真剣なクラリッタ
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時刻は夜の7時30分
土岐家の畳敷きの応接間には、強烈かつ、魅惑的な、スパイスの刺激臭に満ちている。
応接間に持ち込んだ炊飯器、その中で眠る、炊き立てのほっかほかのご飯。傍らには大きな鍋。
オカルト研究会のメンバーが、それぞれのこだわりを結集させて作り上げた、
黄金色をした魅惑の料理、カレールーが鎮座していたのだ。
そして、彼らより遅れてやって来た、お手伝いの藤間紫乃が、みんなの為にと腕をふるい、
山盛りの千切りキャベツと、福神漬け。そして、好きにトッピング出来る様にと、
イカフライやエビフライやトンカツ、ソーセージにほうれん草のソテーなどが、ごっそりと大皿に盛られていた。
「いや、美味い!ガチで美味い♪」
「加納家秘伝の隠し味、恐れいったかね?」
高槻家の応接間は、様々な明るい声に彩られ、近年まれにみる賑わいを見せている。
おかわりを頼む者、テレビのバラエティ番組に笑う者。
心なしか、笑顔の似合う男になった土岐玲一を、うっとり見詰める者。
そして、自分を見詰める妹の表情が、柔らかく、艶っぽく変化し、戸惑う兄。
そんな兄を可愛く感じ、更に微笑む妹。
そんな空気を察知し、気が気ではない、ヴァンパイアハンターなど……。
オカルト研究会の土岐宅臨時合宿の夕飯は、大成功に終わった。
だが、終わったのはあくまでも、仲間で協力して作った夕飯。
土岐宅で臨時合宿をする、本来の目的では無い。本来の目的は【深夜】にある。
そして、その時が訪れるまで、まだまだ時間はたっぷりとあった。
自分の立場をわきまえているのか、メンバーたちが惜しむ中、
洗い物を終えた藤間紫乃は自宅へと帰って行く。時間は夜の9時。
それでも、その時が来るまでに、準備だけはと、部長氷見ひまりの指示の元に、
オカルト研究会のメンバーたちは動き出した。
玲一の部屋に、赤外線カメラと温感モニターを設置、
副部長の丞定菊と加納譲司は、玲一の部屋のセンサー類からケーブルを伸ばし、
ひまりの指示通り、食堂のテーブルのモニター数台に繋いでいる。
また、クラリッタは、ひまりの指示で、廊下やキッチンに定点カメラを設置している。
しかし、ひまりの統率の元、着々と監視体制は整う中、取り残された三人がいる。
生き神様の伸暁真琴、そして土岐玲一・こよみの三人だ。
真琴はやるだけ邪魔だから、主役の玲一と、のんびりしていろと言われたのだ。
玲一はもちろん、必要以上に機材を意識しない用に、リラックスを求められており、
妹のこよみはそもそも、部員では無い。
結果戦力外の三人は、お茶を飲みながら、時間を潰すほかなかったのである。
「テレビ…つまらんのだ」
「ですねえ」
「芸能人の離婚なんぞ、だからどうしたなのだ」
「全くです」
「私、皆さん入れる様に、お風呂沸かして来ます」
パタパタとスリッパを鳴らし、こよみは笑顔で風呂場に向かって行った。
「土岐、気分は晴れたか?」
「はい、正直驚きました。何か俺……気分が良いです」
イマイチ表現力の乏しい玲一ではあったが、それが妙にツボにはまったのか、真琴は再び頭を撫でてやる。
何だか親に誉められている様な、ムズかゆさを覚えるのだが、まんざらでもない気分。
そんな玲一をニコニコ見詰める真琴に、玲一は照れながら、質問をする。
「伽里田神社の鎮守様と言う事は、遥か昔からこの世を見て来たのか?」「ならば、実際の年齢は?」と。
だが、真琴はその質問を一笑に伏した。
「ふひひ、レディに歳を聞くとは、土岐は失礼な奴なのだ」
「あっ、いえ!そうじゃなくて……」
「そうじゃなくて?つまり土岐は、私を口説いているのだ」
「ひいっ!違います!ただ、気になったから」
慌てふためく玲一の姿を見て、腹を抱えて笑う真琴。
どうやら玲一は、真琴にからかわれている事に、気付いていないらしい。
ただ、「コーヒー煎れたぞ」と、応接間へとやって来て、呆れた顔でその光景を見詰める加納に、
真琴も気づいてはいなかった。
時間はいよいよ、深夜へと近づきつつある。
一般的な家庭であれば、風呂へと入り、湯上りをのんびり楽しむ時間。
寝る前のひと時を、それぞれの趣味に費やす時間がやって来た。
多少、世間的には時間のズレはあるものの、この高槻邸でも、湯が沸いた。
閉ざされた空間にカコンと響き、心地よく反響する風呂桶の音、
檜の匂いをまといながら充満する湯気、
程よい時間の流れを感じさせる、天井からポタリとしたたる水滴。
時代を感じさせる古さではあるが、高槻邸の風呂場は、豪華である。
その和風の趣きに感動しながら、一番風呂はクラリッタが頂き、次に部長の氷見ひまり。
その次は伸暁真琴と、すっかり真琴になついた土岐こよみが一緒に入った。
残る所、風呂に入っていないのは、副部長の丞定菊と加納譲司、そして土岐玲一の三人。
加納は、「みんなが臭いと文句を言わないなら、俺はこのままモニター番をやる」と真剣な眼差しで、
各種センサー類の結果表示と、にらめっこしている。
丞定菊は、モニター類の設置を手伝った後、「日々の日課がありますので」と、玲一に許しを得て、
月明かりの下、持参した木刀で素振りを始めた。
「玲一、良いお風呂よ、早く入って来なさい♪」
訪問者のクラリッタ達に、逆に促され、玲一は風呂に入る。
たくさんの訪問者がいる中で、一人自宅の風呂に入る違和感。
自分のいない間に、部屋をいたずらされたらどうしよう。
杞憂ではあるのであろうが、何故か、そこはかとなく不安がよぎるのは、
思春期の少年のサガかも知れない。
湯船に浸かり、心地良さから、ゆったりとため息を漏らす玲一。
「心の凝り」が取れたのか、気持ち良さそうに目を細め、大の字で浸かる姿からも、
普段以上に風呂を楽しんでいる様が、見て取れる。
……不思議と、邪念が浮かんで来ない……
バイトのハシゴでどう食いつなごうかとか、こよみを学習塾に入れるか入れないとか、
以前の玲一ならば、風呂に入って一息ついたなら、身体は癒されていても、頭の中では、とりとめの無い思考を繰り返していた。
だが今はちがう。真琴の膝枕でつい、うたた寝をしてしまった効果なのか、深刻な問題が脳裏に浮かんで来ない。
今夜結末を迎えるであろう、自分の影の事すらもだ。
極めて穏やかに、のほほんと時間は過ぎて行き、湯船から出た玲一は、身体を洗い、頭も洗い、
そして、再び湯船に浸かり、充分身体が温まった事で、風呂から上がる。
だが、風呂場の引き戸を引いた際、それはいきなり起こった。
ガラガラと、風呂場の扉を開けた瞬間。
玲一の目前に広がる脱衣室には何故か、あるはずの無い光景が広がり、否応無しに、玲一の瞳の中に、飛び込んで来た。
ジャージを脱いで、下着姿となった丞定菊が、今まさに、ブラジャーを外そうとしていたのだ。
「ひいいっ!」と悲鳴を上げ、慌てて股関を隠しながら、扉を閉める。
しかし、そのまま足を滑らせ、玲一は「ばちん!」と大きな音を立てながら、風呂場で盛大に転んでしまったのだ。
玲一にハプニングが起こった事に気付いた菊。「大丈夫か」と、抑揚の無い声で心配しつつ、
ガラガラと音を立て、下着姿のまま、容赦なく戸を開ける。
玲一を心配しての行為ではあるのだが、そこには、足を大の字に広げ、目を回しながら倒れている玲一の姿が。
「あらあら、まあまあ」
セリフを棒読みする様な、抑揚の無い声で、驚く菊。
「うううんん……大丈夫す」と唸る玲一を助け起こし、肩を貸す。
そのまま脱衣室に移動すると、意識が混濁している玲一を、不憫だと思ったのか、
菊は甲斐甲斐しく、バスタオルで身体を拭いてやり、服を着せ、廊下へと誘導した。
そして、風呂場から聞こえた玲一の悲鳴、異変を感じて集まって来たメンバー達は、廊下で恐るべき光景を目撃した。
「一人で歩けるか?」
「…はい」
下着姿の丞定菊が、がっくりとうなだれる玲一の背中をなでながら、脱衣室から廊下へと送り出していたのだ。
「気を確かに持ってな」
「全部見られた…全部見られた…」
「お、おい。何が起こったんだ?」
驚くひまり達の前をとぼとぼと、うつむきながら通り過ぎて行く玲一。
加納は丞定の姿に配慮して、また食堂に設営されたモニタールームへと戻ったのだが、
ひまり達は、何があったのか?と、興味津々の面持ちで、菊の元へと駆け寄った。
練習後、汗を流そうと風呂に入ろうとしたら、玲一とバッタリ出くわした事。
玲一が自分の下着姿を見て、驚いて風呂場で転んだ事。
頭を打って朦朧とする玲一を、手伝って服を着させてあげた事。
菊は全く抑揚の無い声で、まるで箇条書きの様に、淡々とひまり達に話す。
すると、そんな状況説明などを聞いているのではないとばかりに、
殺気立ったひまりは、菊に顔を近づけて来た。
「ところで菊さん……、全部見ちゃったのか?」
頬を紅潮させながら、菊に詰め寄るひまりや真琴。
「はい、全部見ました。見事なサイズで、私も動揺しました」
……その話、詳しく話して貰おうか……
クラリッタの表情は、いつになく真剣だった




