吉報だった筈なのに
ジョン様がお礼と言って私の家を訪ねてきてくれたのは、その翌日の事だった。
お昼過ぎに蘇生薬をいくつか精製し終え、ベリアルとお茶をしようと自宅に戻ってしばらくした後のタイミングだった。
「本日はこちらにいらっしゃってたのですね」
と、ドアを優しくコンコンコンと三度叩いて現れたジョン様は、先日作業場に訪れた時とは違って、幾分顔色も良く晴れやかな表情をされていた。
たまたまお茶をしていた時間で本当に良かった。
上流階級であるらしいジョン様にお出しするにはかなり憚られるが、何もないよりはと思い、手作りクッキーを失礼のない様にすすめた。
以前はお水しかお出し出来なかったが、今度は牛乳で茶葉を煮出したロイヤルミルクティーをお出しする。
砂糖は入れてないので、甘い物が苦手な方でもさっぱり飲める筈だ。
「先日は、本当にありがとうございました。黒の魔女様から頂いた香のお陰で、妹は徐々に落ち着きを取り戻し始め、最近ではまた私にだけは笑顔も見せてくれる様になりまして……今日、本当に久々に友人の誘いで外出をするまで回復したのです」
ジョン様の表情からは、妹様への愛情がひしひしと感じられて、こちらまで心がほんわかと温かくなる。
そして部屋の中でも黒ずくめな私に外套を脱げと指示する事もなく話を進めてくれるのは非常に有り難かった。
出されたクッキーにもお茶にも手を伸ばして下さるのは信頼されている様で嬉しく思う気持ちと同時に、身分的にはもう少し人を疑った方が良いのではないかと余計な気持ちまで込み上げてくる。
「それは本当に良かったです。あくまで香は、心を和らげる様なもの。妹様が強くなければ、そしてジョン様の様な周りの方の支えがなければこんな短期間の回復は見込まれなかったと思います」
「いやいや、謙遜しないで下さい。妹自身が非常に重宝しているんですから……それで、やはり追加の香をお願いしたくて参りました」
「ありがとうございます。どれ程お持ちになっていかれますか?ひとまず手元には、1ヶ月分は準備しておりますが」
香の材料は、タンゴールヒの縄張りのある山奥で多く手に入る。
先日立ち入った時に大量に収穫しておいた。
加工する手間もほぼないので、収穫から短期間でも直ぐにお渡し出来て良かった。
「1ヶ月分ですか……では、全て買い取らせて頂きます。差し支えなければ、次回1ヶ月後に来た時には、3ヶ月分程用意して頂く事は可能ですか?」
「3ヶ月分……依存性のない香なので問題ないですが、時期的な問題で、収穫量が減った場合の保管条件が厳しいのですが。3ヶ月分でないと何か問題がおきたり致しますか?」
「いえ、大丈夫です。ただ、私的な理由でこれから忙しい時期に入ってしまい……こちらに来るのに片道で半日かかるのですが、なかなか1日中外に出るのが難しくなるというだけなので」
成る程。
ジョン様は、恐らく元々お忙しい身の上なのだろう。
それなのに妹様の為に時間を作って、先日と今日、わざわざ1日かけてここまで来たのだ。
ジョン様の気持ちを思うと、改めて、妹様に香が効き、無駄足にならずに済んで良かったと思う。
「では、ジョン様。こちらから配送屋を使ってお届け致しましょうか?収穫量が減ってくる前に沢山収穫しておく事は可能ですが、長期間保管が適度な湿気のある場所でないと難しい材料なのです」
ジョン様は、驚いた表情をされた。
「そんな事まで、お願いして良いのですか?」
「はい。今のところ、問題ないですよ」
私には問題はない。
問題があるとすれば、むしろジョン様だ。
こちらの荷物を届けるには、当然自分の家柄……身分を明かす事になる。
ただ、配送屋止まりにしたり知り合いの家に届けさせるのであれば別だが。
「……では、こちらにお願い出来ますか?」
ジョン様は、持参していた鞄から羊皮紙を出して、筆を滑らせ文字をしたためた。
そこには、住所と……
「ジョナス・ルゴールデン……」
「はい。私の正式な名前です。ジョンはあだ名の様なものなので」
ジョン様の本名を知ってしまい、ぐらり、と頭が揺れそうになるのを必死でとどめる。
ジョナス・ルゴールデン。
ルゴールデン家といえば、私の住んでいる領地を治める家門だ。
そして、歴代の宰相も輩出している歴史ある家柄。
領主の館は、街から少し離れた隣街にある筈だが、我が家まで二時間もかからない筈。
つまり、目の前のジョン様は、恐らく普段は自宅におらず……王城にお勤めされていると考えてほぼ間違いない。
忙しい筈だ。
次期宰相がこんなところでお茶を飲んでいる時間なんて、普通だったらある訳がない。
ジョン様は、次いで見るからに値の張りそうな印鑑を私に渡した。
「私のところに荷や手紙が届くまで、いくつかの検査が必要となるのですが、こちらで判を押して頂ければ一切の検査が不要となります。しばらくの間、預けさせて下さい」
この世界の上流階級の屋敷に届く荷物は、先に検査を受けるなんて初めて知った。
だが、確かに誰かに狙われる事も多いのだろう。
我が家の金庫をもっとしっかりとした物に替えなければならないかもしれない、なんて思いながら、小ぶりなのにずっしりとしたその印鑑をそっと手にする。
私を信頼して下さっているのは勿論だが……きっとそれほどまでに妹様の事が大事なのだろう。
「畏まりました、有り難く使わせて頂きます」
おっかなびっくり印鑑を扱う私に微笑みながら、ジョン様は続ける。
「では、ひとまず1ヶ月分の支払いですが」
ジョン様が鞄に手を入れる前に、私は慌てて言った。
これだけは、絶対、譲れない。
「ジョン様。先日頂いたお代が多過ぎましたので、こちらは完全にサービスです。3ヶ月後のお代も先日頂いた分で十分賄えますので」
一週間分の香、しかも売り物ですらない物を金貨一枚で購入して頂く事は出来ない。
タンゴールヒの縄張りまで出向き、材料を採取し、多少加工するだけ。
ベリアルがいなければ大変危険なので値がはね上がってしまうが、今のところ危険でもないのにそんなに頂いたらただのぼったくりになってしまう。
「いえ、そんな訳には……」
困った様にジョン様が言い、お互い退かない空気が流れ出した時の事だった。
『……ユーディア、また客っぽいぞ』
ずっと傍で丸くなってのんびりしていたベリアルが、耳をぴょこんと動かしたかと思えば次の瞬間には扉の前に躍り出ていた。
ドンドンドン!!
再び乱暴な扉の叩かれ方に、肩がビクッとする。
まさか、また公爵家の……
そう思った時だった。
「こちらに、ジョナス様はいらっしゃいますか!!大変です!!ジュリアマリア様が……っっ!!」
その言葉を聞いて、ジョナス様は直ぐ様席を立ち、ドアを開け放った。
「ジュリアマリアが?どうした!?」
顔面蒼白な使者が跪いたまま、肩で息をしながら切れ切れにジョン様に報告をする。
「外出先で、ならず者達に追いかけ回され……っっ、階段の上から転落し、打ち所が悪く、先程……、息を、引き取られた、と……っっ」
「何だと……?」
報告を聞いたジョナス様は、使者よりも真っ青になり、その場で膝から崩れ落ちた。




