42.番外編 優しいだけでは③
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――概要はこういうことだった。
今回は元々、天威師が出る間でもない軽度の神鎮めだった。この程度であれば、聖威師どころか経験豊富な霊威師でも事足りる。そこで、年長の熟練神官一名と若い青年神官一名、聖威師になりたてのフルードが担当になった。
しかし――青年の神官が対応を誤った。端的に言えば、神の機嫌を直していただくために用意する供物をケチったのだという。年長の神官は反対し、予定通りの供物を捧げるべきだと言ったが、彼は聞かなかった。
供物をどうするか、フルードも意見を求められた。三名のまとめ役は年長の神官だが、序列では聖威師のフルードが最上位になるためだ。
フルードは当然、年長の神官に賛同した。しかし、供物の質を落とした青年神官は、フルードが聖威師になる前まではその霊威の弱さを侮蔑し、何かにつけて厳しく当たっていた。気弱で大人しいフルードは彼を怖れ、苦手としていた。
当時の関係性が抜け切っていなかった二人は、青年神官がフルードに対して強気に接し、フルードはそれに押される形でしぶしぶながら供物の変更を受け入れてしまった。
これで二対一。しかも聖威師が消極的とはいえ相手方の言い分を認めたとなれば、年かさの神官も譲歩せざるを得なかった。
そして勧請の場で、事件は起きた。件の青年神官が供物を示し、『あなたにはこれで十分でしょう』という趣旨のことを遠回しに、慇懃無礼に告げてしまったのだという。
当然ながら、神の機嫌は急降下した。鋭い爪に腕を切り裂かれ、重傷を負った青年神官に、棘状になった神威までが遅いかかった。年長の神官は、彼を庇って代わりに棘を受けたのだという。
「僕が悪いんです。僕が供物の変更に最後まで反対していれば……」
フルードが涙で声を詰まらせる。年かさの神官は、徴を発現したフルードが神官府に入った頃から講義や実習を教え続けて来た恩師らしい。正式な師弟契約を結んで個別指導まで行い、伸び悩む教え子に寄り添いながら支え続けて来たという。
「従来の関係はどうあれ、今はあなたが上位です。下位の者一人も御すことができずしてどうするのですか」
オーネリアが言った。厳しく叱責するのではなく、静かに諭すような口調だ。
佳良に目配せされ、日香はそろりと後ろに下がった。ここからは彼女たちが引き継いでくれるらしいので、静観役に回ることにする。
「申し訳ありません……」
しゅんと肩を落とすフルードに、佳良が言い聞かせるように言葉を繋いだ。
「聖威師に見習いや研修の期間はありません。新人であろうが年齢が幼かろうが、神に見初められた瞬間から神官たちの上に立ち、絶大な影響力を得るのです。そのことをよく自覚なさい」
「はい……」
身を縮めている青年神官と、下を向いている年かさの神官を一瞥し、オーネリアが冷たく言い放った。
「この年若い神官の軽率な行為が元凶です。また、年長者でありまとめ役でもありながら適切な采配ができなかった神官にも問題があります。両名は懲罰房に入りなさい。正式な処分は追って通知します。しばらくは昇格も受賞もありません」
えっと驚愕の声を上げたのはフルードだ。
「先生まで懲罰房に!? ……ぼ、僕は? 一番立場が上だったのは僕、いえ私です。私だって処罰を受けるべきです」
「狼神様の愛し子であるあなたを、これしきのことで罰せるはずがないでしょう。精々、自邸での短期謹慎が関の山です。劣悪な懲罰房に入れるなど以ての外」
オーネリアが淡々と告げた。
「で、でも、私が供物変更に賛同してしまったから、先生は意見を曲げなければいけなくなって」
「良いのです、フルード様」
年かさの神官が穏やかに声をかけた。
「だって先生は次の式典で、王宝章を――瑠璃章を授与される予定だったのに!」
王宝章は様々な功績や成果を上げた霊威師に授与されるもので、数種類に分けられる。
難易度の高い現場任務を一定回数以上こなせば瑪瑙章、研究開発で神官府や国に多大な貢献をすれば瑠璃章、単発でもずば抜けて突出した活躍をすれば珊瑚章、その他の内容で特異な実績を打ち立てれば琥珀章が与えられる。
王宝章を授与されれば、才ある者として天の神にすら一目置かれることが多い。ゆえに、霊威師が得られる中では最も名誉かつ最高峰にある章の一つとなっていた。
なお、王宝章は人間を対象にしており、聖威師は授与対象にならない。聖威師は神から寵を受けている。それは人の世で与えられるどの章よりも栄誉なことであるため、その後にわざわざ格下の王宝章を授かる必要がないからだ。
「神官長のお言葉が正しゅうございます。全ては私の責。このたびは大変申し訳ございませんでした。どうかこちらの神官にも寛大な処置をお願い申し上げます」
青年神官を示して懇願する年かさの神官に、オーネリアはすげなく返した。
「それはこれから検討します。少しでも処分を軽くしたいならば、自らの足で懲罰房に入りなさい。……次の瑠璃章は、長年霊具の研究をしていたチームのメンバー全員に与える予定でした。あなたもメンバーの一人でしたが、授与者のリストからあなたのみ外します。今後、追加で個別に授与することはありません」
「そんなっ」
フルードが悲痛な声を上げる。だが、当の本人は見苦しく騒ぐこともなく頷いた。
「承りました。当然のご判断であると思います。……行こう」
優しく青年神官を促し、年かさの神官は自分で歩いてこの場を去った。懲罰房に向かったのだろう。
「神官長、神官長……先生をお許し下さい。私が悪いのです。最後まで反対できずに押し切られてしまったから。聖威師なのにきちんと判断できなかったから」
ぽろぽろと涙を流し、フルードが這いつくばる勢いでオーネリアに頭を下げる。
「お願いです、せめて瑠璃章だけは…。先生は以前事故に遭われて、目の前で奥様を亡くされているんです。あまりの重症で、持っていた治癒霊具でも先生の霊威でも治し切れなくて、救急隊も到着が間に合わなくて……」
研究に忙しく、なかなか夫婦の時間が取れない中、ようやく捻出した大切なひと時で起こった悲劇だったという。
「冷たくなっていく奥様は、自分をほったらかしにしていた先生を怒らなかったそうです」
震える指で夫の手を握り、『いつでも優しいあなたは私の誇りだった。どうか王宝章を取って』と、そう言って笑ったのだという。そして、自分を抱きしめる夫が頷くのを見ながら、その腕の中で息を引き取った。
「瑠璃章が内定した時、先生はとっても嬉しそうでした。やっと妻との約束が果たせるって仰っていました。先生は優しい方なんです。落ちこぼれの私を見捨てませんでした。忙しいのに正式な師になって下さって、いつも穏やかに教え下さって」
懸命に訴えるフルードを、佳良が遮った。
「優しいだけでは不十分だからこそ、今回の事態が起きたのです。あなたもあなたの師も、結局あの年若い神官に押し負けた。上位者として、あるいはまとめ役として、どちらかがきちんと供物変更を拒絶していれば、このようなことにはならなかったのです」
反論のしようがない指摘に、フルードが息を殺して黙り込んだ。
「神の後ろ盾を持つあなたは、今回程度のことでは厳しい罰を与えられません。咎は他の者がかぶるのです。これがどういうことか分かりますか? ――誤ちを犯しても自分だけは他者の犠牲の上で大切に守られ、償いたくてもその機会すら与えられないということです」
だからこそ、聖威師は失敗や過誤を起こさぬよう自らを戒め、自己研鑽に励まねばならない。それが彼らの義務だ。
「あなたの師は、彼自身とあなたが判断を誤ったために神怒を受け、壮絶な苦痛を味わい、罰せられることがないあなたの分まで責を負い、悲願の瑠璃章を逃すことになったのです。ですがあなたには、それを贖うことができない」
涙を反射して煌めく青い瞳が、真の絶望を映した。
ありがとうございました。




