第七十五章 旅路の違和感
雨音の街を出発してから数日が経った。
空は晴れていた。
風は穏やかで、街道の両脇には初夏の草花が揺れている。
旅日和だった。
それなのにどこか落ち着かない。
そんな感覚があった。
◇
「ねえ」
リリカが歩きながら言った。
隣を歩いていたセリアが顔を上げる。
「どうしたの?」
「最近さ」
リリカは少しだけ考える。
「やっぱり変なこと増えてない?」
セリアは頷いた。
「うん」
それは皆も同じだった。
妖精国のおじいさん。
風奏の街の歌。
雨音の街の手紙。
そして古い日記。
小さな違和感は、もう偶然とは思えなくなっていた。
◇
昼過ぎ、一行は街道沿いの休憩所へ立ち寄った。
旅人たちが行き交う場所だ。
荷馬車を停める者。
食事をとる者。
地図を広げる者。
穏やかな光景だった。
だが、
「おかしいな……」
近くで男性の声が聞こえた。
一人の商人が木箱を前に困った顔をしている。
「どうしました?」
セリアが声を掛ける。
商人は苦笑した。
「届け先を忘れちゃってね」
「届け先?」
「うん。積み荷はあるんだけど」
商人は頭を掻いた。
「どこの村だったかなぁって」
笑いながら言う。
深刻そうではない。
それでも、セリアたちは顔を見合わせた。
「伝票は?」
ユークが尋ねる。
「あるよ」
商人は紙を取り出した。
そこには確かに村の名前が書いてある。
「ほら、大丈夫なんだ」
商人は笑った。
「書いてて良かったよ」
そう言って去っていく。
その後ろ姿を見ながら、ユークは何かを考えていた。
◇
夕方、再び街道を進む。
小さな村を通り過ぎた時だった。
パン屋の店先で店主が首を傾げている。
「どうしたんだい?」
常連客らしい女性が尋ねる。
「いやねぇ」
店主は笑う。
「毎朝焼いてるはずなのに、一瞬だけ名前が出てこなかったんだよ」
「何の?」
「このパン」
店主は自分の看板商品を指差した。
周囲から笑い声が起こる。
「疲れてるんじゃない?」
「かもしれないねぇ」
皆笑っている。
けれど、セリアの胸は少しだけ重くなった。
◇
その日の夜、野営地で焚き火を囲みながら食事をしていた。
空には星が瞬いている。
リリカが火を見つめながら呟いた。
「なんだろうね」
誰も返事を急がない。
焚き火の音だけが響く。
「誰も悪いことしてないのにね」
その言葉に皆が少しだけ黙った。
セリアは膝を抱える。
ガルドは薪をくべる。
ユークは考え込む。
そして、レオンは火の向こうで揺れる仲間たちの顔を見ていた。
忘れる。
その言葉が頭から離れない。
もし、この時間を忘れたら。
もし、セリアの笑顔を忘れたら。
胸の奥が小さく痛んだ。
だがその時、
「レオン?」
セリアが不思議そうに首を傾げる。
「ぼーっとしてる」
レオンは少しだけ目を見開いた。
そして、
「……いや」
小さく息を吐く。
「なんでもない」
そう答えた。
セリアは笑う。
「そっか」
ただそれだけ。
それだけだった。
なのに不思議と少し安心した。
◇
焚き火の火が揺れる。
旅は続いている。
けれど、世界のどこかで起きている違和感は確実に広がっていた。
誰もまだ、その名前を知らないまま。




