お嬢様の回
その日、俺は本当に、本当に何もするつもりがなかった。
冒険者として生きていく上で大事なことは色々あるが、
俺の経験上、最も重要なのは――
「無理をしない」ことだ。
朝起きて、昨日の残りの硬いパンをかじり、
水で流し込みながら「今日も生きてるな」と確認する。
それからギルドへ行き、依頼掲示板を眺める。
「討伐」「魔物増加」「至急」
こういう単語が視界に入ったら、
目を細めて、
「文字が読めないな」と自分に言い聞かせる。
それが俺の流儀だ。
そしてこの日も、
完璧にその流れで進むはずだった。
――はずだったのだ。
町の門の方角から、
場違いにもほどがある音が聞こえてくるまでは。
ジャラジャラ。
ガチャガチャ。
カチャカチャ。
金属音にしては主張が強すぎるし、
馬の蹄にしては気品がありすぎる。
俺は嫌な予感を覚えた。
この町で嫌な予感が当たるときは、
だいたい自分が関係者にされる。
予感は裏切らなかった。
門の前に現れたのは、
この町の一年分の豪華さを一台に詰め込んだような馬車だった。
白い馬。
無駄に磨かれた車体。
金色の装飾。
意味が分からない紋章。
町が、一瞬で静まり返る。
「……貴族だな」
「王都の匂いがする」
「何も悪いことしてないよな、俺たち?」
誰も心当たりがないのに、
なぜか全員が小声になる。
馬車の扉が開いた。
中から出てきたのは、
緊張感の欠片もない声だった。
「わあ……!」
明るい。
とにかく明るい。
金髪の少女。
高そうな服。
表情は完全に観光。
「ここが、噂の町ですのね!」
噂?
今この瞬間に生まれた噂か?
護衛の一人が前に出る。
「王都より来訪された、お嬢様だ」
それだけ言って下がる。
説明が足りないが、
町は勝手に理解した。
面倒事が来た。
衛兵が慌てて整列し、
商人が頭を下げ、
冒険者たちは視線を逸らす。
そして――
なぜか、俺を見る。
理由は分かる。
暇そう。
弱そう。
逃げなさそう。
三拍子そろっている。
「……いや、ちょっと待て」
俺が言う前に、受付が言った。
「あなた、今日は依頼入れてませんよね」
「入れてないだけだ」
「じゃあ案内役で」
雑すぎる。
俺の人生、だいたいいつもこのノリだ。
「まあ!」
お嬢様は俺を見るなり、目を輝かせた。
「あなたが案内してくださるんですの?」
「……そういうことになりました」
「安心しましたわ! 王都の人たちは、すぐ堅苦しくなりますもの」
この町は、別の意味で堅苦しい。
最初に案内したのは宿屋だった。
「まあ、素敵!」
「普通の宿屋です」
「こんなに安いんですの!?」
女将が慌てて否定する。
「い、いえいえ、普通ですよ?」
「王都なら三倍はしますわ!」
その瞬間、
周囲の宿屋が一斉に沈黙した。
そして、価格表を書き換え始めた。
俺は何も見なかった。
次はパン屋。
「焼き立てですの?」
「はい」
「……温かい!」
感動が、やけに長い。
「この温もり……尊いですわ……」
周囲の客が、なぜか誇らしげな顔になる。
町の評価が勝手に上がっていく。
市場を歩く。
「魔物、いないんですの?」
「まあ……時々」
「平和ですのね」
その一言で、
遠くで笛の音が鳴った。
誰だ、合図出したの。
「冒険者さん」
お嬢様が言う。
「この町、とても落ち着きますわ」
その瞬間、
会議所の鐘が鳴った。
全然落ち着いていない。
夕方。
俺は何もしていないのに、
信じられないほど疲れていた。
剣も抜いていない。
魔法も見ていない。
走ってもいない。
ただ一日中、
「いえ、そういう意味ではなくて」を繰り返しただけだ。
「今日はとても楽しかったですわ!」
お嬢様は満足そうだ。
「また明日も案内してくださいますわよね?」
俺は一瞬、
全力で逃げる未来を想像した。
そして諦めた。
「……はい」
なぜか拍手が起きた。
意味が分からない。
その夜。
掲示板には新しい貼り紙が追加されていた。
「※王都関係者滞在中
不用意な発言に注意
不用意な行動も注意
基本、全員注意」
遅い。
俺は空を見上げ、深くため息をつく。
まだ一日目だ。
明日はきっと、
今日より騒がしい。
そして俺は、
今日も弱いまま、町の中心に立たされる。
この町では、
何も起きない日常ほど、
大事件の前触れになるのだから。




