69.番外編 優しいだけでは㉚
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「わーそらがぴかぴかしてるー。きれいだなー」
神官府にある離れの一つの陰にて。爆炎と暴風、衝撃波が絶えずぶつかり合う空を眺め、膝を抱えて座ったフルードは棒読みで呟いた。その表情からは一切の感情が削げ落ちている。早い話が精神的な容量超過だ。小さな体には炎の守護が纏わされており、彼の安全を保障していた。
フレイムは嵐神と悶着を起こして不死鳥を召喚した時、その炎に紛れてフルードそっくりの形代を作って入れ替え、本物は別の場所に転移させていた。
『このVIPを諦めさせたら拾いに行くから待ってな』
という念話付きでだ。
「しんかんふのせいそーいんとぶいあいぴーってつよいんだー。すごーい」
清掃員とVIPの戦いだと信じている彼が、虚ろな目で言葉を読み上げた時。
「フルード神官!」
軽やかな足音と共に、声が聞こえた。無表情のままクルリと振り向くと、真剣な眼差しの恵奈が立っている。恵奈の横には、ローブを纏った人影が佇んでいた。フードを目深に被っているため、顔は見えない。
フルードの体がビクッと震える。身を覆う炎の守護が警戒するように蠢いた。
「大丈夫よ、もう何かしたりしないわ。この方が来て下さったから、あなたを助けられるのだもの」
安心させるように微笑んだ恵奈が、ローブを纏った人影を示す。ひょろりと細い人影が前に進み出た。
『やぁ。君が手紙にあった子かな』
「……え?」
人と話したことで心が動きを再開し、表情が戻って来たフルードは瞬きした。
『返事ではああ書いたけど、やっぱり気になってね。同胞たる聖威師がこれだけ必死に頼んでいるんだから。それでまあ、天珠の収穫は真っ只中だし、奇跡の聖威師は誕生するしで色々と騒々しいけど、時間を作って来たんだ。そしたら何だか空がとんでもないことになっていてさ』
風が吹き、フードが一瞬だけめくれる。非常に整った顔立ちで、寝起きの猫のような糸目をした青年の容貌が垣間見えた。
『何故僕の義弟君が、燃える鳥に乗って嵐神ちゃんと空中を激走しているんだろう?』
小さく呟いた声は、フルードには届かなかった。青年が声量を上げ、改めて尋ねる。
『ねえ、どうしてこの状況になったのかな?』
「それは僕が知りたいです」
心の底からの思いを返すフルード。
『あらら、分からないのかい。ならいいよ、後であの子たちに直接聞くから』
「運命神様」
恵奈がやんわりと口を挟んだ。
「改めてお願い申し上げます。どうかフルードをお救い下さい。この子に待ち受ける未来を、光ある幸福なものに変えてあげて下さいまし。このまま地上に残っても、優しい魂が果てることがなきように」
『分かっているよ。同胞が希う通りの運命を奏でてあげよう』
青年がフードを外した。茶色と金色の中間のような髪がこぼれ出る。
運命神ルファリオン――最高神に続いて顕現した最古の神の一柱。その無双なる神威で生み出した竪琴を奏で、運命を自在に操る選ばれし高位神。フレイムの姉、煉神ブレイズの夫でもある。
『さぁ、本題だ。まずは聞かせておくれ。君の、現在の運命の調べを』
フルードの眼前まで歩み寄り、その身の内にある魂を糸目のままじっと見つめる。
『……何だこれは』
そして、薄く目を見開いた。紫水晶の双眸がちらりと覗く。右目は薄紫、左目は深紫のオッドアイだ。
『……君の旋律が、途中から根こそぎ変わっている。どこかで運命の調べが根底から書き換えられたんだ。本来進む道が全く別のものに変えられた』
予想外の言葉だったのだろう、恵奈が目を見開いた。
「ですが、確かに未来が確定したのが視えましたわ。私だけでなく聖威師全員にです。あれから三日しか経っておらず、その間フルード神官はずっと邸内で謹慎していたのに、行く末が変わることなどあるんですの?」
言いながら聖威を発動し、変わった未来を確認して大きく目を見開く。
「本当ですわ。こんな……こんなことが……四大高位神様も運命神様も介入していないのに、一度はっきりと定まった未来が変わるなんて」
信じられないとばかりに呟きながらも、推測を立てる。
『もしや狼神様ですの? 運命神様や狼神様は奇跡の存在。性質も性格も嗜好も異なる五種の最高神全てに認められ愛されていらっしゃる。地水火風だけでなく、禍にまで。本来ならば生き餌としてしか愛し子を持たぬ悪神すらも虜にし、通常の神の愛し子と同様の寵愛を授けさせる。幾重もの意味で奇跡の存在があなた方なのですから』
だが、ルファリオンは首を横に振った。
『いや、狼神様の力じゃない。炎が燃えている。これは焔神……僕の義弟君の神威だ。焔神は最高神たる火神に成り変われる存在だ。その気になれば運命操作も未来変更も可能だろう。といっても、無理に未来を変えれば別の場所にシワ寄せがいく。なのに、この子の旋律にはどこにも歪みが見られない。これはすごい。義弟君は本気の本気でこの子を守り抜くつもりだ』
そして、さらに続ける。
『だけど、これは何だろう? 君が今まで奏でて来た旋律を聞いてみたら、何重にも層ができている。意識下と無意識下で複数の音色を持ち、それらが複雑に絡み合っている。君って別に多重人格とかじゃないよね。……ん? この音は何かな。無意識下で鳴っているこれは……』
フルードの魂を表層から奥まで俯瞰するように、彼が辿って来た運命の軌跡を見透かしていたルファリオンは、数瞬沈黙した。静かに頷く。
『なるほど、分かったよ。そういうことか。……君は死にたかったんだね』
ありがとうございました。




