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フロラヴァータ  - 3299の花たちと…記録にない、ひとりの少女の物語 - FLORAVATAお子様向けバージョン  作者: shaton


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第一章 GATE : 第六話 百花(ひゃっか)の大妖精(だいようせい)(後編)

 神殿(しんでん)の者たちも、そのまま少女についてくることになった。ただ、マリエナだけは、古い石のことを調べたいと言って、ひとり先に戻(もど)っていった。クラウゼは黙(だま)ってうなずいた。若(わか)い管理者のリトは、シャルネのまわりを飛び回る小さな妖精(ようせい)たちに髪(かみ)を引っぱられて、情(なさ)けない声を上げていた。

◇

 百花(ひゃっか)の庭は、街の西の外れ、小川が大きく曲がりくねるあたりにあった。

 守護院(しゅごいん)の高台を下り、西へ向かう根の道をしばらく行くと、家々の丸い屋根は少しずつまばらになり、代わりに、細い小川が道に沿(そ)って流れはじめた。

 庭には、門も柵(さく)もなかった。気がつけば、足元の根の道がやわらかな草に変わり、両側に咲(さ)く花が、少女の肩(かた)より高くなっていた。そうして花のあいだを抜(ぬ)けた先に、それは広がっていた。

 色が、溢(あふ)れていた。

 赤、だいだい、黄、白、薄紅(うすべに)、青、紫(むらさき)。数えきれないほどの花が、どれひとつ同じ高さで咲いておらず、風が吹(ふ)くたびに、色の波が庭の端(はし)から端へと渡(わた)っていく。香りも、ひとつではなかった。甘(あま)い香り、すっと鼻に抜けるさわやかな香り、蜜(みつ)のように濃(こ)い香り、ほとんど匂(にお)わないのに、すぐそばにあるとわかる香り。それらが風に乗って、次々と入れかわっていく。

「……すごい」

 少女は、それしか言えなかった。

「でしょう?」

 シャルネは、得意げに胸(むね)を張(は)った。

 庭の奥(おく)では、小さな妖精たちが待ちかまえていた。シャルネの姿(すがた)を見つけるなり、わっと歓声(かんせい)を上げて飛んでくる。その先頭で、小さな花びらの盾(たて)を掲(かか)げた妖精の騎士(きし)が、少女の目の前でぴたりと宙(ちゅう)に止まり、まじめな顔でおじぎをした。

「百花の庭へようこそ、お客さま。……シャルネ様、また誰(だれ)かを拾ってこられたのですか」

「拾ったんじゃないわ。借りてきたの」

 その横から、紫の花びらをまとった小さな妖精がふわりと現(あらわ)れ、少女の鼻先で指を鳴らした。すると、少女のまわりに、花びらでできた蝶(ちょう)がいくつも生まれ、ひらひらと舞(ま)いはじめた。少女が思わず手を伸(の)ばすと、蝶はすっと指をすり抜け、ただの花びらに戻って散っていく。

「幻(まぼろし)よ」

 紫の妖精が、くすくす笑った。

「スミレの幻花(げんか)。本物じゃないけど、きれいでしょ?」

 そのあいだに、傷(きず)を治す術(じゅつ)が得意な精霊(せいれい)が呼(よ)ばれてきて、試しのときに槍(やり)の柄(え)がかすめた少女のわき腹(はら)に、そっと手をかざした。青みがかった光がしみ込(こ)むと、ずっと残っていたにぶい痛(いた)みが、うそのように消えていく。少女が驚(おどろ)いてお礼を言うと、精霊はおだやかに首を振(ふ)っただけだった。

 やがて、庭の真ん中の開けた場所で、小さな妖精たちの輪ができた。輪の中心では、菊(きく)の花をまとった妖精が、指先で小さく拍子(ひょうし)をとりはじめる。それに合わせて、妖精たちがくるくると踊(おど)り出した。羽ばたきの音が拍子に重なり、花びらが舞い上がり、輪は大きくなったり小さくなったりしながら、庭じゅうを巡(めぐ)っていく。

 妖精たちの何名かが、少女の袖(そで)を引っぱった。

「え、あの、わたし……」

 断(ことわ)る暇(ひま)もなかった。小さな手に引かれるまま、少女は輪の中へ連れていかれた。どうすればいいのかわからないまま、足を動かす。拍子がずれる。花の根につまずきそうになる。すると、いつのまにか輪に加わっていたルクシエルが、すっと少女の手を取った。背中(せなか)の白い翼(つばさ)が、少女の体を支(ささ)えるように、ふわりと広がる。

「大丈夫(だいじょうぶ)。花に合わせればいいの」

 ルクシエルに手を引かれ、くるりと回る。目の前いっぱいに、色が流れた。風が頬(ほお)をなで、花びらが髪に降(ふ)りかかり、どこかで誰かが笑っている。

 そのとき、少女の喉(のど)の奥から、何かがこぼれた。

「……ふ、ふふっ」

 少女は、びっくりして足を止めた。

 今の音は、なんだろう。喉がくすぐったくて、胸の奥から勝手に溢れ出して、止めようとしても止まらない。頬がゆるみ、目が細くなる。体がふわふわと軽い。

「(わたし、笑ってる)」

 気づいたとたん、また笑いがこぼれた。今度は、もう止めようとは思わなかった。

 目覚めてから、泣きそうになったことは何度もあった。怖(こわ)いと思ったことも、さびしいと思ったことも。けれど、声を上げて笑ったのは、これが初めてだった。笑うことが、こんなふうに、体の内側で光がはじけるようなものだとは知らなかった。

 ルクシエルが、目を丸くして少女を見ていた。それから、つられたように笑い出した。輪の外で見守っていたシャルネも、手をたたいて笑っている。リトまでもが、小さな妖精に髪を編(あ)まれながら、困(こま)ったように笑っていた。クラウゼの口元だけは動かなかった。けれど、その目がほんの少しだけ細くなったのを、少女は見た気がした。

◇

 踊りの輪がほどけたあとも、紫の妖精は、少女のそばを離(はな)れなかった。

「ねえ、もう一回見せてあげる。今度は、あなたの好きな形にしてあげるわ」

 妖精が指を鳴らすと、花びらがまた宙に集まり、少女の目の前で、くるくると形を変えはじめた。蝶、鳥、小さな星。少女が息をつめて見つめていると、花びらはふいに、妖精の指の動きとは関係なく、ひとりでに集まり直した。

 うねる、波の形だった。

 ほんの一瞬(いっしゅん)だった。けれど少女には、はっきりとわかった。夢(ゆめ)の中で、十二の影(かげ)のひとつとして回っていた、あの形だ。息が、ひとつ止まる。

 ――もう一度。

 遠い声が、耳の奥をかすめて消えた。

 花びらは、すぐにばらばらになって地面に落ちた。紫の妖精は、自分の指先をふしぎそうに見つめていた。

「……今の、わたしが作った形じゃないわ」

 少女は何も言えず、ただ腕(うで)の中の白い花に、頬を寄(よ)せた。

◇

 日がかたむきはじめたころ、少女はシャルネと並(なら)んで、小川のほとりに座(すわ)っていた。水面が夕日を受けて、薄紅と金色に揺(ゆ)れている。ルクシエルは少し離れたところで、妖精の騎士たちに花びらの盾の持ち方を教わっていた。

 庭の奥の花かげに、ふと、ひとつの姿が見えた。踊りの輪には一度も加わらなかった騎士だった。紫の妖精のものとは違(ちが)う、夜明け前の空のような青紫(あおむらさき)の、ふちが何重にも波打つ花を胸に挿(さ)している。少女と目が合うと、その者はすっと目をそらし、花の奥へ去っていった。少女は、その背中が見えなくなったあたりを、しばらく見つめていた。

「楽しかった?」

 シャルネが、足先で水面を軽く蹴(け)りながら聞いた。

「……うん」

 少女は、こくりとうなずいた。それから、少し考えて、言い足した。

「シャルネは、わたしのこと、何も聞かなかった。どこから来たのかも、どの系統(けいとう)なのかも」

「聞いてほしかった?」

「……ううん」

「でしょう」

 シャルネは、笑った。

「わたしはね、この庭に来る子に、どこの誰かなんて聞かないの。聞くのは、どの花が好きか、だけ。……そういえば、まだ聞いてなかったわね。あなたは、どの花が好き?」

 少女は、腕の中の白い花を見下ろした。

 答えは、考えるまでもなかった。けれど、それを口にしようとしたとき、胸の奥に、別の問いが浮(う)かんできた。

「……シャルネ」

「なあに」

「名前って、自分で選んでもいいの?」

 シャルネの足が、水面の上で止まった。

 彼女(かのじょ)は、夕日に目を向けたまま、しばらく何も言わなかった。それから、少女の方を向いた。その顔には、さっきまでのからかうような笑みはなかった。

「わたしの場合はね、名前は生まれたときから決まっていたの。でも、自分の名前を好きになれたのは、ずいぶんあとになってからよ。好きになれたのは、呼んでくれる誰かがいたから」

 シャルネは、少女の腕の中の花に、そっと指先で触(ふ)れた。

「だから、あなたが自分で選んだ名前なら、きっと最初から好きになれるわ。そして、わたしがいちばん先に、その名前で呼んであげる」

 少女は、何も言えなかった。胸の奥が熱くなって、喉がつまって、うまく息ができなかった。さっき笑ったときとはまるで違うのに、どこか似(に)ている気持ちだった。

 遠くで、夕方を知らせる鐘(かね)が鳴った。守護院へ戻る時間だった。

 立ち上がりながら、少女は、腕の中の白い花を見つめた。西日に透(す)けた花びらは、ほんのりと金色を帯びていた。

「(わたしの名前は、わたしが選ぶ)」

 声には出さなかった。けれどその言葉は、目覚めてから少女が決めたどんなことよりも、はっきりと胸の中に根を下ろしていた。

 白い花が、それに応(こた)えるように、かすかに揺れた。


(第六話 了(りょう))


次回 第七話「名を選ぶ花」


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