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夏祭り




 パンともポンともつかないような破裂音が朝から思い出したように聞こえていた。

「ね、大和」

 ガラス張りの天井から大和に視線を移した尊が、アヒルのビニールボートの上から声をかけた。大和はといえばイルカの浮き袋を枕に、ぷかぷかと仰向けに寝転がっている。お腹の上のプラスチックのマグカップが息をするたびに上下している。それを見て、

(なんかラッコみたいで可愛いな)

 尊がそう思ったなんていうことは、内緒である。

(今度のパジャマ、ラッコの模様にしてもらおうかな)

 あるといいなと思っていると、

「ん~?」

 怠惰そうに降りそそぐ陽射しに目を眇めて、大和が尊を振り返った。

「なんだ?」

 乾いてくぐもった声に、

「朝から鳴ってるのなんだろ?」

 尊が言うと、大和がシッと人差し指を口の前に立てた。ほんの少し、大和のからだが水の中で傾く。

 尊と大和とが耳を澄ませていると、やがて、破裂音が聞こえてきた。

「ああ。どっかで祭でもやってるんじゃないか」

 そう言って、大和は大きく伸びをした。

 途端、

「うわっ」

 イルカの浮き袋が後頭部からはずれ、大和はぐぼんと水に沈んでいった。

「大和っ」

 ビニールボートの上から水の中を覗き込む。

 ザバーと大量の水を滴らせながら、大和が水の中から現われた。

「うえ~」

 ほんのちょっとだけ茶色っぽい髪の毛が、大和の頭や顔に張りついている。それを掻きあげる無造作なしぐさに、尊の鼓動がなぜだか早くなった。

 ぷかぷかと浮かんでいるプラスチックのマグカップに尊が手を伸ばした瞬間、

「うわっ」

 大和の悪戯そうな笑みが尊の視界にあった。

 派手な水音をたてて尊は大和に水の中に引きずり込まれたのだった。

 けほけほと、喉のいがらっぽさに噎せながら、

「ひどいや」

 笑う大和を、尊が睨んだ。




(そういえば、そんなことがありましたよね)

 二度目の少年時代を思い出したのは叶の別荘に戻ったからだった。より直接的に言うなら、松谷が用意したパジャマのせいである。

 ベッドスプレッドの上に几帳面な畳みかたをされてのっているのは、尊が着て寝るパジャマのはずである。

 問題は、

(これを、私に着ろと?)

 腕組みをして見下ろしていた尊が、パジャマを掴み上げた。

 ラッコ模様の白いパジャマをしげしげと眺める。

 二枚貝を手に、二頭身ほどのラッコが二本の後足で立っている。なんとも、ファンシーなパジャマだ。

 大和は退院して家に戻った。大和の家族にしてみれば、バイト先で入院するほどの怪我をした息子に退院するなら家に帰って来いというのは、当然かもしれない。が、尊にしてみれば、大和はこっちに来るものだと思っていただけに、肩透かしだった。

(まぁ、これを着たところを見られないのは、幸いかもしれませんけれどね)

 なんだか、大和だと、指差して爆笑しそうである。

(そういえば、あの時は、結局祭には行けなかったのでしたよね)

 大和と一緒に祭に出かけようと思っていたのだが、少し咳き込んだだけだというのに、松谷が大騒ぎして外出禁止になったのだった。

 大和とはじめての祭見物に出かけるというので、はしゃいでいた少年の自分を思い出す。そうして、結局行けなくなったことで、どんなに落胆したか。

(あの時から、私は大和のことが好きだったのですね)

 しみじみとした感慨にふける尊だった。




 ぱんぱんぱんと、遠くで花火が鳴っている。

(そういや、今日はどこぞで祭があるんだったよな)

 退院して、三日目の夕方である。大和は手つかずだった宿題を広げてぼんやりと窓の外を眺めていた。

 悪友から誘われてはやめに祭に出かけようと思えば、母親に、『宿題』とひとこと釘を刺されたのだ。

 やる気にさえなれば、速い。ただ、やる気が起きるまでが大和の場合は問題なのだ。とりあえず、宿題の三分の一は、どうにかクリアできた。

(この調子なら、楽勝だろ)

 今悪友達がどこにいるのか携帯に手を伸ばした時、下から、誰かと喋っているらしい母親の声が聞こえてきた。

 やけにハイトーンのはしゃいだ声色に大和が首をかしげる。

「大和ーお客さま」

(オレに?)

 なお一層首をかしげた大和が居間で見たのは、

「みっ、みことっ」

 品よく麦茶を啜っている、寒河江尊の姿だった。

「こんばんは、大和くん」

 母親を篭絡したくらいの極上の笑顔を向けられた。

「しかも、おまえ、その格好」

「ええ、おかしいですか?」

 急いであつらえたのですけど―――と言う尊は、銀灰色の浴衣を着ている。

「い、や………」

「よかった」

 ふっと、口角をもたげた尊が、

「それでは、これを」

と、差し出してくるものを受け取り中をあらためる。

「!」

 大和の鳶色の目が大きく見開かれ、肩の力ががっくりと抜ける。

「おまえなぁ………」

 取り出したのは、尊の着ている浴衣と色違いで同じ模様の浴衣だった。

「オレに、これを着ろって?」

「はい。それで、一緒に、祭に行きましょう」




(なんかいやだ)

 ちろちろと見られている。決して、自意識過剰ではない。その証拠に、たった今、くすくすと笑いながらこちらを見ていたお姉さんたちと目が合った。

 その大半の視線は大和の隣に向かっていると思うのだが、どうだろう。

 銀灰色の浴衣を涼しげに着こなしている寒河江と、色違いの藍色の浴衣を着ている自分というふたり組みは、ぜったい、変だ。おかしいと思われているだろう。

(これって、ペアルックじゃん)

 そう思えば、そこから離れられない。祭を楽しむどころではない。

(早いとこ帰ろう)

「尊」

 促そうとした大和の目の前に、

「どうぞ」

「わっぷ」

 ふわふわと白い砂糖菓子が差し出された。

「日本にもあるんですね、コットン・キャンディ」

 大和が綿菓子を受け取るのを待っていたかのように、

「えっ? おい!」

 尊が首を傾げて、大和の手にしている綿菓子を一口食べたのだ。


 固まる大和の手を引いて、祭を謳歌した尊である。


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