最終話 望む未来へと
ロサーヌ嬢が去った後、その場には私とイルファー殿下、マディウスが取り残されていた。
私のかつての婚約者は、こちらの様子を気まずそうに伺っている。ロサーヌ嬢が去っていた扉の方も気にしているようだ。
私はイルファー殿下と顔を見合わせてから、一歩を踏み出す。マディウスにも、色々と言っておかなければならないことがあるからだ。
「シルフィア、僕は……」
「マディウス様、あなたは貴族としてあるまじきことをしました。私との婚約破棄して、家の評判に泥を塗り、それだけに留まらず、ロサーヌ嬢と遊び惚けていた。そんなあなたが、モルドン伯爵家にいられる訳はないということは、わかるでしょう?」
「……」
マディウスはモルドン伯爵家から追放される。その事実を私は改めて、突きつけなければならなかった。
マディウスは、私から目をそらす。彼の表情からは、迷いが伺える。この状況で、私に何と言うべきか悩んでいるということだろうか。
彼はずっと、私に対して罪悪感のようなものを覚えていた。それならば、改めて謝罪の一つでもしてもらえるだろうか。
「……シルフィア、頼む」
「え?」
「君から父上に言ってくれないか? 僕をモルドン伯爵家から追放しないで欲しいと……」
立ち上がって私の肩に手を置いたマディウスの口から出てきたのは、私が思っていたような言葉ではなかった。
それに私は固まる。彼はなんということを言うのだろうか。この期に及んで、まだ私にそんな頼みができるなどと、そう思っているなんて。
「マディウス、あなた、何を言っているの?」
「もう一度、やり直すチャンスをくれないか? そうだ、惑わされていたんだ、ロサーヌに。僕は彼女に……今度こそ、君との未来を僕は……」
「……」
マディウスの言葉に、私は悟ることになった。本当に、本当に彼は落ちる所まで落ちてしまったのだということを。
わかっていたはずだったが、ここまでみっともない姿を見せられると、気持ちが一気に冷めてくる。彼に対する情というものが、私の中から完全に消えようとしていた。
それに合わせて、私の体はゆっくりと動き始めていた。手を大きく振り上げた私は、思っていた。これで全てを終わらせようと。
「……待て」
「……イルファー殿下?」
しかし、私の振り上げた手が振るわれることはなかった。
イルファー殿下が、それを止めたのだ。彼は私の手を持ち、ゆっくりと首を横に振る。
「こんな奴をあなたがぶってやる必要はない。あなたの手が汚れるだけだ」
「イルファー殿下……」
「気が晴れないというなら、これで我慢しろ」
「え?」
「うっ……!」
私の身が引かれて、イルファー殿下の体が前に出た。
次の瞬間、彼の拳が振るわれた。意表を突かれたからか、マディウスはそれを食らった。
彼の体はよろけて、その場に伏せる。それからマディウスは、ゆっくりと目の前にいる第二王子に視線を向けた。
「な、何をするんだ。第二王子が暴力なんて……」
「残念だが、俺はシルフィア嬢とは違い優しい人間ではない。マディウス伯爵令息、あなたはロサーヌ嬢にモルドン伯爵家を売ろうとしたな? 王家として、それは看過できるものではない」
「なっ? あ、いや、それは……」
「あなたの行き先は、ロサーヌ嬢と同じ場所だ。ある意味では彼女とお似合いだったといえるな。さて、連れて行け」
「ま、待ってくれ。僕は、僕は……」
イルファー殿下が手を挙げると、また兵士達が現れた。
彼らは騒ぐマディウスの言葉に耳を貸さず、彼を連れて行く。
私の元婚約者は、最後まで往生際が悪かった。そんな彼は、牢屋の中で反省してくれるだろうか。
いや、最早そのようなことを考えても無駄なことだろう。私と彼の道は、恐らくもう交わらないだろうから。私は心の中で、マディウスに別れを告げた。
「イルファー殿下、ありがとうございます」
「……何の礼だ?」
「色々なお礼です。でも、そうですね。先程はありがとうございました。私の代わりに、彼を殴ってくれて……」
「いや……あまり良い行いではなかったな。俺としたことが、激情に身を任せていた」
マディウスが去って、私とイルファー殿下がその場に取り残された。
とりあえず、ロサーヌ嬢とのことは一件落着と思っていいだろう。私は安心して、少し気が緩んでいた。
ただ、イルファー殿下の方はそうではないらしい。あのマディウスを殴ったことさえ、彼は気に病んでいるということだろうか。
「イルファー殿下にも、そう言うことがあられるものなのですね? やはり、マディウスの行いは不快なものでしたか?」
「もちろんだ。マディウス伯爵令息の行いは、貴族としても紳士としても良いものではなかった。何より、あなたを侮辱したことが俺は許せない」
「私を……」
イルファー殿下の意外な言葉に、私は少し驚くことになった。
彼が怒っているのは、貴族としての在り方などに関することで、そこに私があるとは思っていなかったからだ。
ただ、私はすぐに自らの勘違いを悟る。要するにイルファー殿下は、紳士的な振る舞いの悪い例として、私を挙げただけだろうと。
「そうですね。紳士として、マディウスが不適切だったことは事実だと思います」
「そうではあるが、俺としてあなたに対してああいった振る舞いをしたことが、問題だ」
「え?」
「今日という日まで、俺はあなたと行動をともにしてきた。その中で、わかったことはある。あなたの強さや優しさというものに、俺は敬意を感じている」
私は、勘違いしていなかったらしい。イルファー殿下は、私個人を思って行動していたようだ。
それはなんというか、少し嬉しかった。イルファー殿下がそうであるように、私も彼のことを少しわかってきているから。
「故に、あなたに一つ言っておきたいことがある」
「は、はい、なんでしょうか?」
「俺の妻になってくれないか?」
「……はい?」
イルファー殿下の怒りに喜んでいた私は、彼の言葉に呆気に取られることになった。
その言葉の意味は、考えるまでもないことである。王家の一人である彼が、軽々しくそのようなことを口にするはずはない。
つまりこれは、求婚ということになる。それを改めて理解して、私は再度動揺することになった。
「イルファー殿下? 何を仰っているのですか?」
「あなたと行動をともにして、俺は一人の女性としてあなたに愛を抱いたというだけのことだ。あなたとならば、これからの王家としての道を歩んでいけると、俺はそう思っている」
「そ、そこまで評価していただけるようなことをした覚えはないのですが……」
「俺がそう思っただけなのだ。あなたに心当たりがないのも無理はない。ふむ、ザナール侯爵家には改めて通達するとしよう」
イルファー殿下は、私の動揺も特に気にせず、話を進めていた。
彼ならば、このまま私との婚約にこぎつけることだろう。お父様だって、王家との縁談を断りはしないだろうし。
しかしそういうことなら、私も言っておかなければならないことがある。それは伝えておかなければ、フェアではないことだ。
「イルファー殿下、あなたにそう思われていたことを光栄に思います。そして、その、私もイルファー殿下のことは尊敬しています。あなたの妻になりたいと、そう思うくらいには」
「そうか」
「だから、その、話を進めていただければとそう思います」
「ああ、そうするとしよう」
私が少なからず決意して言った言葉に、イルファー殿下は少しだけ笑顔を浮かべるだけだった。大いに動揺していた私とは、大違いである。
喜んでくれているとは思うのだが、少し納得できないような気もしてしまう。もう少し反応というか、色々とあってもいいものではないだろうか。
とはいえ、冷静なイルファー殿下ならば、そう動揺するなどということはないものなのかもしれない。王家の一員として、そういう所は本当に信頼できる。
もっとも、それが妻として喜ばしいことかどうかは微妙な所ではあるが。そう考えてしまうくらいに、私はイルファー殿下との未来を望んでいるようだった。
END
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