48.番外編 優しいだけでは⑨
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四阿の向こうからほんの僅かに、驚いたような気配が漂って来た。
「いや、しかし……」
「実はここでこっそり聖威の練習をしていました。狼神様からいただいた神器も出して、使い方を確認していました。それらの気配が混ざり合ってしまったものと思います」
「何だって?」
当波の眼差しと声が厳しくなった。
「君はまだ未熟だ。万一暴発する危険を考えて、聖威や神器を用いた訓練は単独で行わないようにと重ねて指示を受けているはずだろう?」
「はい……」
「なのに一人で練習したのだね。してはいけないと分かっていて?」
「申し訳ありません。早く力を使いこなしたくて焦っていました」
「……そうか」
静かに頷いた当波が軽く手を閃かせると、彼の聖威が凝り、細い棒が現れる。フルードの全身が恐怖と緊張で硬くなった。急速に喉が渇いていく感覚に、コクンと唾を飲み込む。
「手を出しなさい」
「はい」
素直に両手の甲を出すと、棒がしなった。直後、鋭い痛みと共にパァンと音が弾け、フルードの白い手が赤く染まる。
それでも、なるべく表情を変えずに耐える。これは、両親や買い手の貴族から受けていた理由なき暴力とは違う。規則違反に対する罰則であり躾けだ。
強大な力を駆使する神官は、己の力加減を誤れば周囲に取り返しのつかない大損害を与えてしまう。ゆえに、言っても分からないようであれば、痛い思いをさせてでも反省させることがある。それは当然のことだ。
きっちり三回棒を振ってから、当波は腕を下ろした。
「特別に三回にしておく。オーネリア神官長には罰則の規定通り五回打ったと報告しておくから、話を合わせなさい。いいか、独断での単独練習は二度としてはいけないよ」
「はい。ありがとうございます」
心臓が早鐘を打っている。込み上がる震えを抑えながら頭を下げた時、脳裏に念話が弾けた。
《なあチビすけ、今のは何だ? 棒なんか振って……遊んでたわけじゃねえんだろ?》
四阿の陰にいる青年神だ。フルードが返す前に、従神の一柱が割り込んで来た。
《会話の内容から考えますと、処罰を受けたのではないかと。我々を庇って自主訓練をしていたと言っていましたが、おそらくそれはしてはいけないことだったのでは》
どうやら従神も参加可能な念話網が張られているらしい。当波は気付いていないようなので、彼だけを念話対象から抜いている。
《……そうなのか?》
青年の語調が変わった。
《あんな細い棒でぺちぺちするのが処罰なのか? 聖威で生み出されたとはいえただの棒だったよな》
《人間はあれでも痛みを感じるみたいっすよ。俺らとは感覚が違いすぎるんでイマイチ分かりにくいっすけど。聖威師は神格を抑えてるから人間寄りの痛覚を持ってるそうなんで、仕置きにはなるんじゃないっすかね》
《マジかよ……おいピヨピヨ。じゃあお前は俺たちを庇って痛い思いをしたってことか? かなり赤くなっているがどれくらい痛かった? つか、何でそんなことした? 内心では相当怖がってただろ》
さすがは神というべきか、内面の状態を見通されていたらしい。矢継ぎ早に尋ねられ、フルードは慌てて答えた。
《いえ、私は端くれとはいえ聖威師ですから。肌が白いので赤みが目立ちますが、実際はそんなに強くは叩かれていません。痛みもそれほどありません》
フルードの背後にいる狼神の七光りに守られ、傷にならない程度に軽く打たれるだけで済んだ。
《私は……隠れている者を差し出すようなことはしたくないのです。だって見付かったら怒られるのでしょう?》
《だからわざわざ嘘まで吐いて庇ったのか? バカだなお前、俺の自業自得なんだから庇うことなんかなかったんだぜ。そもそも、母神に怒られるつっても大したことないしな》
青年神が呆れたように言った時、棒を消した当波が口を開いた。
「それで、今から行う焔神様の勧請だが。できそうかい? 難しければ私が代わろう。君は、今回は見て学ぶということで見学しておけばいい」
「あ、えっと……」
フルードが口ごもった時、青年神が呟いた。
《いや、お前でいい。ピヨピヨ、お前がやれ》
それを聞いた瞬間、反射的に唇が動く。
「わ、私がやります! 予定通りで大丈夫です!」
勢いのある返事になってしまったせいか、当波が瞬いた。漆黒の双眸の奥には、こちらを気遣う色がある。
「……ならば任せよう。ただし焦ってはいけないよ。君は君の速度でじっくり成長していけばいいのだから。少しずつ進んでいけば、今すぐは無理でも、将来はきちんと聖威を使いこなせるようになる」
その言葉を聞き、青年神が言葉を挟んで来た。
《お前、もしかして聖威の扱いを上達させたいのか? 精神が切迫してる気配を感じるが》
やはりお見通しのようだと舌を巻きながら、フルードは肯定した。
《上達させたい、です。……でも、教えてくれる方がいないから……》
《聖威師がいるだろ》
納得していない様子の青年神に、従神が推測を述べた。
《聖威師は手が回らないのではないかと。大掛かりな時空操作や分身などは禁止ですから、彼らは己の体一つで全ての仕事をこなさねばなりません。多忙な身で個別指導はなかなかできないのでは》
本気でフルードに教えようと思えば、方法は幾つもあるのだ。
例えば、フルードと自分以外の時間を止めて指導を付ける。時間を止めた――あるいは時間の流れが違う空間を作ってその中で指南する。分身して何人にも増え、聖威師の仕事をこなしながらフルードの稽古も付ける、など、多忙でも教える手段はある。
しかし、実際にそれらを実行することはできない。時間及び空間の操作や分身などは国法で禁術とされ、使用可能な範囲に大幅な制限がかかっているからだ。帝国と皇国が三千年の歴史を紡いでいく過程で、そのように定められた。
加えて、聖威師や天威師は己の能力の使用に十重二十重もの条件を課せられている。範囲・出力・対象・時間・回数など、あらゆることに厳しい制約がかかっており、破れば天に強制送還だ。
従って、実力的・技能的には可能でも、法律や制約の関係でそれらを行うことが不可能な場合も多い。
《だが、分身は駄目でも形代なら創れるはずだ。自分と意識を同調させた形代をチビに送って、遠隔で教えればいいじゃねえか。実技の見本を撮影しておいて後で見させるとかもあるだろ。そういうことはしてもらってねえのか?》
《は、はい。時間がある時に少しずつでも直接教えていくから、ゆっくり学んでいこうと言われるだけで……》
《へぇ――何かやたら慎重だな。お前自身は早く学びたがってるのにな》
訝しそうに呟いた青年神はそれきり黙ってしまい、当波に促されたフルードは勧請の場へ急いだ。祭壇の前で、たどたどしく招請の文言を唱える。
「ぐ……紅蓮の大神よ。大いなる慈悲と御心の下、我が声を聞き届けよ……」
そして、恙無く降り立った神を見て目を点にした。――先ほどまで話していた青年神が、何故か目の前にいる。
(ぇ……何であなたが?)
山吹の瞳が煌めき、神々しい紅蓮の御稜威が場を圧倒した。従神たちが恭しく控えて道を開ける中、顕現した青年は悠然とフルードの前に進み出た。
「あ、あの……」
展開について行けずにいると、青年神は唇の端を持ち上げて笑った。ちらと当波に向けた眼は温かく慈悲深い。すぐにフルードに視線を戻し、ゆったりと告げる。
『汝が勧請者か。我は焔神フレイム』
「……えっ?」
『我が同胞による請願を聞き届け、この場に降りた』
「――へ?」
ぽけっと青年神を見つめ、呆けたように聞き返すフルードに、斜め後ろで待機している当波が心配そうな視線を送っている。ややあって、フルードの思考が戻って来た。
(焔神……この方が!? え、ええぇっ!?)
「も、申し訳ありませ……あの、僕、えっとあの……」
どうにか口を動かすが、舌がもつれ言葉が出て来ない。四肢がカタカタと小さく震えている。見守っていた当波が前に出ようとした。
その瞬間、熱い神威がフルードの四肢と喉に絡み付いた。体が勝手に動き、美しい跪礼を取る。同時に口が滑らかに動いた。
「恐れ多くも貴き大神に申し上げます。私は帝国神官フルード・セイン・レシス。このたびは我が声をお聞き届けいただけましたこと、恐悦至極にございます」
(か、体が、声が……勝手に)
内心でパニックになるも、不思議と表情と姿勢が固定されて崩れない。当波が驚いた顔になり、次いでそっと元の位置に下がる。同時に、念話が頭の中で弾けた。
《落ち着け、俺が神威でお前を動かしてる。自分で自分のことを貴き大神とか言いたかないけどな、恥ずかしい。だが、今回はまぁ仕方ねえ。あ、唯全当主には勘付かれねえように動かしてるから心配すんな》
《は、はぁ……あの。焔神様……だったのですか。あなたが……》
《ああ。特別にもう一度名乗ってやる。――俺の名はフレイム。お前の勧請相手だ》
ニヤリと笑った焔神――フレイムが続ける。
《とりあえず、この場は俺が適当に一人芝居してやるから。何も心配せず力を抜いてろ。そして文字通り体感で覚えろ。所作を、動きを、作法を》
熱を帯びた神威がフルードを取り巻いている。だが、こちらを焼き尽くすような熱さではない。凍える者をじっくりと溶かす熾火のようだ。大きく優しく、暖かい。
《ど、どうしてそのようなことをして下さるのですか?》
《さっき俺たちを庇ってくれただろ。その礼みたいなもんだ。なぁチビすけ――フルード。これからは俺がお前を指導してやるよ。指南役が欲しかったんだろ》
思いも寄らない提案に、フルードは驚愕した。高位神が――それも火神の分け身である選ばれし神が、直々に自分を指南してくれるというのか。
《今日の勧請目的は、俺の顕現から200年経つから、その機嫌伺いだったか。よし、じゃあその体でやるぜ。恥ずかしいけどな!》
再び体が動き、優雅な仕草で翻った右手が胸に当てられた。唇が一人でに動く。
「本日は焔神様の御顕現より200年の節目にございますれば、このめでたき日に神官府より祝賀を奏上いたしたく――」
熟練の神官もかくやという完璧さでスラスラと口上を述べる様を、呆気に取られた顔で当波が眺めている。だが、一番呆然としているのはフルード自身だった。フレイムが愉快そうに笑う。
《さぁ成長していこうぜ、チビすけ! 俺が手伝ってやるよ》
その瞬間、一度も会ったことがないはずの兄が、その姿と重なった。フルードは我知らず独白する。
(僕のお兄ちゃんも……こんなに頼りになる人だったのかな)
これが、焔神とフルードの出会いだった。
ありがとうございました。




