黒殻回ちょっと
レナが一直線に突っ込んだ。
考えるより先に体が動く、というより「考える」という工程を最初から省略しているような速度で。
「おい待て!」
俺の声は背中に届かない。
黒殻の獣は森の縁に立ったまま、微動だにしない。
月光を受けた甲殻が鈍く光る。
生き物というより、巨大な鎧の塊だ。
レナの剣が振り抜かれる。
金属を殴ったような硬質な音が夜に響く。
キィン、と甲高い反響。
火花が散る。
レナが着地して叫ぶ。
「硬っ! 意味分かんない硬さ!」
分かる。
見れば分かる。
黒殻の獣はゆっくりと首を傾ける。
目は見えない。
だが、確実に“見られている”。
そして、前足を軽く振る。
本当に軽く。
それだけで地面が爆ぜた。
土が舞い、石が弾ける。
レナが横に跳ぶ。
衝撃波が一拍遅れて俺の位置まで届く。
足元が揺れる。
「遊ばれてるぞ!」
「分かってる!」
レナは笑っている。
なんでだ。
黒殻の獣が一歩踏み出す。
ドン、と低い音。
町の入口の柵がきしむ。
さらに一歩。
木製の支柱が折れる。
誰かが後ろで叫ぶ。
「止めろ!」
無茶言うな。
俺は振り向き、後衛に叫ぶ。
「遠距離、牽制だけだ!」
魔法が飛ぶ。
火球が甲殻に当たる。
氷槍が砕ける。
風刃が弾かれる。
そして、甲殻が一瞬だけ淡く光る。
吸われた。
完全に吸われた。
魔法が霧のように消える。
後衛の一人が青ざめる。
「効いてない……!」
レナが振り向く。
「魔法だめっぽい!」
「見れば分かる!」
黒殻の獣の体表が、わずかに軋む。
ギシ、と重い音。
その音だけで背筋が冷える。
次の一歩が、さっきより重い。
ドン。
町の入口が崩れる。
板が飛ぶ。
石が転がる。
町の人々が悲鳴を上げて走り出す。
混乱が広がる。
レナが舌打ちする。
「入らせたくないね」
「ああ」
「どうする?」
簡単に聞くな。
俺は歯を食いしばる。
距離、速度、被害。
このまま直進されたら家が消える。
中央通りは木造が多い。
持たない。
「時間稼ぐ」
「ざっくり!」
ざっくりで悪いか。
だが今はそれしかない。
黒殻の獣がゆっくりと顔を下げる。
レナを見る。
いや、町を見る。
圧が強くなる。
空気が重い。
呼吸が浅くなる。
レナが小さく言う。
「さっきより、ちょっと本気出していい?」
「死なない範囲でな」
「だからそれ曖昧!」
黒殻の獣が踏み込む。
今までより速い。
地面が沈む。
石畳が割れる。
レナが真正面から迎え撃つ。
剣が再び甲殻を叩く。
今度は音が違う。
キィンではなく、ギィン、と鈍い。
衝撃が腕に返る。
レナが歯を食いしばる。
「ちょっとだけ通った!」
たぶん気のせいだ。
だが、黒殻の獣がわずかに体勢を崩す。
ほんの一瞬。
俺は叫ぶ。
「脚だ! 支え崩せ!」
「どれが!?」
全部太い。
全部柱。
レナがとりあえず一番近い脚を斬りつける。
甲殻の隙間を狙う。
火花。
鈍い音。
今度は、ほんのわずかに削れた。
黒殻の獣の動きが止まる。
空気が震える。
怒気。
明確な怒り。
次の瞬間。
尾が振られる。
速い。
さっきより速い。
レナが避けきれず、衝撃を受ける。
吹き飛ぶ。
地面を転がる。
石畳が削れる。
俺の心臓が一瞬止まる。
「レナ!」
返事がない。
一秒。
二秒。
レナがむくりと起き上がる。
「……痛っ!」
生きてる。
本当に心臓に悪い。
黒殻の獣が、再び町へ向き直る。
興味を失ったかのように。
まるで「邪魔が入った」程度の扱いだ。
まずい。
このまま進まれたら、建物が消える。
俺は覚悟を決める。
「レナ!」
「なに!」
「正面じゃなくて横に回れ!」
「おとり?」
「そうだ!」
レナがにやっと笑う。
「得意分野!」
不安しかない。
黒殻の獣が、町へ踏み込もうと足を上げる。
その巨大な影が家々にかかる。
月光が遮られる。
町が、静まり返る。
俺は叫ぶ。
「中央広場に誘導する!」
「なんで!?」
「壊すなら石畳にしろ!」
レナが一瞬きょとんとして、次の瞬間、楽しそうに笑う。
「了解!」
全然了解じゃない。
だがもう、やるしかない。
黒殻の獣の足が、ゆっくりと町へ下りる。
石が砕ける。
町が震える。
封印されていた化け物との本気の攻防が、いよいよ町の中で始まろうとしていた。




