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2回目





 使用人たちが並ぶ玄関ホールは、張り詰めた空気で満たされている。さりげない配置で、黒い服のシークレットたちも、散らばっている。

 アプローチを進んでくる黒塗りの高級車が、五段の階段から数メートル離れた場所に停まる。次々と、計六台の車が、ずらりと並んで停車した。

 階段下で尊と並んで待っていた松谷が、前から二台目の車の後部座席のドアが運転手に開けられると、

「お帰りなさいませ」

と、いとも丁寧に腰を折った。

「ただいま」

 堂々と車から姿を現したのは、にっこりと微笑む、叶玲子である。

「お母さん」

「尊、元気だった?」

 尊にやわらかな微笑で応え、彼を抱きしめる。

「うん。お母さんも元気そうだ」

「もちろん。ステージは、気力と集中力、それに、体力勝負だからね。健康管理は完璧だよ」

「お母さんの活躍を直に見れないのが、寂しいです」

 しおれた風船のように肩を落とした尊の肩を抱き寄せた叶が、

「尊の病気が治ったら、いくらでも見れるよ」

「もう元気です。大和と一緒に、乗馬も水泳もしています」

 胸を張る尊を見つめる叶のまなざしには、あふれんばかりの愛情と痛ましさとが垣間見える。

「そっか。いい遊び相手ができてよかったね」

「はい」

「で、尊は、わたしにそのお友達を紹介してくれないのかな?」

「大和っ」

 歩きながら喋っているふたりの後ろで、手持ち無沙汰にゆっくりと歩いていた八重垣は、尊に呼ばれて、ホッと息を吐いた。

 尊に手を握られたまま階段下につれてゆかれてから、叶のほうのシークレッツや、おそらくはスタッフや信奉者たちのものだろう視線が、痛くてならなかったのだ。

(気にすることない)

と、心の中で唱えはするものの、シークレッツはともかく、新たなゲストたちの胡乱そうなまなざしは、不遜で傲慢な熱をはらんでいる。

(オレは、尊も、尊のかーさんのネタも、狙ってなんかいないんだ!)

 心の中で怒鳴ったまさにその瞬間に、八重垣は、尊に呼ばれたのだった。

 しかし、

「ああ、君が八重垣大和くんだね。わたしは、叶玲子。尊の母親だよ、よろしく」

 そう言った叶を取り巻いている、ある種独特の雰囲気を、何と例えればいいのか。

 あらゆる意味でハードなショウビジネスの世界のトップにその才覚と胆力とで長年君臨している、王のような女性である。

 思っていたより小柄なからだから放出されているオーラとでも言うのだろうか、それは、生半な男では太刀打ち不可能な、燃えさかる金の焔のようなものに思えた。ましてや、八重垣は、一介の高校生に過ぎないのである。

「八重垣大和です。はじめまして」

 胴震いをひとつして、差し出された手を恐る恐る握り返すのがやっとだったのだ。

「尊は君のことをとても気に入ってるようね。これからもよろしく。頼むわね」

 にっこりと微笑む叶の表情は、息子の白皙にどことはなしに似ている。惹きつけられて、目を離すことができないのだ。

(ああ、そっか。これが、カリスマってことなのかもしれないな………)

 抗えない吸引力に、視線を外すことができないまま、八重垣はそんなことをぼんやりと考えていたのである。



 静かだった館が、叶がいるというそれだけのことで活気づく。彼女のSPに加えて、弟子と熱狂的な取り巻き、合計して二十名が一気に増えたのだ。

 尊とふたり、向かい合って済ませていた食事も、夕食時は略式の正餐に変貌を遂げてしまった。

 テーブルの上座に、女王然として座る叶。その右脇には、尊が位置どる。以下、十二人のゲストが座を埋めてゆく。そこに、自分の席はないだろう。なんといっても自分はバイトなのだから。それはそれで堅苦しいことの苦手な八重垣には、助かることだったのだが。その認識は、覆された。八重垣は、尊のすぐ隣に席を与えられたのだ。辞退したかったのだが、尊の泣き落としと、尊にねだられたらしい叶とに迫られては、しどろもどろになってしまう。どちらかといえば、こだわりのないおおらかな性格の八重垣に、ふたりは鬼門なのかもしれない。結局、八重垣は押し切られた形で席につく羽目になったのだった。

 SPを除いた総勢十五人の晩餐は、にぎやかにはじまる。

 シャンパンがそれぞれのグラスに注がれると、尊の正面に座している外国人の中年男が、

“Bottoms up!”

と、グラスを持ち上げた。――どうやら、彼が、取り巻きの中心人物のようである。

 グラスを触れ合わせる音が、しばらくダイニングに響いた。

 やがて前菜が運ばれ、カトラリーのたてるかすかな音が、トーンを抑えた会話の合間に混ざる。

 和やかで笑いの絶えないテーブルだったが、この場のイレギュラーである八重垣に粘つくような興味の視線がまとわりついて、口に運ぶものの味がわからなかった。

(?)

 その中にほんとうに漠然とだが異質なものが混ざっているような気がして、八重垣はテーブルにつく人物を観察しようとした。

 ひとつやふたつではない突き刺すような視線の主を、十二人の中から探し出すのは意外と難しい。テーブルを立つわけではないが、全員が好き好きに動いているのだから、当たり前ではある。

 ここまで来ることができた弟子は所謂高弟というやつらしく、同時に公演準備に明日からスタッフとしても働くらしい。それが、四名。残る八名が、取り巻きだ。総勢十二名のうち、男が七名、女が、五名。こうして見てみると女のうち四人が、尊を意識しているらしい。ぼんやり、うっとり、ねっとり、ウィンクを投げかけたり、恥ずかしそうに視線をすぐ料理に伏せたりと、様々ではある。残る一人は、弟子の一人の世話を何かと焼いている。同様に、男たちは叶に惚れていたり心酔したりしているようだった。鞘当てとでもいうのか、彼女の気を惹こうと次々と話しかけている。

 会話を拾ってみると、取り巻きの男女はどうやら金も地位もかなりなものばかりのようである。

(別世界だよな………)

 尊に懐かれなければ、自分には一生縁のないだろう世界である。会社の社長やらグループのオーナー、有閑貴族らしいやからまで、人種も国籍もまちまちで、日本までついてこれなかったものが地団太を踏んでいるだろう――などと笑っているあたり、この何倍の取り巻きがいるのか考えるだけで空恐ろしいほどである。

「どうしたの、大和。気分でも悪い?」

 目の前で、琥珀色の瞳が、心配そうに揺れている。

「あ? ……いや、別に」

「そう。よかった。お母さんはもてるからね、みんな必死なんだ」

 八重垣の退屈を見抜いた尊に、一瞬心臓が跳ねた。

(時々、鋭いんだよなぁ)

「それで、おまえは平気なのか?」

「うん。僕はね、お母さんが幸せでいてくれるのが嬉しいんだ。お母さんに恋人や婚約者ができるのはいいんじゃないかなって思うよ」

 首を傾げてそう答えた尊の髪をくしゃりと掻き乱して、

「えらいな。尊は」

 笑った八重垣はいつの間にかテーブルが静まり返っているのに気づいた。

(やばっ)

 八重垣は、慌てて手を引っ込めた。



 叶が日本に来た理由のひとつには、日本でのショウの契約があるというのもあるらしい。

 翌日、契約先との打ち合わせで出かけた彼女は、ちょっとした怪我をして帰ってきた。

 左手の白い包帯を見て、恐慌に陥った尊に、

「大丈夫だよ。ちょっと切っただけだ。ショウにはさしつかえない」

と、叶は、尊を抱きしめて笑ってみせたのだった。





 夜、夢うつつでノックの音を聞いたような気がした。

 返事をしたような、そんな記憶もうっすらとある。あるが、これはどうしたことだろう。

 寝返りをうった八重垣は、自分の邪魔をする何かにぼんやりと目を開けた。

 寝返りをしきれなかったのだ。

(うう………なんだよいったい~)

 目にかかる前髪を払った八重垣は、

「っ!」

 かろうじて悲鳴を飲み込むことに成功した。

 起こさないように気をつけて、そろそろと上半身を起こした八重垣は、詰めていた息を吐き出した。

 まだ心臓はついさっきの驚愕にドキドキと激しく打っている。

 目の前に漆黒の乱れた髪と白い顔があった、その衝撃は、笑い話では決してすまない。

 なにが起きたのか………。

 脳が目覚めるまで、じっくり数秒が必要だった。

「びっくりしたなぁ」

 気持ちよさそうに寝息をたてて熟睡しているらしい尊を、カーテンを閉め忘れたほの明るい部屋で見ていると、すっきりと消えたはずの睡魔が再びもやもやと集ってくる。

「ま、うん。心はガキんちょだし…………いっか」

 ふにゃりとつぶやいて、八重垣はもう一度ベッドに寝転がったのだった。

 朝食の支度が整ったと告げに来た松谷が見たのは、額をつき合わせるようにして眠っているふたりだった。

 松谷が無言のままベッドサイドでたっぷり一分間は硬直したのを、知るものはいない。


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