64.番外編 優しいだけでは㉕
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全員の表情が変わった。オルハ王国は帝国の属国だ。オーネリアが鋭く言う。
《何ですって、高位神の神器が!? では妖魔が高位の神の力を手に入れたということですか。何故そんなことに!?》
《遠方で行う神事のため神官府の結界の外に持ち出したところを突かれたと……どうせ何も起こりはしないと油断し、規定より警備を手薄にしてしまっていたようです》
ライナスが舌打ちした。窓口担当の神官はおずおずと続ける。
《また、ここからは先方の要望ですが……妖魔が暴れたために重症者が多数出ており、オルハ王国の神官では対処が追いつかないため、帝国神官府にある上級の治癒霊具の貸し出しと応援神官の派遣、できれば聖威師にも一名来て欲しいそうです》
厚かましい依頼に佳良が青筋を立てた。顔をしかめた当波が念話に割り込む。
《妖魔と神器には私が対処する。しかし、高位神の神器は力が強大で広範囲に及ぶ。神官府や都からも鎮圧の様子が見えてしまい、神官と国民が動揺するかもしれない。遮断結界を張っても、高位の神器が相手では隠し切れないだろうから、それを踏まえて動く》
そして、佳良とオーネリアを見て続けた。
「すぐに帝国と皇国の国王及び大臣に連絡して下さい。高位の霊威師と連携し、都の混乱を最小限に抑えるよう動いてもらわなくては」
「分かりました。皇国の国王と重役に話して来ます。オーネリアは帝国の方をお願いします」
「承知しました、佳良様」
ライナスが眉を顰め、仕方なさそうに言う。
「では私は応援の神官を連れてオルハ王国に行き、応急の治療をして来よう。なるべく早く戻る。恵奈には神官府内の神官たちを落ち着かせる役を担ってもらう。その後はフルードの追跡と始末をしてもらえるよう頼んでおく。アシュトンと当真はひとまず待機させる」
「その間にフルード君が神官府から逃げてしまわないかい? 聖威の使用に厳重な制限がなければ、遠隔で手を下すくらい簡単だというのに……まったく不便なものだよ」
「取り急ぎあの子の出府を禁止する結界を張り、神官府内に閉じ込めておく。急がなくては……これ以上時間をかければ、強制昇天されそうになった恐怖とトラウマであの子の心が壊れる。それでは本末転倒だ。命を狙われていると気づかれぬうちに一息にやらねばならなかったのに、子どもたちが先走るは意味不明な清掃員が出てくるわ……とにかく、一刻も早くあの子を神に戻してしまわねば」
それで異論なしと視線を交わした四人は、それぞれの持ち場に走った。
少し時を置き、神官府の真ん中にある時計塔に一条の光が走った。塔の上空に異形の怪物が転送される。黒い皮膚に爛々と輝く禍々しい赤目、青白い唇。頭から長く伸びるねじれたツノ。妖魔だ。
光に気付いて見上げた神官たちが悲鳴をあげる。城下町からも動揺の気配が伝わって来た。神官府の時計塔は、位置によっては街からも見える。同じく上を見た国民が妖魔に気付いたのだ。近くで待機していた当波は、険しい顔でオルハ帝国の神官府に毒付く。
「空か……よりにとって一番目立つ位置に転送して来るとは」
それでも、神官も民も恐慌状態にまではなっていない。聖威師が出てくれると分かっているからだ。恵奈が迅速に動き、オーネリアと佳良から連絡を受けた国王と高位の霊威師が即座に対応人員を転移で送り込んだおかげでもある。
時計塔に降り立った妖魔が、状況を確認するように周囲を見回した。
《何だここは? 苦し紛れにおかしな場所に転送してくれたようだな。……まあどこでもいいか。人間に我の味わった苦しみの一端だけでも思い知らせてやれるならば》
小さな呟きは、聖威を発動させていた当波の聴覚にしっかりと届いていた。当波は時計塔を見上げて妖魔に念話を飛ばす。
《聞け、ここはミレニアム帝国の神官府だ。私は神千国神官府の大神官。一度だけ忠告しよう。お前が身の内に取り込んだ神器を返し、すぐに人里離れた場所に立ち去れ。さもなくばここで殺す》
そう言われて大人しく返す奴はいないだろうと思いつつも、一度は勧告する。案の定、妖魔は取り合わなかった。
《ここが宗主国の神官府か。それはご立派なわけだ。――神器は今すぐには返せぬ。我にはやらねばならぬことがある》
そして街に向かって跳躍する。当波は間髪入れずに後を追った。
◆◆◆
「私と当真さんは待機だそうです。フルードさんは、恵奈さんが神官たちを落ち着かせた後で手を下されるから私たちは何もしなくて良いと」
帝国神官府の庭園の片隅で、当真と共にフルードの側から遠ざけられたアシュトンが淡々と言った。
「それにしても、フルードさんはどうやってあの爆発から逃れたのでしょう? 私としてはかなり入念に準備をしたのですが」
「清掃員が助けてあげたみたいだよ。僕も邪魔されたんだ。あの清掃員たちは何で塔の中に入れたのかな?」
顔を見合わせた二人は、小さく溜め息を吐いた。当真が悲しそうに顔を伏せる。
「父上たちもひどいよね。務めをこなす時は年齢関係なく一人前の聖威師だと言っておいて、こんな時だけ子ども扱いで遠ざけるなんて身勝手だよ。フルード君は僕たちと同年齢なんだよ。一番親しくしていたのは僕とローナちゃんなのに」
「当真さん、外ではアシュトンとお呼び下さい」
「あ、ごめん。ねえアシュトン君、最後は僕たちの手で幕を引きたいよね」
「できるなら……。しかし、もうフルードさんに気付かれました。私たちの手で終わらせたいならば急がなくては」
アシュトンの碧眼が、当真の漆黒の双眸を見た。
「当真さんの婚約者はご優秀ですから」
「そうだね」
当真はやんわりと微笑んだ。当真と恵奈は婚約者同士だ。唯全家と宗基家。共に皇国の一位貴族であり、家柄は釣り合っている。少し前、恵奈の父と妹が天威師を騙る騒ぎを起こしたことで宗基家の評判に傷が付いたことで、残された跡継ぎである恵奈を守るため、当波が両家の婚姻を決めた。
9歳差の相手だが、当真は気にしていない。高位の貴族であれば、一回り以上年が離れた者と結ばれることもざらにある。加えて幸運なことに、当人同士の相性も良かった。当真と恵奈は互いを好ましく思っている。
聖威師は老化しないとはいえ、恵奈をあまり待たせても悪い。自分が17歳くらいになったら子をもうけられれば良いと、当真は考えていた。
「恵奈さんはきっとすぐに神官たちを安心させて、フルード君の件に着手するよ。……だから、やっぱりお越しいただいていて良かった」
当真とアシュトンは頷き合い、ゆっくりとある一点に視線を移す。
そこに佇んでいたのは、二人の絶世の美女だった。
「ほほほ。ご覧下さいな嵐神様、池を泳ぐ鯉の優美なこと」
輝く宝石をふんだんに取り付けた真っ青なドレスに、鮮やかな緑色のショールを纏った華奢な女性が、ほっそりした手に持つ扇子を優雅に揺らして笑う。目が醒めるような金髪は軽く結い上げて流し、瞳はドレスと同じ色をしていた。
「私も驚いている、孔雀神様。所詮人の世の庭よとは侮れぬものだ」
応じるのは、涼やかな目元をした女性。こちらはしなやかな体躯に装飾のないシンプルな若草色のドレスを纏い、日傘を持っていた。横髪を残し、頭上高くで一つ結びにして垂らした髪の色は薄い金。瞳は深緑。
庭園を流れる池を見ながら笑顔で話していた二神は、こちらを見つめる当真とアシュトンに気付くと、砂糖菓子のごとく甘やかに相好を崩した。
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