蘇生薬の副作用
『こっちから弱い死臭がするな』
ベリアルの先導のもと、私は無事にタンゴールヒの遺体を発見する事が出来た。
本当に、ベリアルがいてくれて助かった。
いつもベリアルに癒される度にそう思ってはいるが、私では、こうも早くタンゴールヒの遺体を見つける事は出来なかっただろう。
いや、それ以前に縄張りにすら入れないが。
『死んだばかりのタンゴールヒは、死臭が弱い。どうしても、死臭が強い方に気がいくから、見つかって良かったよ』
タンゴールヒを探すのにかなり気を遣ったベリアルの背中を労る様に撫でる。
初めてタンゴールヒの縄張りに材料を採りに入った時、腐乱した死骸を見つけて堪らず嘔吐したのを思い出す。
死骸からも、タンゴールヒの牙や毛、虫の産み付けた卵など貴重な材料が手に入る。
薬師としては失格だが、私はその時何も手に入れる事が出来なかった。
以来、タンゴールヒの遺体を見たのはこれが2回目だ。
きっと採取の時は、ベリアルが死体を避けて案内してくれたのだろう。
初めて見たタンゴールヒの遺体に比べて、今回の遺体は言い方は悪いがかなり綺麗で状態が良かった。
仲間のタンゴールヒが、遠くから威嚇する様にギャッ、ギャッ、と叫んでいるのがわかる。
私は霧吹きに入れた蘇生薬を満遍なくまだ年若い死んだタンゴールヒに吹き掛けた。
吹き掛けたところはみるみるうちに傷が再生していき、艶肌が良くなる。
タンゴールヒの死因であろう、首筋の噛まれた痕もなくなった頃、胸の辺りが上下する。
呼吸を取り戻したらしい。
指先がピクリと動いたのを確認した為、タンゴールヒから10メートルは離れて見ていると、心配したらしい仲間のタンゴールヒが木から降りてきて、死んでいたタンゴールヒを守る様に囲んだ。
私を威嚇していたタンゴールヒ達は、死んだ筈のタンゴールヒがムクリと起き上がるのを見て、飛び上がらんがばかりに驚く。
そして、今度はそのタンゴールヒとの間にも距離を取ろうとして、再び木の上に身を隠した。
起き上がったタンゴールヒは、しばらく首を傾げていた。
自分の身に何が起きたのかを考えあぐねている様だ。
私はそのタンゴールヒの動きに注目していたが、手や身体、足の動作にはなんら不自然な動きはない様に見える。
しかし、仲間のタンゴールヒの一匹がおっかなびっくりそのタンゴールヒの様子を伺う為に近付いた時、蘇生したタンゴールヒは、その個体を威嚇した。
威嚇されたタンゴールヒは、明らかに戸惑っている。
『……仲間が驚いているな。どうしたんだ?』
「……わからないね。何があったんだろう?」
蘇生したタンゴールヒは、実は仲間に殺されたとかだったのだろうか?
仲間は懸命に何かをジェスチャーで伝え続け、仲間には敵対心がない事を現していた。
それは漸く実を結んだらしく、蘇生したタンゴールヒにも何となく譲歩の様子が見られる。
結局、仲違いは解決し、蘇生したタンゴールヒは無事に仲間に受け入れられて、その場を後にした。
『……ひとまず成功か?』
「うん。身体の蘇生に関しては」
蘇生したタンゴールヒは、何の不自由もなく仲間についていった。
だが、初めに仲間を威嚇したのが気になって仕方がない。
狂暴性が増すという副作用ではない様だし、一体何だったのか……
貴重な材料を一つ一つ採取しながら、答えのわからない問題をただ考えていた。
***
蘇生薬の精製に成功したものの、結局治験だけで終わってしまい、手元には残らなかった。
蘇生薬の副作用をしっかりと把握する為に、出来たら何度か他の動物でも治験を行いたかった。
翌日は週に2回の街に薬を卸す日なので、再び蘇生薬の材料を買い出しに行く。
買い出しに行く前に、ベアトリーチェ様への手紙を配送屋に託した。
蘇生薬は珍しい材料だったからもし手に入らなかったらどうしよう、と思っていたが、いつもの店で手に入った。
催淫剤の材料も問題なく手に入り、更に強化薬と毛染め薬の材料まで置いてあり、何とも言えない気持ちになる。
シナリオ的には黒の魔女に薬を精製して貰わないと話が進まないのだろうか?
今日もベリアルとマージェのパイを食べに喫茶店に寄ったが、エリカ様が再び現れる事はなくホッとした。
爽やかな風に当たりながらベリアルと食べるマージェのパイは、やはりサクサクとしてとても美味しかった。
ベリアルは、ピンクの鼻先にパイの食べかすがついているのをペロリと舐めとり、そのまま顔や手を毛繕いしている。
自称のとれた悪魔なのにその様子は猫そのもので、見ているだけで癒された。
『ん?どうした、ユーディア』
「何でもないよ。平和だなぁって」
ベリアルは、毛繕いをやめてひょいと私の膝の上にのってきた。
そのまま身体を伸ばして、私の鼻先を舌で何度も舐める。
安心させてくれる様なその仕草に、心が解れていくのを感じた。
この穏やかな日々を失わない為にも、薬の精製はさっさと片付けてしまいたい。
しかし、黒の魔女は果たして薬を渡す事でヒロイン達との関わりをすっぱり切ることが出来るのだろうか?
黒の魔女は、ヒロイン達との好感度次第で効果の違う薬を渡す、と従姉妹が言っていたのを思い出す。
私は与えられた仕事は依頼主に関わらずきっちりやりたいとは思っている……が、そのつもりはなくとも、薬の精製の良し悪しがシナリオによってねじ曲げられる可能性を考えてしまう。
自分に渡された薬の精度を悪いと感じたヒロインは……エリカ様やベアトリーチェ様は、どう動くのだろう?
残りのヒロインは誰で、どんなタイミングで依頼してくるのだろう?
私は、果たしてシナリオが終わった後、今まで通りの平穏な日常を無事に取り戻せるのだろうか……
『ユーディア』
「ん?」
『大丈夫だ』
「……うん」
シミのように広がっていく不安を、ベリアルは尻尾で叩き落とすかの様に私の身体をパタパタと優しく叩いた。
帰宅後は蘇生薬の前半の工程を終わらせ、次いで薬屋の依頼内容をこなす為の材料の下準備を滞りなく済ませた。
種をひたすらすり潰す作業や、材料から不純物を取り除いていく作業や、薬草を乾燥させる為に陰干しで並べる作業、やる事はいくらでもある。
それらの工程を済ませた材料も売ってはいるが、レシピと合わない処理をされると本来の効果や結果が出ないので、多少手間でも素材のまま購入していた。
日が暮れる前には作業をやめて、火をおこすための薪割りを少しだけ済ます。
日本人でいた頃の記憶が戻ると、今の暮らしは非常に不便に感じるが、また一方で時間に追われる事なく、日々を大地と共に生きている感覚がしてとても幸せだ。
あの頃は食事もおざなりだったし、サプリで栄養を補ったり徹夜する為に栄養ドリンクを飲んだりしていた。
生野菜の美味しさを噛みしめる事もなく、夕焼けを眺めたり夜空を見上げる事もなかった。
かまどに火をおこしながら、今日の夕飯の下ごしらえにかかる。
日本では、デザートはコンビニに行けば買えたし、食事なんて作らなくても24時間いつでもご飯を買えた。
今は、少ない材料を少ない調味料で少しだけ味をつけたものを、その時食べる分だけ作る。
基本ご飯とスープ、メイン料理しか作らないが、自分が採って来た山菜をその日に食べるという生活は、素朴であるが人間らしいと思った。
私は東京に勤めていたが、沖縄や金沢、北海道なんかに住んだら全く違う生活だったのかもしれない。
ぼんやりとそんな事を考えながら、夕飯の準備を終えてベリアルを呼んだ。