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ドレッドノート・カプリチオ ~勇者狂想曲~  作者: 振木岳人
「オカルト研究会」編
18/74

つまりは、寂しい


 私立青嵐学園高等部

四時限目がたった今終了し、授業終了のチャイムが校舎にこだまする。

即ちそれは、昼食の時間。人気の菓子パンを購入する為に、学園の購買にダッシュする者、教室で机を囲み、持参の弁当を食べる者、

また、持参した弁当を持ってお気に入りの景色の場所に赴く者。

さらに、学食で様々な料理を楽しむ者など、賑やかな声が学園に溢れ始めた。


教室を出た土岐玲一と、加納譲司、クラリッタ・ハーカーの三人は、学食へと赴いていた。

それぞれが好みの昼食を、食券販売機で購入し、カウンターの列へと並ぶ。


「土岐、もしかしてまた天ぷらソバのおにぎりセットか?」


「まあ……ね。何にしようか悩み始めると、ついこれに」


 土岐玲一は、なかなかの美少年である。

本来ならば、学園全体とまではいかなくても、同じ学年ならば、他のクラスの女子の話題になっても、おかしくないレベルである。

ただ、どことなく気弱な空気と、集団内において、なかなかに先頭になって、自己アピールしない奥手な性格が災いし、

はっきり言って、土岐玲一は女子生徒達からは、完全にノーマークである。

まあ、何と言っても、最大の要因としては、常に玲一に肩を並べる、加納の存在が多大に影響している事なのだろうが……。


 どうやら、ちょうど三人も、当たり障りの無い話題から、加納の女性遍歴追求を経て、玲一の女性関係や女性像に切り込んだところ。


「いまさら玲一の良さに気付いて近寄って来る女なんかは、私が全部弾き飛ばしちゃいますけどね」


「おいおい、もう恋人気取りかよ」


「あら、加納も存外、俗な想像力しか持ち合わせて無いのね。恋人と言うより、むしろ聖母の様な存在だと、表現して欲しいわね」


「おいおい二人とも……、何で俺の事でもめてるんだよ」


クラリッタの猛アピールと、それを茶化す加納の応酬に、何で君たちが熱くなってんのと、苦笑しながら困惑する玲一。

しかし、案外玲一も図太いのか、それとも色恋沙汰にまだ興味が無いのか、

加納とクラリッタの会話を聞きつつ、一言二言返事しつつも、視線は目の前の料理に固定。

天ぷらソバを勢い良くすすりながら、左手のおにぎりをパクパクとほうばり、フィニッシュへと近付いている。

もちろん、クラリッタも加納も、言い合いの応酬に終始している訳ではなく、クラリッタは白身魚のフライとポテトフライをおかずに、

砂糖をたっぷり入れたロイヤルミルクティーに、ちぎったマフィンを浸して食べている。

加納は日替わりランチの、野菜炒め定食 (ご飯少なめ)に、小鉢売りの豆腐を、姿勢良く「頂戴」していた。


「照れる事無いのよ玲一。この長野に来て、学校に通い始めて、初めて出来た友人を、大切にするのは当たり前の話」


「それは120%君だけの事情だろ。俺と土岐は古くからの、商店街の顔馴染みだ。君などより、よほど土岐との縁は深いさ」


「そうなの、玲一?」


「ああ。俺が以前住んでたアパートは、商店街のはずれにあってね。これでも加納の家は、洋菓子屋さんなんだぜ」


「ほう!」


洋菓子屋と聞いて、クラリッタの瞳がまるで、光を当てられたミラーボールの様に輝いた。


「加納、私が店に行ったら、もちろん……、友人価格が適用される。そう言う事だな?」


苦笑する加納。「親がやってるだけで俺は知らん」と、素っ気ない返事で煙に巻く。


 玲一達に限らず、あちこちから笑い声が聞こえる食堂。

日本全土に起こった、未曾有の大震災がきっかけであるのは悲しい話なのだが、この数年で日本は、驚くべき速度で国際化した。

過激な表現をすれば、国際化を拒み、実質『鎖国』状態だったこの国日本も、様々な人種が溢れる様になったのだ。

その影響は、この青嵐学園の学生食堂においても垣間見れる。

その証拠に、日本語に混じり、イントネーションのおかしい日本語や、英語に限らず、スペイン語やロシア語など、世界中の様々な言語が軽快に飛び交っているのだから。


ただ、言葉が飛び交えば飛び交うほど、必ず『見解の相違』が生じて来るのは必然。

同じ国の者同士ですら、言葉のあやで、簡単に感情的になってしまうのに、様々な言語が溢れていれば、

それはそれ……、いとも簡単に「いさかいの炎」は、着火してしまう。

ましてや、それが多感な時期である、思春期の少年少女であれば、着火された火を消すどころか、

誰かがガソリンをかけて、益々火の勢いが増してしまうのは、いかんともし難い状況ではあったのだ。


 ガシャーンッ!!!!


玲一達の座るテーブルから、4つほど離れたテーブルで、食器が床に落ちる様な、激しい音が聞こえた。


静まり返る食堂、そしてそこにいる全ての者が、その音に反応し、音の方向に視線を向ける。

そこには、茶髪頭の日本人生徒が、椅子に座っていたアジア人の生徒を、蹴り倒した光景が広がっていた。


「てめえ!ヒロコに気安く近付くんじゃねえ!」


同じテーブルの反対側には、茶髪生徒と近しい仲なのか、茶髪の女子生徒が座り、その光景を見詰めながら、当惑している。

どうやら、茶髪の日本人生徒は、知り合いの女子生徒と同じテーブルに座ったアジア人生徒に、因縁をつけている様だ。


「チ、チガウヨ。ボクハ…」


「うるせえ!失せろ!」


どうやら、アジア人生徒が女子生徒に話し掛けたのが気に入らず、

茶髪生徒は、好戦的な性格も災いしたのか、あっという間にいざこざへと発展してしまったのだ。


「国に帰れ、アジア野郎!女狙いで来日してんじゃねえ!」


「誤解デス!ワタシハ次ノ授業内容ヲキイタダケ!」


「てめえ、やんのかゴラッ!」


玲一達はいさかいの光景を見ながら、それを止める訳でも無く、かと言って火に油を注ぐ訳でも無く、成り行きを見守っている。


「あああ……、なんか見苦しいわね」


「心配するな、すぐ連中がやって来る」


「加納、連中って何だ?」


「見てりゃわかるさ」


玲一、加納、クラリッタの三人はもちろん……。

青嵐学園に新入学したばかり、同じクラスになったばかりの関係である。

だが【あの夜】を経て、再び学園で顔をあわせたこの三人、妙にウマが合っていた。


「でも、助けたいね。何か言いがかりっぽいし……。変な仲間も集まって来た」


「男らしいのね。玲一のちょっと良いとこ見つけた」


「いや、思っただけで行動してない。俺も同罪だよ、この野次馬連中と」


「どうする?玲一が行けと言えば、私行くわよ」


「おいおい、二人で何盛り上がってるんだ。だから言っただろ、見てりゃわかるって」


すると、「バタンッ!!!!」と、食堂の出入り口扉が、激しい音を立てて開く。

そして、颯爽と食堂に現れたのは、10人程の学園生。

左腕には腕章をはめており、腕章には「生徒会執行部」と、真っ赤な生地に、金色の刺繍がされていた。


「加納、あの人たちって、もしかして……?」


「ああ、生徒会執行部だ。彼らは風紀委員を兼ねていて、この学園の、力の象徴みたいなもんだ」


「静粛にっ!!」先頭に入って来た女子生徒が、透き通る声で叫ぶ。


「彼女は風紀委員長、3年D組、君嶋ちなみ。絶対にブレない倫理観と正義感で悪を駆逐する、学園生の間では、【マーシャルロウ(戒厳令)】と呼ばれ、怖れられている」


そして、続いて入って来た生徒の一人。ロングヘアーが似合う、上品そうな女生徒は、

有無を言わさずつかつかと「嵐の中心」へ歩み寄り、茶髪生徒とアジア人生徒の間に、無言のまま笑顔で割って入る。


「あの人が生徒会執行部、生徒会副会長。3年A組の橋詰佐緒里。【微笑みの女帝】と言われている。あの笑みが曲者で、見る者全てを天国にも地獄にも送るそうだ」


全く一言も発せずに、ニコニコしながら立ち尽くす橋詰。

茶髪生徒と後ろに集まった仲間と、アジア人生徒も、その橋詰の姿に毒気が抜かれたのか、「ぽか~ん」と棒立ちしている。


「最後に現れたろ?あれが生徒会執行部総責任者、生徒会長の義仲籐十郎。この地域を拠点とする義仲工務店グループの次期後継者。

高校生離れした風格とその指導力で、【君臨者】の異名を持つ、まさしく勇者だ」


加納の説明通り、生徒会役員が道を開いた奥から、腕を組んだままの「偉そうな」人物が登場する。

その場にいる生徒たちを遥か眼下に見下ろす背丈。パンパンに膨らんだ腕と胸板、猛る表情に鋭い視線。

まさに威風堂々と言う言葉がズバリ当てはまる程の偉丈夫。

その生徒会長が沈黙を破り、食堂の窓や人間の鼓膜をダイレクトに振動させる様な、重低音を含んだ巨大な声を吐き出した。


「公衆の面前での痴情話は見るに耐えぬ!これ以上いさかいを続けるなら、生徒会を敵に回すと思い知れ!」


ざわつきまでもがピシッと止まり、ひんやりとした空気だけが食堂に漂う。


時が止まったかの様な、冷たい静寂だけが漂う場で、玲一はトレーを持ってガタリと席を立ち、一人食堂から出て行こうとする。

「玲一?」慌てて後を追う、クラリッタと加納。

呼び止められた玲一は、ゆっくりと振り向きながら、真剣な顔付きでクラリッタに真意を伝えた。


「行こうクラリッタ、加納。俺達は真相を把握していない、つまりは外野。単なる野次馬にはなりたくないよ」


「違いない」と、苦笑しながら玲一の後に続く加納。

だが、玲一の背中を見詰めて移動するクラリッタは、苦笑では無く、別の笑みを口にたたえている。


 ……なるほど。もし野次馬ではなく、最初からその場にいて、事の経緯や真相を知ってるなら、玲一は全力で他人の名誉を守るって事ね……


クラリッタはその思惑に満足し、ニコニコしながら、別の話題を加納へと振った。


「しかし、加納も結構物知りね」


「そうだね、俺も感心したよ」


「君達が知らな過ぎるだけだよ」


などと、静まり返る食堂を、和気あいあいと出て行く玲一達。

その背後に、生徒会長・義仲籐十郎の鋭い視線が刺さっている事。

玲一も、クラリッタも、加納すらも、気付いてはいなかった。


 【本日の授業終了】

午後の授業が終了し、部活棟へ移動する者、部活動のオフ日で、帰宅する者たちなどで、各階の廊下は賑やかになっている。

だが、ここ1年A組の教室から出て来た、三人の男女……玲一とクラリッタ、加納は、浮かない顔をしていた。

授業終了後、ホームルームの際に、クラス担任で学年主任の藤間先生から、説教を受けたのだ。


「藤間先生」とは、藤間橙子の事であり、もちろん、陰陽師である高槻家の檀家総代、藤間家の長女である。

その彼女に、玲一とクラリッタ、そして加納の三人まとめて、ケチョンケチョンにされてしまったのだ。


「今週中に部活を決めろ、決めていないのは貴様らだけだ。事件があったから遅れた、入院していたから遅れたと言い訳しても、それで気持ち良いのか?

先ず、人より決断が遅れている事を恥じろ。甘く見てくれるだろうと考える、自分自身の幼稚さを恥じろ」


巨大な雷が落ちて、烈火の如く怒られたと言う状態では無かった。

あくまでも藤間先生は、いつもの調子で、説教を受ける玲一たちが、白い息を吐くのではと思うほどに、

静かに、冷たく……凍えそうになるほど冷たく、視線と声で、玲一たちにプレッシャーを与えて来たのである。


 私立青嵐学園の教育理念の柱は【文武両道】。

勉強を「文」とするなら、部活動を「武」とし、特にこの高等部では、生徒は必ず何かしら部活に所属し、活動しなければならない。

部活動の体験入部期間は終わり、新入生たちそれぞれが、様々な部活へと入部し、本格的な部活動は既に始まっている。

吸血鬼ウシュカが起こした事件に巻き込まれた玲一と、クラリッタ、加納の三人だけが、新入生の中で、未だ部活が決まっていなかったのは、確かな事実なのだ。


「玲一の希望は文系?体育会系?」


「正直なところ……体育会系は無いなぁ」


「帰宅部は当たり前の話、認められないからな」


「そうだね」


 藤間先生……いや、檀家総代の藤間橙子に説教されたと言う状況に、眉間にシワを寄せ、うつむきがちに歩く玲一。

彼女の説教の内容は、まったくもって正論であり、反論の余地など微塵も無い。

高槻家引っ越しなど、春先からやられっぱなしである事も、玲一の腹の奥底をザワザワさせる。


無駄にくやしくてしょうがないのである。


 だが、妹のこよみに後々聞いた話では、刺す様な冷たい瞳を玲一に向ける、あの藤間橙子が、

ウシュカに捕まった玲一を救出するために、様々なルートに連絡を取り、玲一が解放されるまで、

携帯を一切手放さず、ひたすら自衛隊や長野県警と連絡を取り合っていたのだそうだ。

そこまで、自分のために動いてくれる人だなんて、正直信用出来なかったのが、玲一の素直な反応である。

何故なら普段は、冷血動物の様な射殺す視線を投げかけて来て、生きた心地がしない。

常に玲一の行く手を阻み、「高槻」の理屈を押し付けて来て苦しめたのが、藤間橙子その人なのだから。


 ……過去に……、母の葬儀の際に【あれだけの】仕打ちを、玲一とこよみの兄妹にした藤間橙子が、何故、玲一を救出する事に血まなこになったのか……


まだこの時点では、玲一がその結論にたどり着く事は無かった。たどり着けなかった。

今はただ、藤間橙子に言われた通り、これ以上責められない様に、部活動を一刻も早く決めなければと思いつつ、肩を並べるクラリッタと加納三人で、校舎を後にし、団地の街路へと出た。


「玲一が結局のところ、何をやりたいかって事よね」


「俺の事は良いよ。それより二人は、何か選んだの?」


「私はね……、玲一と一緒の部活が良いわ」


「俺も、どうせやりたいのは無いんだ。土岐に付き合うよ」


「何だよそれ……変なの」


「変じゃないわよ。だって玲一があの時言ったでしょ?【俺たち三人で】って。だから私、玲一について行くよ。言った本人が責任取りなさいな」


「珍しく意見が合ったな。これはクラリッタが正しい」


「何かしら、何か加納に馬鹿にされてる気がするわ」


 あははは!と、互い互いに顔を見合わせながら、屈託の無い笑い声を上げる。

短期間で濃密な時間を過ごした三人。どうやら、皮肉も悪態も笑いの要素なのだと理解出来る程に、互いの信頼は高まっている様だ。


「ねえ、この後時間ある?お茶でも飲みながら、部活決めない?」


クラリッタの提案を、玲一は幾分表情を固くしながら、やんわりと断わってしまった。


「ごめん、今日は帰りがけに用事があって…、悪いね、また誘って」


「あら残念ね。じゃあ玲一、明日までに何の部活をやるか考えておいてね♪」


「あ、ああ」


玲一の返事を聞きながら、加納のメガネの奥、瞳が一瞬輝く。まるで玲一の「帰りがけの用事」を、把握しているかの様に。

玲一の断りを不快とも思わず、食い下がる訳でも無く、「じゃあ、明日までに頼む」と、あっさり引き下がったのだ。


 【今日は母の月命日】

玲一にとって今日は、そういう日であり、放課後、せっかく仲良くなった友人達と、語らいの時間を作るよりも、優先しなければならない出来事があった。


 実の母、そしてその愛人から度重なる虐待を受け、生きる事を諦め、「早く殺してくれ」と、楽になる事をひたすら願い、

その後施設に保護されても、まるで植物の様に抑揚を消し、完全に心を閉ざしたまま、体育座りで表情を殺した日々を送った幼少期。

その生き地獄から救い出してくれたのが、高槻奏二郎と花苗の夫婦。


 奏二郎が病に倒れたまま逝き、高槻を追い出され、花苗の旧姓である土岐の名前を名乗ってからも、

花苗は変わる事無く、両手で抱えきれない程の愛情を、玲一に注いでくれた。

そして玲一に生きる意義を与えてくれた……、こよみの成長を見守ると言う意義を。


 毎月、奏二郎と花苗の月命日には必ず、二人が眠る墓地へと赴き、二人への感謝を捧げていた。

それと、墓参りの後に、玲一が毎回行っていた、恒例のルーティンがあった。

墓地から直接、家に帰宅するのではなく、団地をランダムに遠回りして、散歩をするのである。


 善光寺平を囲む一辺、西の山々の背中に太陽が落ち始める時間。

月命日の供養を終えた玲一は、無作為に選んだ道を、ただただ歩き続ける。

照明の付き始めた家、未だ家主が戻らず暗いままの家など、それぞれの生活スタイルに伴い、様々な家が並ぶ団地内。

夕飯時でもり、お勝手の電気が灯され、換気扇を伝った煙が、微かに玲一の鼻腔をくすぐる。


 このお宅、今日の夕飯はカレーだな


 焼き魚の香ばしい匂いがしてくる


 餃子でも焼いてるのかな?食欲をそそる香が……


いちいち、声には出さないものの、通り過ぎる各家から漂って来る、「生活」の匂いに反応する。

すると、それぞれのお宅の事情や内情など、全く知る訳が無いのに、勝手に玲一の妄想が膨らんで行く。


 庭に小さな自転車があった。子供が食べれる様に、甘口カレーを作ってるんだな。


 風呂場も電気がついて換気扇から湯気が出てる。おばあちゃんが、孫を風呂に入れてるのかな……


 車が車庫に入ってる。父親も食卓に並んで……今日は焼肉か、賑やかそうだな……


 クリームシチューの匂い。まだ夜は寒いし、子供たちが風邪をひかない様にと、母さんが気を効かせた、野菜たっぷりの特製シチュー……


 焼きそばのソースが焦げる匂い。さあ、好きなだけ食べなさい!って、テーブルの真ん中に大皿で出して、家族で競う様に、取り合ってるのかな?


 勝手な妄想ではあるが、玲一の脳裏に浮かぶのは、それぞれの家庭の、明るくて賑やかな家族の団欒。


大きなテーブルには、晩酌を始めた父。そして「私のを食べなさい」と、孫の好物を分けてくれるおじいちゃんにおばあちゃん。

笑顔でそれにかぶりつく孫、それを見て笑顔になる母、そしておじいちゃんにおばあちゃん。

玲一自身の潜在下に、そんなあったかくて優しい雰囲気に包まれた家庭が、憧れとして存在しているのかも知れない。


 ただ、そう言う光景を想像し、ほっこりする度に、心臓をナイフでえぐられる様な感覚に襲われる。

動悸が激しくなり、息が詰まる。情け無い程に顔がクシャクシャになり、上下の歯を噛み締めて緊張していないと、涙がこぼれそうになる。


 つまりは、寂しいのだ


理屈として抱いている感情ではないにしても、玲一の心の奥底に、父や母や、祖母や祖父に甘えたいと願う気持ちが過分に内包されており、

それが叶わない事が分かっているからこそ、寂寥感に襲われて苦しんでいたのだ。


 だが、そんな気分にわざわざなるなら、夕方の散歩などやめて、最短コースで家路についてしまえば良いのに、

玲一は月命日が来る度に、必ず帰りは時間をかけて、団地内を歩き回りながら、心を痛めていた。

玲一は当たり前の話、マゾではない。そして、こんな事をしていても、誰かが助けてくれる訳でもない事も知っている。

【こよみの方が、もっと寂しくて苦しいはずだ!】この一点のみが、玲一を突き動かすのである。

だから自分自身にわざと痛みを与え、家族の有り難さを身に染み込ませ、

血の繋がらない妹の為に、良き兄として、良き父親や母親の代理として生きる事を再確認させていたのだ。


 いよいよ太陽は、完全に長野から立ち去り、その残り香さえも消えて、宵の明星を先頭に星々が輝き出した。


「ふむ、部活動ガイドブックでも見て、今日中に決めよう」


ようやく、帰宅ルートに乗った玲一。

車のライトに照らされた彼の顔は、いつも通りの穏やかな表情をしていた。




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