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第13話 「今日は赤飯でも炊くべきだよ」

「戦争なんて言葉を使って本当に申し訳ないというか、恥ずかしいというか。うん、今回は完全に名前負けしてる。それっぽいことは起きていないようだし」


「いえ、起きてます。花梨先輩のせいで爆発物が宙を飛んでいました。……あと棗も」


「そうか、棗が飛んだんだ。私は柚希が飛んでくれると嬉しかったんだけど、そんなことはなかったか。柚希を褒めるべきか、杏子の不甲斐なさを責めるべきか」


「花梨先輩の悪ふざけについて謝罪すべきです」


 部活を終わらせるために、最初の部屋に戻ってきた柚希だったが、どうやらもう終わっているようだった。


 部屋に入ってみると、花梨がいつものように偉そうに待っていた。珍しくデスクに体重を預けている。柚希が電話してから数分しか経っていないのだが、待ち疲れたといわんばかりに清々しいほど寝ていた。それを見て、起こしに行こうと思い一歩目を踏み出した。すると天井から黒板消し――ではなく、黒板が落ちてきたときは声にならない声が出た。いや正確には出ていないのだが。


 そして追い打ちと言わんばかりに黒板の上に黒板消しが静かに、申し訳なさそうに落ちた。それになんの意味があったのかはわからない。逆だろ、とも思ったが、なにがどうしてそうなって逆なのかわからない。


 黒板が落ちてきたことにより、部屋にあったどこから持ってきたのかわからない何体かの人形と、中央にあったテーブルが潰れた。


 なにかあるとは思っていたが、まさか黒板を落としてくると誰が想像できる。今時の小学生でも黒板消しを扉に仕掛けることなんてないというのに、なにをどう考えたら高校生が黒板を落とすと予測できる。


 中学生はクリーナーでも落とすというのだろうか?


 目の前の驚愕の塊に視線を集中させていて気付かなかったが、花梨は肩を震わせていた。部屋に入っただけではわからないほど、小さく震えていて、きっと笑いを堪えているのだろうということは容易にわかった。


 黒板を踏み越え、花梨の元へと近づいて行く。いったいどこの教室から持ってきたのか疑問に思った。もしかしたら最初からこれがやりたいがために、今回は静かだったのかもしれない。罠に引っ掛かるウサギを見たかったのだろう。猟師というよりはただの悪戯好き悪ガキのである。


「花梨先輩、笑うなら盛大に笑っていいですよ……」


「本当に? ふふっ……、本当に笑っていいの?」


「……どうぞ」


 柚希の許可を得て、花梨は盛大に、そして高らかに笑った。笑い声が室内に響き渡る。そんな姿は一般人ならみっともないと見られてしまうが、花梨になるとやはりそういうものは感じられなかった。なにをしても清々しい。


 五分ほど笑い呼吸が覚束なくなった花梨の背を叩いてから、柚希はいつもの椅子に座ろうとした。が、そこに椅子はなく、あるのはそれを含めた室内のものを蹂躙した黒板だった。


 室内を見渡し、無事である椅子を探した。部屋の隅にいくつかまとめて置いてあるパイプ椅子を見つけ、それを取りに行く。椅子を潰した黒板を踏みつぶしながら、目的の場所まで歩く。黒板の上を歩いた高校生などそうはいないだろう、と柚希は誇らしいのかそうでないのかわかりきっていることを考えた。


(疲れた……)


 学校を地獄にさえ思えた、この部屋までの道のり。床に液体のりや修正液が並々と敷かれ、足もとがおぼつかない中、廊下の奥からは黒板が地球儀のように宙を舞い、そして爆発した。


 文房具にトラウマを憶えかねないほどの地獄。


 今後、文房具屋が武器屋に見えるに違いなかった。


 壁に寄りかかるように置いてあるパイプ椅子に手を伸ばした――そのとき。ふと頭の上に何かが落ちてきた。感触からして硬いものではなく、柔らかいもの。


 そう。クッションのようなものだった。


 柚希は伸ばした手ではないほうで、頭に落ち、そしてさらに落下を続ける柔らかいものを捕らえた。それはクッションのように柔らかいものでもあり、しかしその反面は硬いものでもあった。


 誰が見ても黒板消しだった。


 静かにしているけれど、きっと花梨は笑っているに違いない。柚希は黒板消しをその辺に投げ捨て、パイプ椅子を手に取った。そして黒板の上に広げ、座る。おそらく黒板の上にパイプ椅子を広げ、座った高校生は柚希が初めてだろう。


 そして黒板消しが落ちてきた。


「わかってましたから! こうなるってことくらいわかってましたから!」


「わ、わかってるって……。はあ……苦しい。柚希なら気付くよ。私との付き合いは長いんだから、それくらいはできないと」


 花梨は相変わらず笑い過ぎで苦しそうである。たださっきとは違い、その手にはあの改造ネイルガンが握られていた。


 銃口が見据えるように向けられ、柚希はすぐさま部屋から飛び出した。廊下に転がりこむと同時に、頭上から壁に画鋲かホッチキスの針が撃ちつけられる懐かしい音が聞こえた。チャリチャリと刺さらなかった画鋲が落ちてきたことで、ホッチキスの針ではないことがわかった。


「ほら、じっとしてると死ぬよ?」


 地球儀を担ぎながら見下ろしてくる花梨。その顔はやはり笑っていた。


「殺すなって言ったでしょうが!」


「さてね」


 柚希が駆け出したことで、投げられた地球儀が床に直撃し、無残にも崩壊したことを容易に想像させる音が背後からした。もう一々確認している余裕はない。


 ひゅん、と頭の横を見覚えのある爆発物が通過した。


(ペンシルロケットまで……!)


 部員の使ってきた文房具を――武器を使っていくなんて、どこのラスボスだ。柚希は心の中で叫んだ。


 廊下の角を曲がると、背後で爆発音がする。厄介なのはこの音で、花梨の追い掛けてくる音が掻き消されていることだ。


 見ている暇はない。しかしもう確認しないと心がもたなかった。


 振り返る。


 花梨が走ってきていた。恐怖の権化だ。その左手に数本のペンシルロケットを、右手に改造ネイルガンを確認した。


 振り向き直し、このあとのことを思案する。


 だが、動かす足に妙な異物感があった。ほんの一瞬のことだったが、驚く速さで柚希の脳はその答えを導き出していた。あの部屋に訪れる前に、同じものがあった。


 また跳び込み、その動作の中でそれを見た。黒板どうしがぶつかりあい、かつ砕ける音。あんなものに挟まれでもしたらグラディエーターとて無事では済まないだろう。


「うわっ」


 そして跳び込んだ先には、ねっとりとした液体がぶちまけられていた。液体のりだ。身体的ダメージは少ないが、精神的にはきつい。


 立ち上がろうとし、液体のりに足をとられる。


 すると、トラバサミと化した黒板が爆発し、花梨の姿が現れた。本当に人間なのかわからないほど、淡々と行動している。しかしそれは柚希の行動が彼女の予測の範疇内であるためだろう。いいように踊らされている、というわけだ。


 逃げているだけでは意味がない。


 そんなメッセージを受けているようにも思えた。


 今日で何度目かわからない溜息を吐いた。黒板が天井から落ちてきた時点でわかっていたことだ。いや、あの部屋にいると言われていた時点でもう気付いていた。それが黒板の落下という思いがけない、想像の域を超えた出来事のせいで思考回路がショートしていた。


「ところで、今回は柚希が頑張ったみたいだね。本当に珍しいこともあるもんだ。今日は赤飯でも炊くべきだよ」


 ネイルガンが向けられる。金属の部位が夕日に照らされ、光を反射していた。


「赤飯はいらないですけど……そうですね。まあ誰かのため以外に頑張ったのは初めてかもしれません。副部長としては当然ですけれど」


「副部長という便利な言葉に逃げるのはよくない。違うだろ。そうじゃないだろ、柚希は。いいんだ。正直に言ってごらん」


 自分のために頑張ったことがない――と。


 花梨は静かに、そして見透かしたようにそう言葉にした。


 柚希は一気に踏みだし、ものさしで花梨に斬りかかった。当然、攻撃が通るとは思っていない。身体が自然に動いてしまったのだから、計画性があったわけじゃない。ものさしは、ものさしによって防御された。


 花梨に動揺はない。この行動もまた読まれていたのだろう。


「これは私のせいでもあるんだけどね。強制的に部活に勧誘して……いや、そのときはまだ部は存在してなかったね。私と柚希で始めた部活なんだから」


「俺、いつも思うんですけど」柚希は心を落ち着けて言う。


「ん?」


「あのとき、偶然、俺と出くわしたみたいに言ってましたけど、そうじゃないですよね」


 そうは言ったが根拠はどこにもなかった。そう思うだけで、本当に偶然だったのかもしれない。


 ただなんとなく――。


 なんとなく柚希はそう思った。


 柚希が他のメンバーを選んだのに理由があったのと同じように、花梨が柚希を選んだことに、なにか意味があったような気がした。ただそれだけだった。


「さあ、どうだったかな」


 花梨は柚希から目を逸らした。それは花梨の隙でもあったが、それを隙だと判断する柚希の思考の隙をつく行動でもあった。


 ものさしを振り上げられ、競り合いが解除される。一瞬でも気付きが遅ければ、ものさしから手を離していただろう。


 ネイルガンを向けられる。


「柚希が私を誘ったんじゃなかった?」


 ここは回避じゃない。前に出る。


 振り上げられた腕を下ろし、ネイルガンを叩き落とした。


「それはいくらなんでもないです」


「柚希が私を攫ったんじゃなかった?」


 花梨の回転斬り。予備動作がほとんどなく、柚希はものさしで受けるしかなかった。


「俺が花梨先輩を攫ってなんのメリットがあるんですか。どうしたんですか? 笑い過ぎて頭に続き、記憶がおかしくなりました?」


 一回転を終えると、彼女の右手には地球儀が握られていた。この至近距離での投擲はありえない。つまり、殴打のためのものだ。


 上から、下から。


 右から、左から。


 まるで躍るように、花梨は攻撃を続ける。ものさしでの攻撃も織り交ぜてきた。その連撃を片手で持ったものさしで受け切るのは難しく、両端を持ち、彼女の攻撃がくる方向を見極めなければならなかった。


「今、さらりと酷いこと言われた気がするけれど、気のせいかな」


「気のせいじゃないですか?」


「ならいいけれど、まああとで読み返すから、そのときは覚悟してね」


「あんたはアカシックレコードでも持ってるのか!?」


 花梨のこう言った発言が他の部員を変えていったのだろう。ときどき彼らも常軌を逸したと言うべきか、世界を崩壊しかねないことを平気で言うようになった。花梨の思惑通り、染まってきている。この部活で言うだけなら問題はない。しかし普段の生活で言っているのなら止めなければならない。ただでさえ変な部活で変な部員だと思われているのだから、杏子のようにメリハリをつけるべきだ。


 コインを裏返すように。


 朝が夜に変わっていくように。


 切り離せない二つを繋ぎとめるにはそれしかない。


 それができなかった彼らだからこそ、尚更そうしなればならない。

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