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新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件 ~ 北条の覇道、その系譜  作者: 条文小説


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3/11

1-2 関東天文の乱 〜「名門」という名のプレーヤーたちが、俺の知略に絶望するまで 〜

挿絵(By みてみん)


北条五代記ほうじょうごだいき』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia

 俺の名は北条ほうじょう氏康うじやす


 世間じゃ「相模の獅子」なんて呼ばれているが、俺からすればこの世界は、古臭い「家柄ステータス」に固執した戦国武将プレイヤーたちが多すぎる、ただの乱世騒乱クソゲーだ。


 ある日、俺は一人の老兵を呼び出した。こいつは源氏や足利の歴史を異常なほど詳しく記憶している、いわば血統ステータスマニアだ。俺はあえて、世間で噂されている『関東天文の乱』の顛末について、こいつに問いかけてみた。


「おい、爺さん。関東のトップ「古河公方」だった足利晴氏が、「関東管領」の上杉憲政と組んで俺に挑み、そして無様に滅びた『関東天文の乱』について聞かせろ。足利晴氏とやらは、一体どれほどの血統ステータスだったんだ?」


 老兵は居住まいを正し、淀みなく語り始めた。俺はその情報を脳内で「血統ステータス」へと変換していく。


「……いいですか、氏康様。源氏の末流は数あれど、「古河公方」足利晴氏公の血筋はまさに唯一無二。源頼朝公から守邦公に至る9代の『先代』、そして足利尊氏公から今の義輝公までの14代、これぞ「古河公方」足利晴氏公の正統ロイヤルなる歩みでございます」


 老兵の話をまとめると、「古河公方」足利晴氏の血統ステータスはこうだ。足利尊氏(源氏の伝説レジェンド。八幡太郎義家の三男・義国の末裔)ののち、直系が続き、関東の王「鎌倉公方」となったのが足利満兼(勝光院)。その息子、悲劇の王・足利持氏(長春院)。


 「鎌倉公方」足利持氏には4人の息子がいた。長男:賢王、次男:春王、三男:安王……そして、鍵となる四男・永寿王だ。


 「鎌倉公方」足利持氏が自害した絶望的な状況で、永寿王は信濃へ逃げ延びた。ここで登場したのが、文武無双キャラ、長尾左衛門入道昌賢だ。昌賢はこの永寿王を担ぎ上げ、元服させて足利成氏(乾享院)として公方の座に復帰させた。これが「古河公方」の始まり。


 足利成氏の息子が足利政氏、その嫡子が足利高基……そして、その長男こそが、俺に負けた足利晴氏というわけだ。


(フンッ、尊氏から10代、持氏から5代か……。確かに血筋ステータスだけは立派だな。だが、血筋ステータスだけの低レベル戦国武将プレイヤーに、俺が負けるはずがないだろ?)


「……さて、次は上杉だ」


 俺は鼻で笑いながら、爺さんの言葉を促した。


「源氏の公方が『時代遅れのロイヤル』なら、その脇を固める上杉はさしずめ『時代遅れの藩屏マネージャー』といったところか。あいつらのルーツを洗ってみろ。源平藤橘げんぺいとうきつ、どこの馬の骨だ?」


 じいさんは恐縮しながらも、さらに古い記録の断片をめくった。


「はっ。上杉殿は藤原氏の出にございます。御先祖を遡れば、宗尊親王が鎌倉へ下向された際、その御供……いわば介錯マネージャーとして随行した勧修寺かじゅうじ重房しげふさ公に行き着きます」


(……ハッ、笑わせるな)


 俺の脳内のステータス画面には、上杉の始祖が『皇族の付き添い人 』として登録された。


「なるほど。要するに、都から落ちてきた貴族の『荷物持ち』が始まりってわけか。それがどうやって、関東でデカい顔をするようになったんだ?」


勧修寺かじゅうじ重房しげふさ公が丹波の国の上杉庄を拝領し、そこから『上杉』を名乗るようになりました。さらに、当時の足利頼氏公に娘を嫁がせ、足利家と強力なコネクションを作ったのです。足利尊氏公の親類として戦った上杉憲房公は、四条河原で討死するほどの武功を立てました」


 俺は腕を組み、冷めた目で爺さんを見据えた。


「武功、ねえ…。要は足利という『勝ち馬』に上手く乗り換えただけだろう? その報酬として上野、伊豆、越後の3ヶ国を掠め取り、『関東管領かんとうかんれい』なんていう、公方の執事みたいな役職を世襲し始めた。そして、それが今の増長に繋がっているわけだ」


 爺さんが語る系譜は、まさに「過去の栄光」の羅列だった。


上杉 憲顕のりあき:伊豆に国清寺を建てた「国清寺殿」。初代・関東管領。

上杉 憲方のりかた:山内に居を構えた「明月院殿」。この頃まではまだマシだった。

上杉 憲定、氏憲、憲基:代を重ねるごとに、ただ役職を回すだけの存在へ。

上杉 憲実のりざね:養子として越中から呼ばれた男。最後は「鎌倉公方」足利持氏に逆らい、出家して周防へ逃げた。


「……面白いな。名門と言えば聞こえはいいが、その実態は養子縁組と内紛の繰り返しか。暗殺された上杉憲忠にしてもそうだ。「古河公方」足利成氏に『親の仇 』として消される隙を見せる。それが『関東の重鎮』を自称する連中の正体か」


 爺さんは冷汗を拭いながら頷いた。


「左様でございます。この上杉憲忠公の死をきっかけに、上杉家は一族の中で割れ、長尾などの家臣たちも巻き込んで、日夜、朝から晩まで合戦を繰り返す『戦国騒乱』へと突入したのです」


(やれやれ。関東管領マネージャー失格だな。時代の下剋上システムの変化に気づかず、身内同士で殺し合いを続けている)


 俺は立ち上がり、戦場となる関東の地図を指先でなぞった。


「…ハッ。爺さん、もういい。あいつらの輝かしい(?)家系図の話は腹いっぱいだ。血筋や役職なんてのは、ただの『フレーバーテキストり』だ。この関東という戦場において、本当に必要なのは、その場を支配する圧倒的な『実力』だけだ。上杉の連中に、その現実を教えてやる。」


 俺は立ち上がり、窓の外に広がる小田原の城下町を見下ろした。規律正しく、朝早くから活気にあふれる街並み。これこそが、俺たちが積み上げてきた「結果」だ。


「いいか。俺たちは朝4時に起き、火の用心を怠らず、一歩ずつ『実績』を積み上げてきた。対して貴様らは、都の香りが染み付いた家系図を眺めて一日を終える。そんな非効率な連中に、この関東の運営を任せられるわけがないだろう?」


 じいさんは震えながらも、俺の覇気に押されるように北条の快進撃を語り始めた。


 俺の祖父、北条早雲は賢かった。両上杉(山内と扇谷)が「どっちの血筋が上か」なんていう不毛なレスバを繰り広げ、東西南北で算を乱して合戦しているのを見て、「これぞ天の与える所なり」と笑って伊豆を切り取った。


 名門の自称・名門の戦国武将プレイヤーたちが、扇谷定正(病死)、山内顕定(高梨に討たれる)という無様な最後リタイアを遂げる中、俺の親父である二代目・北条氏綱は、さらに関東の体制システムを書き換えていった。


「親父殿は、扇谷の上杉 朝定ともさだを完膚なきまでに叩き潰し、武蔵と総州へ手をかけた。さらには、名門の看板だけは立派だった小弓おゆみの御所・足利義明父子をも滅ぼしたんだ」


 ここで俺たちは、面白い一手を打った。名門のプライドりを利用してやることにした。俺たちは、足利高基の息子である足利 晴氏はるうじをあえて傀儡パペットに担ぎ上げた。俺の姉を嫁がせて「婿君」にし、古河の館に据え置いた。


「関東の王は足利だが、ガバナンスは北条がやる」という、最強の運営体制だ。


 だが……。「血筋ステータス」という呪縛は、思わぬ事態を引き起こす。


「……そうです、氏康様。婿養子同然だったはずの古河公方・足利晴氏公が、あろうことか敵である山内の上杉 憲政のりまさと内通し、氏康様に牙を剥いたのです」


 天文15年(1546年)。名門の意地を見せる上杉憲政と、裏切り者の公方・足利晴氏。彼らは大軍を率いて、我が北条の重要拠点である武蔵・河越城かわごえじょうを包囲した。その数、数万。対する俺たちの援軍はわずか。誰もが「北条の終わりの始まり」だと思っただろう。


「……だが、俺の辞書に『敗北』の文字はない」


 俺は全軍に出陣を命じた。狙うは、4月20日の深夜。


「爺さん、教えてやれ。あの夜、河越の館で何が起きたか」


「はっ……! 北条氏康様は夜闇に紛れて急襲を仕掛け、数で勝る連合軍を完膚なきまでに粉砕。公方・足利晴氏公も上杉憲政も、名門のプライドりもろとも文字通り泥にまみれて逃げ出したのです。これより、関東公方の血統は絶え、上杉の家も実質的に滅亡……。これぞ『関東天文の乱』の真実にございます」


 俺は満足げに頷いた。古い家系図を誇るだけのプレイヤーたちは退場した。これからは、俺たち北条がこの関東の「唯一の体制システム管理者」として、新たなルールを刻んでいく。


 ――古い伝統も、血筋もプライドりも、俺が全て上書きしてやる。




校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)




二 関東天文乱くわんとうてんぶんらんの事


 見しは、むかし老士らうしありしが、源家げんけのいにしへをよくおぼへて語る。問ひていはく、関東くわんとう公方くばう古河こが晴氏公はるうぢこう上杉憲政うへすぎのりまさ一味いちみありて、北条氏康ほうでううぢやす合戦かつせんし、晴氏公 打負うちま御滅亡ごめつぼう天文てんぶん年中のよし云ひ伝へり。源家にはいづれの後胤こういんにておはしまし候ぞ。老士答へて、そのかみより源家の末流ばつりうあまたにわかれて分明ぶんみやうしがたし。されどもあらかじめ聞き伝ふるに、頼朝公よりともこうより守邦公もりくにこうに至る九代の間を先代せんだいと云ふ。足利治部大輔尊氏公あしかがぢぶのたいふたかうぢこう以来このかた、義輝公よしてるこうまで十四代の間を御当家ごたうけと申す。尊氏公は源家にても八幡太郎義家公はちまんたらうよしいえこうの三男、式部大輔義国公しきぶのたいふよしくにこう末孫ばつそんなり。そのより相つづき、左兵衛佐満兼公さひやうゑのすけみつかねこう関東御遺跡ごゆうせき勝光院殿せうくわういんどのと申す。満兼公の御息ごそく兵衛督持氏公ひやうゑのかみもちうぢこう長春院殿ちやうしゆんいんどのこれなり。一男賢王殿けんわうどの次男春王殿しゆんわうどの三男安王殿やすわうどの四男永寿王殿ゑいじゆわうどの。この永寿王殿は、持氏御生害ごしやうがいの時節、信濃しなのの国へ落ち給ふを大井殿扶助ふぢよ御申ありしを、長尾左衛門入道昌賢ながおさゑもんにうだうまさかた文武ぶんぶに達し関八州にほまれを得たる無双ぶさうの者なり。この人永寿王殿を取立とりたて、公方にあふぎ奉り、天気てんきをうかがひ四位少将成氏しげうぢと成し、乾享院殿けんかういんどのと申す。成氏公の一男、左馬頭政氏公さまのかみまさうぢこう。政氏の嫡子ちやくし高基たかもと熊野御堂殿くまののみだうどのと申す。高基公の長男晴氏公これなり。高氏公より十代、持氏公より五代、これを古河の公方と申す候。又問ひていはく、上杉殿の系図けいづはいつの時代より始まり、源平藤橘げんぺいとうきついづれの氏にてわたり候ぞ。老士答へて、上杉殿は藤原氏ふぢはらうぢなり。御先祖を尋ぬるに、宗尊親王むねたかしんわう一年、鎌倉へ御下向ごげかうの時、御介錯ごかいしやくとして勧修寺重房公くわんしゆじしげふさこう御供にて下向の時、丹州たんしう上杉庄うへすぎのしやうを給はり、武家ぶけに下り修理大夫しゆりのたいふ左衛門督さゑもんのかみに任ぜらる。この重房、足利治部大輔頼氏あしかがぢぶのたいふよりうぢむこに取り給ひぬ。伊予守家時いよのかみいへときは上杉腹修理大夫殿の子孫なり。重房の嫡男掃部頭頼重かもんのかみよりしげ法名座高ざかうと申す。文武二道の誉ある人なり。頼重の嫡子兵庫頭憲房ひやうごのかみのりふさ法名道忻だうきん道号雪渓せつけいと申す。丹州にては瑞光院殿ずゐくわういんどのと申す。尊氏公御親類たるにより御同心あり、四条河原しでうがはらの合戦にて討死うちじにし給ふ。その嫡男 民部大夫みんぶのたいふ受領安房守じゆりやうあはのかみ憲顕のりあき法名道昌だうしやう道号佳山かさんと申す。この時代、上州・豆州・越後三ケ国を知行し給ふ。関東官領職くわんとうくわんれいしよくのはじめなり。応安元年戊申おうあんぐわんねんつちのへさる九月、菩提所ぼだいしよとして伊豆の国に国清寺こくしやうじを立て給ふ。国清寺殿是なり。憲顕のりあきの嫡男。兵庫頭ひやうごのかみまさ。憲将の舎弟しやてい兵部少輔ひやうぶのせうゆう能憲よしのりへ。官領職をわたし給ふ。敬堂道謹きやうだうだうきん報恩寺殿ほうをんじどの是なり。其次 舎弟しやてい安房守あはのかみ憲方のりかた康暦こうれき元年己未つちのとのひつじ四月廿日官領職を給はりはじめて。山内にまします。応永おうゑい元年甲戌きのへいぬ十月甘四日六十 さいにて。逝去せいきよなり道号だうがう天椒てんじゆ法名ほうみやう道合だうかつ明月院殿めいげついんでん是なり。其次憲方のりかた嫡男ちやくなん安房守あはのかみ憲定さだ応永おうえい十二年八月十七日。官領職くわんれいしよくを給り同十九年 壬辰みづのへたつ十二月十八日。三十八 さいにして死去しきよ大全長基先照寺殿だいぜんちやうきせんせうじでん是也。其次 右衛門佐すけ氏憲うじのり。三ケ年官領職たり。法名ほうみやう禅秀ぜんしう。其次安房守 憲基のりもと。応永二十三年五月十八日。官領職を給はり。同二十五年正月四日。三十四歳にして逝去せいきよす。法名心無悔宗徳院殿しんむくわいそうとくゐんでん是也。其次安房守 憲実のりざね。是は越中の民部大輔みんぶのたゆう房実ふさざね次男じなん憲基のりもと養子やうしなり。六 さいの時 関東くわんとう越山ゑつさんあり。其後持氏公もちうぢこう逆心ぎやくしんの人なり。子息しそく三人あり。三男なん龍若丸たつわかまるをば伊豆いづくにてをき徳丹清蔵主とくたんせいざうず。両人を引つれ。上方かみかた行脚あんぎやし。応仁おうにん元年 丁亥ひのとのい周防すはうくににをいて。逝去せいきよし給ふ。高岳長棟庵主かうがくちやうとうあんじゆ是なり。次に右京亮うきやうのすけ憲忠是は長棟ちやうとう三男なん享徳かうとく三年十二月廿七日。鎌倉かまくら西御門にしみかどにて。御生涯しやうがいなり。大韶長釣興雲院殿たいていちやうきんこううんゐんでん是なり。然に西御門にしみかど憲忠をちうし給ふ。根本こんぽんと申は。持氏もちうぢ御生害しやうがいの御時。成氏しげうぢは。永寿丸ゑいじゆまるにて。信濃しなの落行おちゆき給ふ。憲忠は。龍若丸たつわかまるにて。伊豆いづの国に有けるを。其比関東くわんとうぬしなくては有べからずと。入道にうだう昌賢まさかた永寿丸ゑいじゆまる殿を。取立御元服げんぷく有て。主君しゆくんにあふぎ奉り。同龍若丸たつわかまる憲忠をもき出し。天下一 とうにして。国家安泰こくかあんたい也。者ていれば成氏公しげうぢこう。先年 持氏公もちうぢこう御生害しやうがい野心やしんをさしはさみ。憲忠をちうせらる。此時又上杉相分けて。日夜にちや朝暮合戦かつせんす。上杉の一家長尾ながをるゐ調談てうだんし。綸旨りんしと日月の御旗はたを申下し。其いきほひますによつて。成氏公しげうぢこう。かなはずして。古河こがへ御馬を入給ふ。其後 政氏公まさうぢこう関東くわんとう公方くばうがうす。越州ゑつしう上杉 民部大輔みんぶのたゆう顕定あきさだ。かつは治国ちこくのため。かつは万民ばんみんをやすんぜんがため。和睦くわぼくなすによつて。関東一 とうになる。夫それ武家ぶけ大系図けいづは。神武じんむより以来このかたをしるし。和漢合運わかんがううんは。慶長けいちやう十六歳までをしるせる。明鏡めいけい也。扨又。鎌倉持氏公御滅亡より、関東乱国らんごくの次第、上杉家の事を私に記し置きたる古き小札どもを見るに、右の二文に相違多し。されども見聞集けんもんしゆうの題号に応じ記し侍る。その比、鎌倉 山内やまのうち顕定あきさだ扇谷あふぎがやつ定正さだまさ、この両上杉殿は関東諸侍の棟梁たり。然るに逆臣ありて主従分れ戦ひ、その上両上杉殿の中不和にして、東西南北にさんを乱し合戦す。公方政氏公は修理大夫定正と一味し顕定と戦ひやむ事なし。その時節、駿州しゆんしうに伊勢新九郎氏茂といひて文武智謀の侍あり。後には北条早雲庵主ほうでうさううんあんしゆと改名す。この人両上杉の戦ひを聞き及び、「是天のあたふる所」と喜び、延徳年中軍兵をひきて馳せ来り、伊豆の国を切りて取り、明応の時節相模の国に打入り、戦ひやまざりしが、定正は病死びやうし、顕定は高梨たかなしに討たる。その後早雲子息氏綱うぢつな時代に至り、上杉朝定とものさだをほろぼし、武州・総州へ手をかけ、関八州に猛威まうゐをふるふ。その節氏綱、高基公の一男晴氏公を取立て、公方に仰ぎ、婿君むこぎみとなして総州古河に仕付け申す。氏綱、下総しもふさ国小弓こゆみ御所義明公よしあきこう父子をほろぼす。氏綱子息氏康時代に、上杉憲政と戦ひやむ事なし。然る所に古河の晴氏公、憲政と一味ありて武州 河越かはごえの城を攻む。氏康武州へ出馬しゆつばし、河越の館において天文十五年四月廿日合戦し、氏康討勝ち、ことごとくほろぼす。それより以来、関東公方絶えはて、上杉の家も滅亡す。天文乱といひ伝ふるはこれなりといへり。

〜参考文献〜

北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource

https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。

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