第1話 突然の婚約破棄
王家が主催する舞踏会に、私は婚約者であるマディウスとともに参加していた。
彼とは、幼少期から付き合いがある。父親同士が懇意にしていた私達は、所謂幼馴染のような関係だ。
そんな彼との婚約については、喜ばしいものであった。
マディウスのことは信頼している。彼の妻――次期モルドン伯爵夫人として、きちんと振る舞わなければならない。そんな思いを持って、この舞踏会にも参加している。
「……なんて、気が早いかしらね?」
「シルフィア? どうかしたのかい?」
「え? ああ、いえ、なんでもないわ」
一しきり踊り終わった後、私は今後のことなどについ思いを馳せてしまっていた。
まだマディウスとは、結婚すらしていない。それなのに伯爵夫人となることを考えるなんて、やはり気が早いといえる。
「さてマディウス、もう少し踊るとしましょうか? 私達が婚約したということを、この場にいる人達に示さないといけないわ。もう既に、充分かもしれないけれど」
「踊るのは嫌いじゃないさ……うん?」
「マディウス? どうかしたの?」
私の言葉に手を伸ばそうとしたマディウスは、動きを止めた。
彼はある一点に、視線を向けている。私もその方向を見てみる。
するとそこには、一人の女性がいた。彼女は、舞踏会に参加している者の中でも、一際派手なドレスに身を包んでいる。
「派手なドレスね……」
「……」
「マディウス?」
「彼女はもしかして、ロサーヌ嬢なんじゃないか?」
「ロサーヌ嬢? ああ……」
マディウスに指摘されて、私は女性が誰であるかを理解した。
彼女はロサーヌ・ランドー子爵令嬢だろう。社交界でも浮名を流している令嬢の一人だ。
そのことで彼女は、問題をも起こしている。ある公爵家の令息と関係を持ち、その彼の婚約関係を破綻させたのだ。
「まさか、彼女がこの舞踏会に参加しているなんて……」
「……確かに、驚くべきことかもしれないな。えっと、確か彼女が問題を起こしたのは」
「二年程前だったかしらね? それ以来、大人しくしていると聞いていたけれど……」
ロサーヌ嬢は、私達よりも上の年代だ。この舞踏会に参加している者達の中でも、年は高い方だといえる。
端的に言ってしまえば、ロサーヌ嬢はいささか場違いだった。服装からしても、少々浮いているように思うのだが。
「……」
「マディウス? どうしたの?」
「うん? ああ、いや、彼女のことで色々と考えてしまってね? 色々とあるだろう。ロサーヌ嬢に関しては……」
「まあ、そうね。でも、私達には関係がない話よ」
「……なるほど、それもそうか」
マディウスは、ロサーヌ嬢の境遇や彼女が起こした事件について気にしているようだ。
ただそれは、私達には関わりがない。というよりも、関わるべきではないことだ。
そんなことをしても、無駄に痛手を負うだけだ。結局の所、他家の問題である訳だし、後は舞踏会を無難にやり過ごすべきだろう。
◇◇◇
王家の主催する舞踏会は、無事に終わった。
ロサーヌ嬢という懸念点はあったが、彼女も特に目立つことはしていなかったように思える。
彼女も過ちを反省して、前に進んでいるということなのかもしれない。そう考えると、偏見を持って彼女を見ていた自分が、少し恥ずかしくなってくる。
「マディウス、そろそろ帰らないと駄目ね?」
「……」
私は、マディウスに話しかけていた。
私達の家の領地は隣り合っているため、帰り道は一緒だ。そろそろ帰りの馬車に乗りこまなければならない。
しかし、マディウスは私の呼びかけに答えなかった。彼は俯いている。何かあったのだろうか。
「マディウス? どうかしたの? うかうかしていたら、日が暮れてしまうわよ? それとも、王都にもう一泊していくつもりなのかしら?」
「……そうだな」
「え?」
私の冗談めいた言葉に、マディウスはゆっくりと頷いた。
それに私は、驚く。彼が真剣に頷いてくるなんて、思ってもいなかったことだからだ。
「マディウス、どういうつもり? 王都にもう一泊していくなんて……何か用でもあるの?」
「……シルフィア、君との婚約は破棄させてもらう」
「……なんですって?」
私は、再度耳を疑うことになった。
婚約破棄、マディウスは確かにそう口にした。それは貴族として、あるまじき言葉だ。
「マディウス、悪い冗談はやめて頂戴。婚約破棄なんて、軽々しく口にするものではないわ」
「軽々しく口にしているつもりはないとも。僕は本気だ」
「本気? それなら、もっと質が悪いじゃない。あなたは、それがどういう意味であるか、本当にわかっているの?」
「もちろん、わかっているとも」
マディウスは、真剣な顔をしていた。言葉通り、本気であるということだろうか。
しかしなんとも、信じられないものである。真面目なマディウスが、婚約破棄なんて口にするなんて。
「何故、そのようなことを言うのかしら? 私に不満でもあるということ?」
「……君に不満があるという訳ではないさ。ただ僕は知ってしまったんだ。全てを投げ打ってでも、貫くべきものがあるということを」
「あなたが何を言っているのか、わからないわ」
「わからなくてもいいさ。理解してもらおうとも思いはしない。僕はただ、己の心に従うまでのことだ」
マディウスは、そう言って私に背を向けてきた。
これ以上、話す気はないということだろうか。彼はその場から、足早に去っていった。
その背中を見ながら、私は呆然とする。何故こうなってしまったのか、私にはまったく持って理解できなかった。
◇◇◇
マディウスに婚約破棄を告げられてから、私は王城の廊下をゆっくりと歩いていた。
これからどうするべきなのか、それが頭の中を巡っている。とりあえず、父にこのことを伝えなければならない。私が帰るよりも、手紙を出した方がことは早く伝わるだろうか。
「……浮かない顔をしているな」
「……え?」
考え込んでいた私は、聞こえてきた声に驚くことになった。
声の主は、私の隣にいる。彼は壁にもたれかかっていたようだ。私は通り過ぎようとしていたのに、まったく気が付かなかった。
そして、その人物の顔を見て私はさらに驚くことになった。そこにいるのは、この国の第二王子であるイルファー殿下であったからだ。
「イルファー殿下……」
「……あなたは、ザナール侯爵家のシルフィア嬢だな?」
「あ、はい、そうです」
「何かあったのか? ひどく浮かない顔をしているが」
イルファー殿下からの問いかけに、私はすぐに答えることができなかった。
果たして、彼に婚約破棄のことなどを伝えても良いのか、判断に困ってしまった。
ただどの道これは、すぐに広まることである。それなら、言っても構わないだろうか。私としても、誰かに聞いて欲しい気分ではあることだし。
「……それが、実は婚約破棄されたのです。モルドン伯爵家のマディウスに、です」
「婚約破棄か……それは穏やかな話ではないな。しかし、何故だ? あなたの婚約者のマディウス伯爵令息が、そのようなことをする理由はあるのか?」
「わかりません。何も教えてもらえませんでしたから」
「奇妙なものだな? しかし、それならば、俺にも無関係という訳ではないかもしれない」
「え?」
イルファー殿下の言葉に、私は首を傾げた。
私とマディウスの婚約に、彼が介入する余地なんてものはないはずである。はっきりと言って、私達は無関係だ。
いや、王家として統治している貴族の問題は、解決しなければならないということだろうか。それにしても、判断が早すぎるように思えるのだが。
「シルフィア嬢、カークス公爵家に起こった問題というものを知っているか? 俺にとってはいとこにあたるクードのことだ」
「クード様……それはもしかして、ロサーヌ嬢との関係について、ですか?」
イルファー殿下からの問いかけに、私は答えた。
それからすぐに、頭を過ってきた。そういえば彼も、婚約破棄をしたのだと。
ロサーヌ嬢と関係を持っていたクード様は、婚約者を切り捨てたのだ。それはまるで、マディウスのように。
「……イルファー殿下は、マディウスの婚約破棄がロサーヌ嬢によるものだと言うのですか?」
「俺としては、それを確かめておきたい所だ。今回の舞踏会も、そのための場だったといえるからな。これ以上、彼女が問題を起こすようならば、俺は厳正な対処をしなければならない」
「それは……」
イルファー殿下は、真剣な顔をしていた。
その表情で、ある程度わかった。彼がロサーヌ嬢を見極めようとしているということが。
「イルファー殿下は、ロサーヌ嬢について調査を行っている、ということですか?」
「そうだと言えるな。彼女については、対処せざるを得ないと判断した。彼女が問題を起こしたのは、クードの件が最初ではない。それまでにも幾度かあった」
私の言葉に、イルファー殿下はゆっくりと頷いた。
彼は、ため息をついている。それ程に、ロサーヌ嬢の件で頭を悩ませているということだろうか。
「ロサーヌ嬢のことは、なんとなく知っています。彼女は、一つ上の年代にあると思っていますが、それでも噂は耳にしています」
「そもそもロサーヌ嬢は、あなたの年齢くらいから問題があったといえる。その時期から彼女は、奔放だったそうだ。結局、婚約などは決まらなかったのも、それが原因だといえるだろう」
ロサーヌ嬢は、誰かと婚約したことなどはない。
クード様との一件も、駆け落ちじみたことが起ころうとしていただけだ。あれも正式な婚約ではないといえる。
「クードの奴は、愚かにも彼女に惑わされた。それで婚約破棄したことは、カークス公爵家の汚点になった。カークス公爵は父上の弟だ。そのことで、王家も少なからず批判されることがある」
「……だから調査を?」
「それが理由の一端であることは確かだ。とはいえ、クードのことは奴の自業自得だ。それだけならば、動きはしなかっただろう。問題は、ロサーヌ嬢が何度か問題を起こしていることだ」
「まあ、有名になるくらいですからね……」
ロサーヌ嬢の評判は、社交界において良いものではない。いや、はっきりと言って悪いものである。
それでも彼女が擁護されるのは、その美貌などがあるからだろうか。派手なドレスの是非はともかく、ロサーヌ嬢の容姿が端麗であることは否定できない。
「しかし、厄介なことに彼女が起こす問題というものは、解決するのが難しいものだ。ロサーヌ嬢と関係を持ったとされる者達が、口を揃えて彼女に罪はないと言うからな」
「それは……色恋沙汰であるが故、という訳ですか」
「そういうことになる。なんとも不可解なものだがな。故にこちらも、策を講じている。具体的に言ってしまえば、彼女が問題を起こすように取り計らった」
「……まさか、この舞踏会そのものが、ということですか?」
私の質問に、イルファー殿下はゆっくりと頷いた。
つまり彼は、ロサーヌ嬢にわざと問題を起こさせて、その罪を糾弾しようというのか。
だがそれならば、マディウスの行動はどう考えるべきなのだろうか。私はてっきり、彼もロサーヌ嬢の色香に惑わされたものだと、思ったのだが。
「以上が、俺の事情というものだ。そして、仮にあなたの婚約者であるマディウスが、ロサーヌ嬢に惹かれて婚約破棄したというならば、問題となる。こちらが用意していたロサーヌ嬢の相手役以外と問題を起こされては困る」
「なるほど……そういうことでしたか」
イルファー殿下は、極めて冷静に言葉を発していた。
しかし、事態はそんな風に余裕でいられるものではないだろう。マディウスが本当に行動を起こすとしたら、厄介なことになるのだから。
それでも冷静なのは、私に事情を説明するためだったということだろうか。
「仮にマディウス伯爵令息が、ロサーヌ嬢に惚れたとしたら、俺は彼を止めなければならない。そのためには、あなたの協力が必要だろう」
「私にできることなど、あるものでしょうか?」
「婚約破棄したとはいえ、マディウス伯爵令息はあなたに対する罪悪感があると考えるべきだ。幼馴染だったのだろう?」
「……そうですね。それなら、急ぎましょうか」
イルファー殿下は、淡々と私とマディウスの関係を利用するつもりだった。
そういった冷淡さも含めて、彼は第二王子ということなのだろう。
ともあれ、彼に協力した方が良さそうだ。仮にマディウスが思った通りの行動をする場合、王家の計画の邪魔になってしまうのだから。
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