった。
ありがとうございました。




