100.偏った恋と執着の物語⑥
やがて、学園を卒業した。
全ての課程を終え、名実ともに大人への階段を上った――その証として開かれる、上流貴族令嬢の“デビュタント”。
会場は王都でも選び抜かれた由緒正しき大広間。金糸のカーテンに包まれた空間は、花々の香りと音楽の調べで満たされていた。
シャンデリアの光が反射して煌めくフロアの真ん中へ、私たちは静かに現れた。
ディーズベルダは、深みのある黒を基調に、光を受けて輝く金の刺繍が贅沢に施されたドレスを纏っていた。肩から腰にかけて優雅に流れるラインには、細やかに宝石が縫い込まれ、動くたびにきらりと煌めきを放つ。
私もまた、彼女と対になるように仕立てられた黒の正装に身を包む。
金の刺繍が裾と襟に重厚感を添え、胸元にはアルディシオン公爵家の紋章が誇らしげに輝いていた。
まるで、“我らこそがアルディシオン公爵家である”と高らかに宣言するような、威厳と気品を纏ったペア衣装だった。
「お揃いの衣装を着るなんて……婚約式以来ですね」
彼女の手を取り、ゆっくりとフロアへと誘いながら声をかけると、彼女はほんの一拍の間を置いてから、そっけなく答えた。
「そうですねー……」
その口調は、棒読みだった。悪気があるわけではない。けれど、心がこもっているわけでもなかった。
(……まだ、俺は“そこ”にたどり着けていない)
それでもいい。こうして、彼女の隣にいられるだけで、何度だって歩き出せる。
音楽が優しく流れ、私たちは一歩、また一歩と踊り始める。
リズムに合わせて回転し、彼女のスカートがふわりと舞った。
ほんの数年前まで、俺に見向きもしなかったこの人が、今こうして手を取ってくれている――それだけで、胸が満たされた。
けれど、満足してはいけない。
この手を、誰にも渡さないと決めたのだから。
曲が落ち着き、ゆるやかなステップに移ったところで、私は小さく問いかけた。
「……そろそろ、結婚しましょうか。婚約して二年になりますし」
その瞬間、彼女の足がぴたりと止まりそうになる。だが、彼女はすぐに踊りの流れを崩さずに、静かに返してきた。
「いえ。……どうせ、離婚させられますよ」
その言葉には、苦い諦めと、どこか達観したような響きがあった。
彼女の視線が一瞬、客席のほうへと流れる。そこには――スフィーラ王女の姿。
豪華な金糸のドレスに身を包みながらも、その眼差しは、確かにこちらを睨むように光っていた。
「こうして、ワルツまで踊っているというのにですか?」
「踊れることと、結婚できるかは別問題ですわ。……王族の望む未来に、私なんて含まれていませんもの」
そんなの、あなたも分かっているでしょう?と言いたげな目を向けられる。
私は小さく、微笑んだ。
けれど、その奥では――すでに決意を固めていた。
「なら……結婚できる状況にしてみせましょうか」
「え……?」
ディーズベルダが一瞬、目を見開いてこちらを見た。
だが私は、何も答えずに微笑むだけだった。
スフィーラが邪魔なのだ。
あの王女の存在が、ディーズベルダの未来に影を落とす限り、俺たちの平穏は得られない。
そして彼女の家――アイスベルルク侯爵家の現状や、彼女の周囲の“雑音”も。
そのすべてを取り除かなければ、彼女は安心して前に進めない。
だったら、仕組むしかない。
彼女の人生を守るために、俺自身の手で未来を作り変えるのだ。
(ディーズベルダ嬢。今はまだ、信じられないかもしれませんが……)
――あの頃の俺は、すでに正気ではなかった。
彼女の視線を一瞬でも奪えるなら、どんな手でも使ってやる。
そう思い詰めた末に俺がやったことは、まさに“卑劣極まりない”行為だった。
スフィーラ王女のやり方を陰で笑っていた俺が、気付けば――同じ地に立っていた。
俺は、自ら人を雇った。
彼らには“スフィーラ王女の支持者”として行動させ、ディーズベルダ嬢の行動の隅々を監視し、時にはわざと問題を起こして“疑いの種”をばら撒かせた。
スフィーラが彼女を“悪役”に仕立てたいと望んでいることを、利用した。
俺はそれに、黙って協力したふりをした。
毒など使われていないことは、最初からわかっていた。
だが、もし“そういう流れ”が作れれば、王族に触れた者として彼女は王都から排除される。――つまり、俺だけの場所に、落ちてくる。
その果てが、“王女毒殺未遂”という、とんでもない罪であろうとも。
だが、処刑などさせるつもりはなかった。
それらしい理由をつけて、すぐに父に動いてもらった。
ディバルス公爵に、王への助言としてこう伝えさせたのだ。
「確かにあの娘は罪を犯したかもしれません。ですが、数々の功績も事実。処刑してしまうには、あまりにも惜しい存在です。
魔道具による発明の才、それは搾り取れば王国の利益となりましょう。――未開拓の“最果ての荒れ地”に送り、領主として生かすのはいかがでしょうか」
それは名誉などではない。追放と同義で、実質的な隔離。
だが、生かすという選択肢を与えられた以上、王もスフィーラも反対はできなかった。
(――その土地こそ、俺がずっと準備していた場所だ)
最果ての荒れ地――常に紫霧が立ちこめ、魔物が彷徨う地。
だが、その中心にある“魔王城”と呼ばれる巨大な遺構だけは、特別だった。
あらかじめ、俺は決めていたのだ。
彼女を“あの城”に隔離する、と。誰の目にも触れず、誰にも奪われず、俺だけが彼女の隣にいられる場所に――。
もちろん、不審がられては困る。
だから、外見や構造には手を加えず、ただ“安全”を整えた。
魔王城内に巣食っていた魔物は、すべて密かに一掃しておいた。教会に依頼し、聖水による結界を張り巡らせ、魔除けの刻印を施したのだ。以後、魔物はその城の中に入ることすらできない。
彼女がすべてを失っても、そこに“安息”だけは残しておくために。
――そして、その安息を守るのが、俺であるように。
そう、“最果ての荒れ地”。
のちに“ルーンガルド”と名を変えるその地こそ、俺の描いた舞台だった。




