第60話 踏みにじられし記憶
カルロとグレーデンが敗走する中、ラヴィアは王城にてミアネイラと対峙していた。軽はずみに他者の記憶を弄り傀儡とするミアネイラに、ラヴィアは怒りを覚える。
アースガルズ市内より少し離れた小高い丘の上、ヴァルハラ城にミアネイラの姿があった。
市内での殺戮とラヴィア・クローヴィアの確保についてはグレーデンとカルロに任せ、彼女はこの城までやって来ていた。今回の任務は三種の神器の奪取こそが最優先の目的であり、暗号で閉ざされた宝物庫を穏便に開けるにはミアネイラの能力が不可欠であった。
彼女はまず衛兵の記憶を改竄して自身の手駒に変えると、兵に文官を呼びに行かせる。文官が寝ぼけまなこでやって来ると彼の記憶も改竄してしまった。文官は動き出す。敬愛するミアネイラ様の為に宝物庫を開けてご案内するために。
ミアネイラは兵士を伴い、その兵士に案内させる形で地下の宝物庫を目指す。途中で何度か見回りの兵士(騎士団の一機構、近衛内政局の兵である)と遭遇したが、彼女はその悉くを記憶改竄して従えていく。城の地上一階から地下への階段に到達する頃には、既に五人の兵士を伴っていた。ミアネイラの周りに侍るその兵士たちは、皆それぞれがミアネイラをこの城の主だと当然のように仰ぎ、敬愛と尊崇の念を抱くに至っていた。
階段を降りようとしたその時、何者かが上がって来ることに気付く。
その何者かは槍を構えてミアネイラ一行の前に立ちはだかった。
「やはり狙いは三種の神器でしたか。ですがここは通せませんよ」
「……クソガキ、先回りしてやがったのね」
現れたのはラヴィア・クローヴィアであった。ミアネイラは舌打ちをして、睨み据えるような眼をした。
「馬鹿な奴ね。屋敷から逃げ出せたことを幸運と思い、後は家に帰ってブルブル震えていればよかったのに、こんなところまで邪魔しに来るなんて。おい、お前たち!アイツを半殺しにしちまいな!」
ミアネイラの指示を受け、兵士たちは抜剣し斬りかかる。城内で軽はずみに刃傷沙汰に走るあたり、やはり誰も彼も正気ではないようであった。しかしその慎重さとは相反する心の有り様は大きなスキを生む。
結果としてラヴィアは彼らの剣撃をすべていなし、兵士たちに一発ずつ槍の一撃を入れることに成功した。わざわざ鎧に守られた部分を狙うか、槍の柄の方で殴るかしたので致命傷には至らないが、兵士たちは皆よろめき後ずさる。ラヴィアはブンブンと槍を振り回して余裕のある立ち回りをみせた。
(なんなのこいつ、長物の扱いが手慣れている。情報ではこいつは闘う才なんてない、お荷物の箱入りお嬢様だったはずじゃ……)
ミアネイラが苛立ちに顔をしかめる。
ラヴィアはダメ押しとばかりに煽る発言をした。
「すごく苛ついた表情……貴女は最初に逢った時から不機嫌そうでしたよね。あんまりカリカリしていると小皺が増えちゃいますよ、おばさん」
「おばっ……!あのねぇ!あたしはまだ二十七なんだけど!」
「私の年齢に十足しても追いつかないんですから、立派なおばさんですよぉ」
ラヴィアの表情は煽るようなせせら笑いを浮かべていた。ミアネイラは額に青筋を浮かべて叫んだ。
「殺す!ぶっ殺す!もう、アンタの記憶なんかどうでもいいわ!どーせたいしたことなんか知らないだろうし!お前ら、こいつは惨殺決定だ!」
(はいはい、そうやって力を浪費するといいですよ。マグナさんやスラさんの件で神の能力は消耗が大きくて長続きしないことが分かっていますし、そんな激情に任せた雑な記憶操作じゃ兵の動きも慎重さに欠ける。スキだらけですよ……!)
ラヴィアは兵士の攻撃をものの見事に捌いていく。
攻撃をいなすことよりも、むしろ反撃の一撃が致命傷にならないように気を配ることの方に神経を使った。名前こそ把握していないが、襲い来る五人の兵士はみなどこかで見たことのある顔だった。ラヴィアはフェグリナ討伐後も何度か王城に出入りしていたので、どこかの折に出逢っていたのだろう。反面、兵士たちもラヴィアの顔を見知っているはずであったが(フェグリナの偽者を除けば、城に出入りしていた黒い髪の女性など彼女くらいしかいないのだから)、一切気が咎める様子も無く斬りかかってくるその攻勢さが、ミアネイラによる記憶操作の強力さを物語っていた。
ミアネイラを許せないとラヴィアは思った。彼女は周囲の人間を自身の道具としてしか見ていない。その人が今までどんな思いをしてこれまでを生きてきたか、そんなことにはまるで意識を向けず、不躾に記憶をやりたい放題に弄り、自身の為の傀儡へと変える。記憶……それは積み重ねてきた自身の過去の集積であり、明日を導く礎ともなるべきもの!記憶を以て人の毎日、ひいては人生が成り立っていると言っても過言ではない。ミアネイラにはそれに対する礼儀だとか、敬意のようなものをまるで感じない。兵士たちは振るいたくもない剣を振るい、誰とも知らぬ礼儀知らずな女を主と傅いているのだ。
(あの人は他人を道具としか思っていない。ミアネイラ……許せない!この兵士さんたちとはお話ししたこともあったのに)
攻撃を捌きつつ、槍を振り回し、体勢を整え直す。
(それにこうして攻撃を捌き続けていても、膠着するだけです。なんとか隙を見つけてミアネイラを叩く……!)
ミアネイラさえ昏倒させてしまえば、兵士たちの記憶操作も解けるはずであった。ラヴィアは攻撃のチャンスを伺う。兵士たちの剣をいなし切った直後、矢のように駆け出すとミアネイラに急接近、渾身の力を込めて槍の柄の方で彼女の顔面を殴り飛ばした。
ミアネイラは情けない声を上げて、床に倒れ伏した。兵士たちがまるで糸が切れた操り人形のような不自然な動作をしたのち、動きを止める。そして混乱しているような困惑気な表情を浮かべ始めた。何故自分がここにいて、このようなことをしているのかを理解できていないような顔であった。
「……ここは?」
「俺は、いったい何を……?」
記憶の操作が解けたことを確認すると、ラヴィアは叫んだ。
「皆さん!今すぐここから離れてください!神の能力を持つ者の襲撃を受けています!記憶を操る能力者がいます!早く離れないと、また操り人形にされてしまいますよ!」
兵士たちはラヴィア・クローヴィアのことを知っている。彼女が正義の神の仲間であることも、嘘を吐き人を欺くような人間ではないことも。兵士たちは事情を素早く飲み込むと、そそくさとその場を離れた。戦闘能力がないはずのラヴィア・クローヴィアを取り残してよいのか……そんな疑問はあったのだが、異論を挟ませない凄みが今の彼女にはあった。
結果として、ミアネイラは手駒をすべて失った。頬を擦りながらふらふらと立ち上がり、ラヴィアを睨みつける。
勝敗はもはや決していた。しかしその時、ラヴィアには予想だにしない乱入者が現れた。
一人はヘアバンドの無精髭の男であり、もう一人はリーゼントの男であった。ラヴィアは警戒の構えを取るが、すぐに異様さに気付く。ヘアバンドの男は汗を流して息を切らしており、余裕のない表情をしている。リーゼントの男は顔がボコボコになって血を流しており、半死半生の体であった。
「カルロ、グレーデン、アンタらようやく……」
ミアネイラはカルロの顔を見た途端、盛大に吹き出し腹を抱えて笑い出した。非常にやかましく耳障りな声だ。
「ひゃはははははははは!なんなの、カルロ!その顔!あーおかしい!あはははははは!」
「楽しそうに笑っているところ悪いがミアネイラ、予定変更だ。アースガルズ市内での殺戮は断念する、ラヴィア・クローヴィアの記憶の件ももういい……!最優先目的の三種の神器だけ奪ったら、さっさとズらかるぞ!」
グレーデンの声音には非常に鬼気迫るものがあった。ラヴィアはこのまま彼らも戦いに加わるのかと思ったが、どうにもそれらしい様子がなかった。
(彼らはミアネイラの仲間……?ですが様子がおかしいですね、このまま戦いになるのでしょうか?)
流石に三対一は分が悪い。ラヴィアが内心焦り始めていたその時、轟音と共に城の壁が盛大に崩れた。その場の全員が音のした方を見る。そこには、眼鏡を掛けて柳色の髪をした厳めしい雰囲気の男が立っていた。




