第十六話 今夜のカレーは多すぎる
週明けの月曜日。
教室へ入り自席につくと、待っていましたとばかりに東条が歩み寄ってきた。
「週末に『星海機装ヴェルクハイト』を見返したよ。やはり、その第七艦隊の紋章はいいね」
「分かるか。派手じゃないのがいいんだよ。とにかく無骨な感じがいい」
「それなのに、作品を見た人間には背景まで伝わる。特に第十七話の――」
「あそこはいいよな。撤退戦なのに、下手な勝利回より熱い」
思わず声が弾んだ。
東条も同じらしく、いつもの整った微笑ではなく、年相応に楽しそうな顔で頷いている。
「あれ、なんかやけに仲良さそうじゃん?」
いつの間にか近くへ来ていた三浦が、俺たちを見比べながら軽い調子で言った。
「まあな」
「何、なんかあったの?」
三浦は目を丸くして、わざとらしく笑う。
「話せば長くなる」
「出た出た、説明放棄のやつ」
「そんなに濃い経緯があったの?」
「偶然、共通の趣味が判明しただけだよ」
東条が補足すると、三浦は俺のキーホルダーを覗き込んだ。
「これ、何のアニメ?」
「知らないならいい」
「またそうやって壁作る〜」
「話しても絶対見ないだろ、お前」
「いやいや、面白そうなら見るって。人間ってそういうもんじゃん?」
「全四十八話あるぞ」
「じゃ、あらすじだけでいいや」
「ほらな」
東条が楽しそうに笑う。
俺も三浦へ軽く文句を言いながら席へ向かい、そこで隣から向けられている視線に気づいた。
御影が文庫本を開いたまま、じっとこちらを見ている。
「……なんだよ」
「別に」
「別にって顔じゃないだろ」
「どんな顔に見えるのかしら」
「何か言いたそうな顔だ」
「あなたの思い込みね」
御影は視線を本へ戻した。
東条が俺の横から顔を覗かせる。
「もしかして、玲奈さんも話に入りたかったのかい?」
御影はページをめくった。
綺麗なまでの無視だった。
「玲奈さん。もし興味があるなら、最初に見るべき話を――」
もう一枚、ページがめくられる。
東条は困ったように微笑み、俺を見る。
「聞こえていないのかな」
「聞こえないふりしてるだけだ。気にするな」
「なるほど」
何に納得したのかは分からないが、東条は素直に引き下がった。
御影は本を読み続けていた。
ただ、次のページへ進むまでには、普段より少し長い時間がかかっていた。
◇◆◇◆◇
その日の放課後。
社会適応研究会の部室には、紙をめくる音と、シャープペンシルを走らせる音だけが響いていた。
これといった活動内容が決まっていなかったため、俺は長机で数学の宿題を進めている。向かい側では御影が文庫本を読み、小鳥遊は部屋の隅でノートパソコンを開いていた。
静かではある。
だが、普段と比べて何かが違うかと聞かれれば、俺にはよく分からなかった。
スマートフォンが短く震えた。
小鳥遊からのメッセージだった。
『空気が重いです』
顔を上げると、小鳥遊がノートパソコンの陰からこちらを見ている。
『そうか?』
『重いです』
俺は御影へ視線を移した。
文庫本へ目を落とし、淡々とページをめくっている。いつもどおりと言えば、いつもどおりだ。
『御影は普段からあんなもんだろ』
送信すると、小鳥遊はしばらく画面を見つめたあと、無言で首を横へ振った。
何が違うというのだろう。
俺には同じ御影にしか見えない。
再び宿題へ戻ろうとしたところで、小鳥遊が椅子から立ち上がった。
ノートパソコンを両手で抱え、こちらへ歩いてくる。画面には大きな文字が表示されていた。
『今日の夕飯はカレーです』
「知ってる。俺が作るんだからな」
小鳥遊はキーボードを操作した。
『あまりにも大量に作る予定です』
「大量?」
『はい。鍋いっぱいです』
「そこまで作るって言ったか?」
俺の予定では、市販のルーを半箱使う程度だったはずだ。
小鳥遊は俺の疑問を無視し、さらに文字を打ち込んだ。
『私たちだけでは消化できない可能性があります』
「いや、カレーならお前がかなり食うから、余っても明日の朝には――」
小鳥遊が素早く画面を切り替えた。
『余計なことを言わないでください』
俺は表示された文章と、小鳥遊の真剣な顔を交互に見る。
こいつなりに何か考えているらしい。
「……そうだな。食べきれないかもしれないな」
小鳥遊が小さく頷いた。
それからノートパソコンを御影のほうへ向ける。
『御影さんは今夜、予定がありますか』
御影は本から顔を上げた。
「特にないけれど」
小鳥遊が俺を振り返り、画面を見せる。
『空いているそうです』
「聞こえてたよ」
『カレーが余ります』
「さっきからやけに推すな、それ」
『深刻な問題です』
「カレーが余るだけだろ」
小鳥遊は無言で俺を見つめた。
その視線の圧で、ようやく意図がはっきりする。
「……ああ、そういうことか」
俺はため息混じりに言った。
「御影。よかったら食べに来るか?」
御影の視線が、小鳥遊から俺へ移った。
「私は構わないけれど、高槻はいいのかしら」
「別にいいぞ。あまり遅くならなければな」
「ずいぶんあっさり決めるのね」
「お前一人増えたところで大して変わらない。それに、本当に作りすぎるらしいからな」
そう言って小鳥遊を見る。
小鳥遊は真顔のまま、力強く頷いた。
「そう。じゃあお言葉に甘えてお邪魔するわ」
「決まりだな」
御影は再び文庫本へ目を落とした。
しかし、その声からは先ほどまでの硬さがわずかに抜けていた。
小鳥遊も自分の席へ戻り、何事もなかったようにキーボードを叩き始める。
部室には再び静かな時間が戻った。
俺も宿題へ戻ろうとしたが、シャープペンシルを持つ手が止まる。
御影は小鳥遊に合わせた甘いカレーを食べられるのだろうか。別枠で用意するなら、肉も追加で買っておいたほうがいい。せっかく三人で食べるなら、いつものカレーより少し手を加えてもよさそうだ。
そんなことを考えているうちに、数学の問題はすっかり頭から消えていた。




