3回目
「大和……」
枕を抱えてドアのところに立ち尽くしている尊は、白地にテディ・ベア柄のパジャマ姿だ。昨日は青い縁取りで青い蝶ネクタイのクマだった。一昨日は紫、今日は黄色だ。明日は赤か緑か、もしかしてピンクだろうか。ともあれ、同じ地色と柄で模様の色違いを揃えているらしい。
「またかよ」
ぼそりとつぶやいたのが聞こえたのか。
「だめ?」
枕を潰すほど抱きしめて、上目遣いしてくる。
(うわぁ………)
背中がぞわぞわするのが否めない。あの日、叶が怪我をした日から尊は悪夢を見ると言って、八重垣のベッドにもぐりこんでくるのだ。ひとりで眠るのが恐いが、叶と一緒には、さすがに恥ずかしくてお願いできないらしい。
おねだりされるくらい懐かれているのは、悪い気もしないが。それでも、尊の外見がひっかかるのだった。
(ま、な。おふくろさんも、そぉんなこといわれた日には、困っちまうだろうしなぁ)
いや、案外太っ腹っぽいので笑ってオーケーするだろうか?
さすがにこれはバイトには含まれていないだろう。
ボランティアボランティアと自分に言い聞かせながら、細身とはいえ外見はしっかり成人男性な尊とベッドを共有することに目をつぶる八重垣なのだった。
「ほら。来いよ」
ぱふぱふと自分の隣を叩くと、ぱっと尊の表情がたとえようもないほど明るくなる。
「うんっ」
返事と同じように弾んで、尊がベッドにダイブする。
大きく揺れるスプリングに身をまかせながら、
「電気消すからな?」
布団を顎の下まで引きずり上げた尊が首を縦に振るのを確認して、ベッドサイドの照明を消したのだ。
照明が点いていては眠れないというのだから、しかたがない。
尊が来るまで読んでいた雑誌を床に落として、八重垣は目を閉じた。
夜が静かに更けてゆく。聞こえるのは空調の音と、遠く波のような叶とゲストたちのかすかなさんざめきばかりだった。
八重垣の特技のひとつに、どこででも熟睡できるというのがある。この夜も、それは変わらない。
リズミカルな寝息が室内に満ちる。やがて、心地好さげなそれに、不協和音が混ざった。次第に大きくなる苦しげな、詰まった息に、押し殺した呻きが混ざる。どれくらいつづいただろう、八重垣が気づいたようすはない。しかし、
「う……うっ」
尊が小刻みに首を左右に振る。ぱさぱさと、長めの前髪が、枕を何度も打つ。
「ぐっ」
突然、声が止まったと思った次の瞬間、
「う……うわぁっ!」
悲鳴が、尊の喉からほとばしった。
「えっ? あっ………どうしたっ」
さすがに飛び起きた八重垣が、ベッドサイドのランプを点す。
「尊っ。おいってば」
オレンジの暗い光に、脂汗をにじませた尊が照らし出される。整った眉間がこれ以上ないくらいに顰められていた。
いくら揺すっても痙攣のように震えている尊に、頬を軽く叩く。
名を呼びながら、連続して、叩いた。
薄い瞼が、何の前ぶれもなく開いた。
「おっ。尊………?」
安堵に顔を覗き込み、八重垣はなにがしかの違和感を覚えた。
目尻の下がった色の薄いまなざしがランプの光を宿して、色を濃くしている。それが、尊をまるで見知らぬ男のように見せたのかもしれなかった。
眩しさにか眇められた双眸が、八重垣を捉え、瞬きを忘れたかのように、凝りついた。
よく研いだナイフを首筋に当てられたかのような鳥肌が、背中にぶつぶつと立ってゆく。
ほんの少しだけ、八重垣自身そうと意識せずに、尻でいざり下がる。その時、複数の慌しい足音がして、向かいの部屋をノックする音が聞こえてきた。
決して薄い壁ではないというのに、ノックをしている人物はよっぽど慌てているのに違いない。夜も遅いということを忘れているのだろう。
向かいの部屋は尊の部屋で、もちろんのこと今部屋の主は不在である。それに気づいたのは、松谷だろう。
八重垣の部屋のドアがノックされ、開いた。
一番最初に入ってきたのは叶だったが、ドアから数歩踏み込んだだけで、立ち止まった。そのせいで、他のものたちも止まる羽目になった。叶とドアとの隙間から内部を覗き込み、一瞬だけ、誰が吹いたのかわからない口笛の高い音が薄闇を劈いた。
「……八重垣くん。これは?」
「へ? か、のうさん。いや、尊が一緒に寝ようって………」
男同士が一緒に寝てるのって、別段何もめずらしかないだろう――と、首をかしげた八重垣に、
「それだけ?」
少々硬い叶の声が、届いた。
「それだけって……ほかになにが………」
そこにいたってようやく自分と尊との今の状況を思い出し、
(げっ)
真っ青になった。
(もしかして、変な勘違いしてたり? いや、まて。いくらなんでも、そっちに頭を向けるか?)
嫌な予感を裏打ちするかのように、
「ほんと?」
尊の瞳の色よりも濃い色の双眸が八重垣の鳶色のまなざしを凝視してくる。
たたみかけるような念押しに八重垣の脳が音たててショートする。
叶の細められた瞳にさっきの尊にそっくりだ――などと、とぼけた感想が湧いていた。
背中に流れる脂汗。
(どうしよう………)
どこかから救いが現われないか、と、リフレインが頭を占める。
それは、思いもよらないところから、差し出された。
「お母さん? どうしてそんな顔をしているんですか」
むっくりと起き上がった尊が、ベッドの上からまっすぐに叶を見上げていた。
「み、尊こそ。どうして、八重垣くんの部屋で寝ているの」
変にひずんだ声が、いつも颯爽としている叶の口から転がり落ちた。
ライトの光にもわかる尊の白い頬が、ポッと赤く染まる。それに、叶の瞳が鋭さを増す。
八重垣も含めた全員の視線が、尊に向けられている。
「え? ………だって、その、恐い夢見るから、ひとりで寝るのがいやで、だから、八重垣にお願いしたんだ」
ますます赤くなって恥ずかしそうに肩を竦めた尊に、
「ああ、………そうだったの。でも、あんまり、八重垣くんにご迷惑をかけるんじゃありませんよ」
叶のことばから力が抜ける。
「はい」
と、尊は、そんな叶に、よい子のお返事を返したのだった。
しかし、それで、尊が八重垣の部屋に来なくなったかといえば、そんなことはない。やはり毎晩、色違いのテディ・ベアのパジャマを着た尊が、枕を抱えてやってくるのだった。
八重垣は苦笑しつつも尊を迎えている。叶も、あの後、変な誤解をして悪かった――と、謝罪をしてきた。それにやっぱり変なこと考えてたなと、ちょっとショックだったが、彼らはみんな外国生活が長いのだ。国内だけで生活しているものよりも、心配の種は豊富だったりするのかもしれない。
そんなことを思いながら、八重垣は苦笑しつつ尊をベッドに迎えている。
それでも、あの夜に見た、尊の冷ややかなまなざしは、ふっと脳裏によみがえる。
あれこそが、八重垣の知らない、記憶喪失になる前の寒河江尊なのかもしれない。
そう思うと、喉元にナイフを当てられているような、あの刹那の怖じ気を感じて全身に鳥肌が立つようなそんな慄きに囚われてしまうのだった。




