第58話 ”揺るがぬ存在”レイシオ・デシデンダイ
アースガルズを襲撃したカルロとグレーデンのもとにマグナの眷属、レイシオ・デシデンダイが現れる。二人は攻撃を開始するも、レイシオに傷一つ付けることができず追い詰められていくだけだった。
アースガルズの北東部、官公庁エリアの建物の屋根にカルロとグレーデンの姿がある。カルロはそろそろ頃合いかと、夜空に出現させていた無数の光球を消した。再びアースガルズは夜の闇に包まれた。
グレーデンは遠く街の様子を伺っている。やがて異変に気付いた。
「妙だな、狼の生体反応が一度に十数匹は消えた」
「はあ?あの巨狼を一気に倒せるバケモンでもいんのかよ」
「しかし情報では正義の神は現在フランチャイカ王国にいるはずだし、騎士団の戦闘部隊エインヘリヤルもビフレストという旧神聖ミハイル領に向かっているはずだ」
「なら、一体だれが」
「それにおかしいぞ、街をよく見てみろ」
グレーデンに言われ、カルロは一つだけ光球を出現させて周囲を見渡す。アルテミスの能力で作り出された狼が街の人々を襲っている……のだが、その爪も牙も一向に外傷を与えるに至っていなかった。少し乱暴めなじゃれ合いのように映る光景だった。
「どうなってんだ、ありゃ」
「……わけが分からない」
その時、屋根の上にもかかわらず背後から声が聞こえた。
「お前たちか、この街を脅かす不届き者は」
二人は飛びのいて警戒態勢を取る。
これほど接近されるまで、何故気づけなかった?グレーデンの心拍数があがる。反面カルロは不敵な笑みを崩していない。
「一つ聞くぞ。ここが偉大なる正義の神、マグナ様の庇護する国であると知っての狼藉か?」
「だったら、どうだってんだ?」
「罪には罰を下す、それだけのことだ」
「はっ!何なんだよ、アンタ」
冷徹な声で語る眼鏡の男に、カルロは粋がった声を上げる。
「名乗るのが遅れたな。俺はマグナ様が作られし三眷属の一人、レイシオ・デシデンダイ。このラグナレーク王国を守護するものだ」
腕を組んだ状態から、眼鏡をクイッと上げる。
「眷属だと?正義の神に眷属がいるってのか、聞いてねえぞ!」
「おそらくアリーアもスラも掴んでいなかった情報だろう。それに”三”眷属と言ったか?お前以外にあと二人も眷属がいるんだな?」
「そうだ。だが一人は別の国の守護、そしてもう一人はマグナ様と共にある。このラグナレーク王国には俺しかいないが、まあお前たち程度なら俺だけでも充分だろう」
レイシオはそう言うと、眼下の街並みに目をやる。未だグレーデンの放った狼により、外傷こそないものの人々は慌てふためいていた。
「聞け!愚民ども!」
レイシオが叫んだ。
「お前たちが傷つくことは決してない!いつも通りの平穏な夜を過ごすのだ、それこそが不届きな狼藉者への最大の意趣返しとなる!何も恐れることはない!この国に誰の加護があると思っている!偉大なる正義の神マグナ様、そしてマグナ様より生まれし眷属であるこのレイシオ・デシデンダイがいる!この俺がいる限り、お前たちの安全は確たるものとなる!」
人々は慌てふためくことも忘れて、その大声で怒鳴る男を見ていた。力強く崇高な印象、そして現にまったく外傷を受けない不可思議な体験をしていたからか、その男が正義の神の眷属であることと、この国に正義の神の加護があるということがまことにすんなりと受け入れられた。人々はやがて冷静さを取り戻し始めた。
グレーデンは冷や汗をかき始める。
この状況はまずい。もとよりアースガルズでの殺戮は、正義の神の”信心”の削減が目的だった。しかしこれでは、かえって正義の神への尊崇の念が増すばかりではないか。
彼は街中に放っていた狼を消した。これ以上出していても、神力の浪費でしかないと判断したからだ。そして持てる神力をこの眷属を打ち倒すことに向けていく。グレーデンは先ほどまでアースガルズ市内に放っていたそれとは比べ物にならないほど巨大な狼を生み出した。立ちあがれば五メートル以上はありそうな巨狼が獰猛な唸りを上げてレイシオに襲い掛かる。しかし彼は、まるで近づく蚊を払いのけるような動作でたやすく叩き飛ばしてしまった。
グレーデンは後方に跳び退くと、金色の装飾が付いた弓を出現させる。同時に矢も出現させて、空中で射る。矢は射ったそばからすぐさま次の矢が手元に現れ、目にも止まらぬ連撃となる。だがまるでダメージになっていなかった。レイシオはいたって無傷のままであり、放った矢は悉く彼の足元近くに散らばっていた。もし腕で弾いたとかであれば、もう少し離れた場所に落ちるはずだ。矢の全てが命中こそしたが、刺さることなく落ちたのだとグレーデンは理解した。
「やれやれ、買ったばかりの安物が」
レイシオは眼鏡を外す。あれだけ攻撃して、成果は眼鏡を歪めただけ……グレーデンは歯噛みした。
「まあ、スペアがあるから問題ない。そして安物買いの銭失いとは実に正鵠を射た言葉だな。次はもう少し良い物を買うとしよう」
懐から同じような眼鏡を取り出して掛けると、レイシオは悠然と歩き出す。
「どうした、万策尽きたか?来ないならこちらからいくぞ」
「……!」
グレーデンは次の手を考える。しかし狼も弓矢も通用しなかった、なす術がない。レイシオはやがてグレーデンを追い詰めると顔面に容赦の無い殴打を加えた。彼は血を噴いて、屋根から墜落した。
振り返ると今度はカルロが臨戦態勢を取っていた。彼はアポローンの能力で熱と光を操ることができる。カルロの手には燃え盛る火球が形成されていた。邪悪な笑みと共に火球が放たれレイシオは激しい高熱に晒されるが、炎がのけた後はやはりなんともなさそうに、いたって平静に佇んでいるのだった。
「馬鹿な!火傷一つ負わねーのか……」
「……悪いが春も終わり頃で夏も近い。よって暖炉は不要だ、時節くらい読め」
レイシオはドロドロに溶解した眼鏡を投げ捨てると、懐からスペアを取り出して、掛ける。カルロの顔からはさすがに余裕の笑みが無くなり始め、反してレイシオの方が不敵な笑いを浮かべながら言う。
「俺はレイシオ・デシデンダイ、”揺るがぬ存在”。偉大なるマグナ様のご意志ある限り……この俺もまた無敵!無謬!無揺なのだ!」




