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巨大猪の件から数日。
町はもう平常運転に戻っている。
壊れた屋台は直り、潰れた畑は「来年頑張ろう」で済まされ、巨大猪の話は酒場で誇張され始めていた。
「参謀が地形を読んで転倒させたらしいぞ」
違う。
リンゴだ。
俺はギルドの隅でその話を聞きながら思った。
あの時、俺は何もしていない。
本当に何もしていない。
ただ運が良かっただけだ。
だが運は再現性がない。
そこが怖い。
俺は強くない。
前衛でもない。
魔法も使えない。
参謀と呼ばれているが、実際は「少し周りが見えているだけの小物」だ。
だからこそ。
一つだけ思った。
せめて、自分の命くらいは自分で守れないとまずい。
その日の昼。
俺は武器屋の前に立っていた。
三回目だ。
一回目は素通り。
二回目は中を覗いて帰った。
三回目で、やっと扉を押す。
店内は薄暗く、壁には刃物が整然と並んでいる。
金属の匂い。
油の匂い。
どれも「覚悟」を求めてくる。
店主がこちらを見る。
「おや、参謀さん」
やめろ。
その呼び方が一番重い。
「今日はどうします」
「軽いやつ」
俺は即答した。
「振り回さないやつ」
「振り回さない武器はありません」
それはそうだ。
店主は短剣を出してきた。
刃渡り短め。
柄は革巻き。
無駄な装飾なし。
「初心者向けです」
初心者。
刺さる。
だが否定できない。
持ってみる。
軽い。
思ったよりしっくりくる。
「重くないですね」
「重いと使いませんから」
正論。
俺は少し考える。
剣は無理だ。
斧は論外。
槍は邪魔。
遠距離武器は高い。
短剣が一番、現実的だ。
「いくらです」
値段を聞く。
痛い。
だが致命傷ではない。
巨大猪の報酬と、最近の依頼でなんとか届く範囲。
俺は財布を開く。
銀貨が減る。
生活費が削られる。
覚悟というより、家計の問題だ。
支払った。
短剣を鞘に収め、腰に下げる。
重みは小さい。
だが存在感は大きい。
店を出た瞬間。
なんとなく姿勢が変わる。
気がするだけだ。
たぶん。
ギルドに戻る。
扉を開ける。
いつもの喧騒。
だがすぐに数人がこちらを見る。
視線が下がる。
腰。
「あれ」
「参謀、武器持ってるぞ」
ざわつくな。
俺は席に座る。
何事もなかったかのように。
だが内心は落ち着かない。
武器を持っているだけで、周囲の期待値が勝手に上がるのがわかる。
やめろ。
俺は変わらない。
その日の夕方。
依頼が入る。
森で中型魔物が出たらしい。
狼型。
三体。
普通に危険。
パーティが編成される。
俺もなぜか入れられる。
「参謀がいれば安心だ」
安心要素どこだ。
現場。
森の空気は重い。
前衛が構える。
俺はいつもの位置、後ろ。
だが今日は違う。
腰に短剣がある。
それだけで、変な緊張がある。
狼が現れる。
速い。
一体が前衛に噛みつく。
一体が側面へ。
そしてもう一体が、なぜか俺の方へ来る。
なぜだ。
俺は狙いやすいのか。
俺は短剣を抜く。
音が妙に大きく感じる。
狼が跳ぶ。
距離は一瞬で詰まる。
俺は反射で横にずれる。
振る。
当たらない。
空気を切るだけ。
だが、距離は少しずれた。
狼が再度踏み込む。
その瞬間、横から槍が突き刺さる。
仲間の一撃。
狼は倒れる。
戦闘は数分で終わった。
俺は息が荒い。
手が震えている。
短剣を見る。
血はついていない。
使えたとは言えない。
だが。
逃げるだけではなかった。
ほんの少し、時間を稼いだ。
それが事実かどうかは分からない。
だが、完全な無力でもなかった。
気がする。
帰り道。
剣士が言う。
「持ってると違うな」
「何がです」
「覚悟」
俺は苦笑する。
覚悟なんて大げさだ。
ただ怖かっただけだ。
死にたくなかっただけだ。
夜。
部屋。
短剣を抜く。
静かな部屋に、刃が光る。
俺は思う。
武器を持ったからといって、俺は前衛にならない。
性格も立場も急には変わらない。
だが。
選択肢は増えた。
逃げるか。
振るか。
その二択ができるだけで、少し違う。
たぶん。
翌朝。
掲示板に新しい落書き。
【参謀、武装完了】
違う。
完了してない。
まだ始まったばかりだ。
俺は腰の短剣を触る。
重くない。
だが。
責任の重さだけは、少し増えた気がした。




