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*初稿テスト。
*最終稿・連載版は、2027年1月開始予定の『ガールフレンズ・ワンダーランド/柊木陽介の冒険』に掲載予定です。
「それじゃあ京極さんは? 彼には会った?」と鹿山真守は訊ねた。
「あの方ならシンガポールに」バーテンダーは答えた。「どうやらお身体の具合がすぐれないようですね」
「お身体ね」真守は続けた。「それじゃあ立見さんは? 立見孝之」
「いまはたしか軽井沢に」これにもバーテンダーは答えた。「簡単なお仕事なら再開されたと聞きました」
「じゃあサルハマシギのダンナは?」さらに真守は続けた。「彼には会ったかい?」
「サルハマシギ?」とこれにはバーテンダーも少し考えたが、「ああ、北原さまですね」とすぐに想い出して答えた。「先々週ドバイからお戻りになられた際に少しだけ」
「いまは? 東京には?」
「いえ、とんぼ返りだと仰っていました」
実際のところ真守は、いま名前の出た知人たちの動向を知ってはいた。めっきり表に出ることも、SNSでのつぶやきも減った彼らではあったが、時々ネットにあげられる、その欠けらや痕跡を、拾い上げては組み合わせれば、彼らのいまの居場所や状況を推理出来る、それくらいの知性ならいまの彼にも残っていたからである。であるが、
「そうかい、なんだかさみしいね」そう本人も言うとおり、「ここに来ればだれかに会えるかもと想ったんだが」
そんな過去の亡霊、バビロンのバラ、兵どもが夢の……と、流石にこれはカッコつけすぎだが、そういうあやふやな幻影のようなものにすこし期待し、この四十二階にあるホテルのバーへと、いまの彼には一杯のマティーニを頼むのにも相当の勇気が必要となったこのバーへと、彼はやって来たからであった。
生演奏のジャズバンドが『ザ・スリル・イズ・ゴーン』を始めた。まえにここで聴いたときにはもっとずっとアップテンポなアレンジだった気がするが、いま、この、二〇一九年四月に聴くこの曲は、ずっともっとマイナーな、キングのバージョンにちかいものになっていた。
『熱狂は消えた。
熱狂は消えてしまった。
僕は君に酷いことをした。
それは分かっているよベイビー。
いつも僕はそれを後悔している。』
オーストラリアなまりの消えない女性シンガーが歌詞を変え、あるいは間違えたままに歌った。いや、ただただ、真守の耳にそう届いただけかも知れないが。
「ふん」と真守は自嘲気味に小さくわらうと窓の外を見た。相も変らず、どこまでも続くような光、光、光、いかにも異様で、不吉ささえ感じさせるような街の灯りが見えた。もちろんその異様さ不吉さも、いまの真守にはそう見えるだけのことだったが。窓にうつる客を見ると、その九割は外国人で、残りの一割の日本人は本物の金持ちか、あるいはすっかり肉も欲も落ち切った夫婦ものくらいだった。
『興奮は消えた。
それは僕から離れちまった。
だけれど僕は生き続ける。
ずっとひとりで、
ずっと孤独を抱えたままに。』
「ふん」とふたたび真守は自嘲した。いまの客層、いまのブルースこそが、このバー本来のすがたなのだろう。開放的な二層吹き抜けの天井、静かに傾けられるグラスの鳴る音、氷の音、控えめな英語あるいはフランス語での歓談、上品な笑い声。そこにはドレスコードぎりぎりを狙った下品な若者やシャンパンタワー、スマホのチャート画面に一喜一憂する成金や浮き足立ったマネーゲーム的会話はもうすでになくなっ――いや、そもそもそんなものは最初からなかったかのようになっていた。ここはもとの、本来の客層に合わせた場所に戻っていたのである。
『熱狂は消えた。
熱狂は消えてしまった。
いつか全てを乗り越えないと。
それは分かっているさベイビー。
男としてそうしなければってね。』
「あ、いや、もういい」バーテンダーの質問に真守は答えた。「いまじゃあすっかり自重してるんだよ」
「左様でございますか」バーテンダーは微笑で返した。「以前はかなりお飲みになられたものでしたが」
それは彼なりの慰めであると同時に賞賛でもあった。真守は軽く肩をすくめ、こちらも微笑で返した。
「こちらにはいつまで?」バーテンダーが訊いた。
「たぶん、二日か三日」真守は答えた。「義姉の家に預けている娘たちに会いに行くんだ」
「それは、まあ」バーテンダーは言った。「いま、おいくつで?」真守に子どもがいることを彼は知らなかった。
「今年九つになる」真守は答えた。「ふたごでね、いい子たちだよ」
「左様でございますか」バーテンダーはすこし答えにこまったが、「それでは、まだまだかわいい盛りでしょう」と言ってほほ笑んだ。
真守はすぐには答えず、グラスに残ったマティーニをひと口含んでから、「そうだね」とつぶやくように言った。「きっとそうだろうね」
*
柊木陽介と和登恵一の最初の出会いは二〇一七年の一月初旬だった――とは、すでにどこかで書いたと想うが、その出会いから和登先生がいまの奥さまと所帯を持つまでの約七年と十ヶ月、彼らは同じマンション(いま柊木さんが暮らしているあのマンション)で共同生活を行なっていた。
その理由は主に金銭面で、大きな窓のあるリビングに広々としたキッチン、それに寝室にも使える部屋がふたつと予備の小部屋がひとつあり、これにお節介で口うるさくて料理上手でヤクザの二三人なら一喝で追い返せる気が強く腕っぷしも強い大家さん(未亡人)が付いてくるのである。そんなマンション、他に探そうと想っても映画やドラマやあなたがいま読んでいるような三文小説の世界にしかない。
ということで、せっかく見つけたこの好物件を手放したくない柊木さんであったが、彼もまだまだ探偵業を始めたばかりで日が浅く、収入も少ない。そこで家賃を折半してくれて、こんな気難しくて変わり者の自分とも――って自覚あるんですね、よかった――折り合いを付けてくれる同居人を探していたところ、ある事件で知り合った男性から、上海から戻って来たばかりの和登先生を紹介してもらい、なんやかんやのすったもんだがあって後(この“すったもんだ”も文庫本一冊ほどの量があるので今回はカット)、結果意気投合してしまったふたりは、あのマンションで一緒に暮らし始めたのであった――って、もう、ね、この、ね、見た目も性格も正反対のイケオジ二人が同じ屋根の下で同居生活ってなによ、その腐女子ホイホイ。絶対狙ってやってるでしょ? 絶対狙ってやってるに決まってるじゃない――と今でも時々BL時代の煩悩が頭をもたげそうになる私ですが、
「狙ってる? ってなにを?」とその辺全然お詳しくない和登先生は私にこう言い返すわけです。「家内や新谷夫人も冗談めかしてたまに言って来ますけどね、私と陽介は別にそういう関係ではありませんよ」
「でもでも七年と十ヶ月ですよ?」と更に訊き返す私――あ、ちなみに『新谷夫人』ってのは前述の未亡人大家さんね。「まかり間違ってナンヤカンヤってことも――」
「ありません」と和登先生。かなりきっぱり、「あいつとはただの友人ですし、仮にそうなら、なぜ私は家内と結婚してあそこを出たんですか」
うん。まあ、そこは、周囲の目をくらますための偽装結婚ってのは全然あり得るシチュなので――って流石にこれは言うと怒られるから言わないとして、
「だったらなにかイベントは?」とそれでもなにかいいネタは? と食い下がる私。「こう、同居生活ならでは的な」
「イベント?」
「そうそう。例えば一緒にスーパーへお買い物とか」
「え? あー、いや、食事は基本陽介の担当だったので――」
「ほう!」
「はい?」
「え? え? するとあれですか? 和登先生が病院から帰って来ると柊木さんがご飯を作って待っててくれたりしたんですか?!」
「え? いや、それだとあいつの食事時間と合わないので、冷蔵庫に入れておいてくれたのを『チンして食べろ』って言われ――」
「ほうッ!」
「はい?」
「え? え? でもでも、お休みの日とかは? お休みの日とかはエプロン姿の柊木さんが和登先生の目の前でお料理を作っ――」
「え? いや、休みの日は僕がパスタを作ったり、あるいは二人で一緒に作っ――」
「ほほう!」
「はあ?」
「そ、それは、その、あ、あそこのキッチンで?! お、おふたり並んで?!」
「まあ……基本料理はキッチ――」
「共同作業ですね!」
「は?」
「なるほど、なるほど、いいよ、これはいいシチュエーションですよ」
「あ、あの、樫山せ……」
「いいです、いいです、分かってます。分かってますから」
「はあ」
「で、あれですよね? 食事を終えたらお酒かコーヒー持ってベランダに出るんですよね? もちろんおふたりで」
「え? いや、そのまま食器を片付けてテレビを見たり本を読んだ――」
「で、で、ベランダに出ると月が上ってたり、夜風なんかも吹いて来たりするわけですよ」
「はあ」
「で、で、ベランダにこう、こんな感じに(どんな感じだよ)並んだふたりは、部屋とは違う夜の空気に、ついつい本音で語り合っちゃうわけですよね?」
「え? いや、ですから別に、食事後ベランダなんかに――」
「ですよね?!」
「はあ……」
「で、まあ、和登先生はお酒で少し酔っちゃたりなんかして、柊木さんは紙の煙草に火なんか点けちゃったりなんかして――」
「え? あいつはその頃すでに電子タバ――」
「で、で、和登先生もちょっと酔ってるもんだから、『僕もたまには喫ってみようかな』って、柊木さんの胸ポケットから煙草を一本盗み取って――」
「はあ」
「『わるいな陽介、火をくれ』って、そのまま柊木さんの喫っている煙草から直接火を――って! キャーッ! この! この! エロ中年!」
「はあ……」
「で、で、お酒も飲み終わって、煙草も喫いおわったおふたりは、そのままふたりの寝室へ――」
「は? あ、いや、あそこのマンション、寝室ふたつあったでしょ? ひとつは僕の、ひとつは陽介の」
「えー、そこはひとつにしときましょうよー」
「しときましょうって……実際ふたつに分かれてたんだ――」
「じゃ、じゃあ、壁が薄くて相手の部屋の寝返りや柊木さんの寝息、スマホの鳴動音なんかが聞こえたりは――」
「あ、あそこ、部屋同士の壁がけっこう厚くて――」
「聞こえねえのかよッ!」
「はあ」
「それは、がっかりだあ、おばさんがっかりですよ、和登先生」
「はあ」
「ない? なにか他に、こう、代わりになるような、共同生活ならではって言うか、おふたりならではって言うか――」
「はあ……」とここで和登先生。もう既にかなりドン引きしているにも関わらず、それでも、「ああ、そうそう、寝室と言えばですね」と私の妄想力強化にご協力して下さる。「ほんとあいつは困ったヤツでして」
「ふんふん」と食い付く私。「なにが? なにがどう困ったヤツなんですか?」
「いや、もう、勝手に入って来ちゃうんですよ、あいつ、僕の寝室に。こっちがいくらカギかけても、そんなの関係ないって感じにササッと開けて、朝でも夜でも関係なく、僕の枕もとに立って、こちらの寝顔をジッと見――」
「それー!」私は叫んだ。「それそれそれそれそう言うの!」と興奮気味に。「そういうの! もっと! 具体的に!」
「具体的?」
「その、ほら、どんなシチュエーションで、とか、どうして柊木さんが入って来たのか、とか」
「ああ、まあ、でも、樫山先生が想われているような――」
「いいから! そこから妄想をふくらますのはこちらでやりますから!」
「はあ……じゃあ……あ、だったら、これなんかどうですかね」と和登先生。ゆっくり椅子から立ち上がると、「妄想はさておき、かなり興味深い事件が――」
と言ってすぐそばの本棚の方へと向かうのだが……って、すみません。いまの私に必要なのはイケオジふたりのイチャイチャシチュであって小難しい事件やなんかは――、
「いえいえ、そう言わずに……ああ、これこれ」といつもの『事件録』の一冊に手を伸ばす和登先生。「もう七年も前のことになりますがね、このときも勝手に部屋に入って来た陽介に起こされましてね」
はあ。
「『まだらの紐』って名前で残しているのですが――」
(続く)




