45 To be, or not to be
夜更け。ブレインの邸宅。ブレインはリセラを寝かしつけていた。小さな寝息が聞こえてくるとブレインは、黒革の手袋をはめた手でリセラの頭を撫で、そっとベッドから抜け出す。
そして向かう先は、バルコニーだった。手すり寄りかかって腕を預け、夜のシェルヴにまばらに灯る明かりを眺める。
しばらくの後、ブレインの背後から扉が開く音がし、とぼとぼとした足音が聞こえてきた。ブレインは振り返らず、その足音の主に話しかける。
「――足音だけでしょぼくれてるのがわかるぞ、ヴェン」
足音の主――ジョンは無言のままブレインの隣に並んだ。どうやら相当に酒を飲んでいるらしく、隣に並ぶだけで酒の匂いが鼻につく。それでも、ジョンの顔には確かな正気が浮かんでいた。
「ブレインさん……僕はあなたに伝えなければならないことがあります」
「……聞こう」
「二日後、A Man掃討作戦が実行されます。皇帝の命によって」
「――そうか」
ブレインの返事には、一切の動揺がなかった。ただ、ひたすらに残念がっていることが伝わってくるだけだ。
「二日後になったか……せめて、リセラの舞台は見届けたかったのだが」
「……なぜ、そんなに冷静なんですか? 死ぬんですよ? 僕も参加を要請されました。あなたを殺せと」
「分かっているさ。それで? 君はここに何をしに来たんだ? それを教えてくれるために来たのか?」
ブレインが問いかける。ジョンは静かな覚悟をこめて答えた。
「僕はあなたに逃げるよう言いに来たんです。僕ができるだけの協力をする。だからあなたは、リセラちゃんを連れて逃げるんだ」
――しかし、ブレインはそのジョンの覚悟を一蹴する。
「逃げる? 馬鹿を言うな。逃げて何になる。ちょうどいいじゃないか。これで罪深い犯罪者が一掃される」
「ッ! やけになっているのか!? わからないんですか!? リセラちゃんを一人残すことになるんですよ!?」
ジョンの言葉に怒りが混じり始める。その怒りを受けてなお、ブレインは少し目を伏せるだけだった。
「……いずれ俺とあの子は別れなければならなかった。それが、少し早いか遅いかの違いでしかない」
「その少しが! あの子にとってどれだけ大きなことか――」
ついに激昂に至ったジョンの言葉。それは遮られた――ブレインに胸ぐらを掴まれたことによって。
「そんなことは分かっている! だったらなんだ英雄! 君は、リセラに逃亡生活を送らせるつもりか? 約束された未来と! 平穏な日常をあの子に捨てさせろと言うのか! それともなんだ? 共に皇帝と戦ってくれるか? 皇帝が何をした? 皇帝はただ、凶悪な犯罪者に追い込みをかけろと命じただけだ。なんの謗りを受けるいわれもない! 皇帝のやろうとしていることは正しい。そして、俺も逃げるわけにはいかない。逃げたところで誰も幸せになれやしないんだよ! 俺も! リセラも! 君も! 俺は! 死ぬべきなんだ!」
「……ッ!」
ブレインはジョンの胸ぐらを掴んだまま、その胸元に額を押しつけた。そしてジョンをゆさぶりながら言葉を続ける。
「ずっと先送りにしてきた……! いつか咎を受けるべきだと知りながら、ずっと先送りにしてきたんだ……! まだやることがある、リセラが心配だと駄々をこねて! それが、君が現れてようやく決心がついたんだ。全てにケリをつける、決心を……!」
顔を上げ、ジョンの顔を見るブレイン。その顔は、今までジョンが見たことがないほどに、激しい感情で崩れきっていた。
「頼むよ……ジョン……! 俺の覚悟を……揺るがさないでくれ……!」
ブレインの目から、一筋の涙が零れる。ジョンから手を離し、その場にへたり込んだ。
「あなたは……仕方がなかったじゃありませんか……! 仕方なく、犯罪者に……」
「――仕方ない? それは……違う」
ブレインは笑った。ジョンをではなく、自らを嘲笑うように。
「俺の父親の死因は、何だったと思う? ――俺が殺したんだ。俺が徴兵にいくと酒代が減るからって、リセラを孤児院送りにしようと……気づいた時には、首に手をかけてた。隠すために、首を吊って、火をつけて……殺す必要なんてなかった。だが、殺した。そして逃げた! 分かるか? 俺は結局、根っからの犯罪者なんだ。死に値する存在なんだよ」
ジョンはよろよろと後ずさりしながら、震えた声で呟く。
「やっぱり……ずっと……そのためにあなたは……死ぬために、戦ってきたんですか……!」
「――え?」
そこに、呆然とした少女の声が響いた。ブレインとジョンがすぐさまバルコニーの扉に目を向ける。半開きになった扉から、恐怖に歪んだリセラの顔が覗いていたのだ。
「ヴェン……? どういうこと? お兄ちゃんが、死ぬ?」
ブレインは焦ってリセラを制止しようとする。
「リセラ、待て。これは――」
「お兄ちゃんは捕まえないって! 傷つけないって! 言ったじゃんか!」
そのリセラの叫びに、今度はブレインが驚愕する番だった。その叫びは、ジョンとブレインの関係を知らなければ出てこないはずの言葉――
「な――何を言っている……? リセラ……?」
はっきりと困惑を露わにし、リセラを見るブレイン。リセラは兄の顔を見返し、決意を込めて口を開く。
「ずっと知ってたの。お兄ちゃんが悪い人だって。だからヴェンが、英雄ジョンがお兄ちゃんに近づいた時、不安になって確かめたの。ヴェンはお兄ちゃんの敵なのかって。でもヴェンは、敵じゃないって言った。お兄ちゃんを守ってくれるって言った! それ、なのに……」
リセラの目から涙が滲み、頬を伝った。ジョンは悲痛な面持ちでリセラから顔を逸らす。ブレインはいまだ困惑し、リセラに質問を重ねた。
「いつからだ……一体、いつから? いつから知っていたんだ、リセラ」
「誘拐された、あの日から……」
「……なんということだ」
それだけですべてを察したのか、ブレインは目頭を押さえ顔を伏せる。そして、そのままリセラに語りかけた。
「リセラ……いいか? ヴェンは決して悪くない。悪いのはすべて、すべてお兄ちゃんなんだ。ヴェンには、俺から殺してくれと頼んだんだ」
「なんで!? なんでお兄ちゃんが、そんなことジョンに頼まないといけないの!?」
「君のそばにいるには、罪を犯しすぎた。俺が生きている限り、君は……」
言葉を濁すブレイン。そんな彼に、リセラは震える足で近づいた。そして、床にへたり込むブレインのそばに自身もしゃがみ、ブレインの手を取る。
「お兄ちゃん……私、お兄ちゃんが悪い人でもいいよ。どんなに辛くたって、お兄ちゃんがいてくれるならそれでいい。だから、一緒に逃げよう? 一緒に生きてよ、お兄ちゃん……」
その手にはめられている黒革の手袋。リセラはそれを外した。そして、露わになった素の手のひらを自身の頬に当て、懇願する。
ブレインは天を仰いだ。だが、ブレインの瞳には揺れがなかった。ブレインは自身にすがりつくリセラの頭を撫でる。
「……お兄ちゃんはな。悪いことをしてきたんだ……たくさん、たくさんだよ。悪いことをしたら、罰を受けるんだ。それは、当たり前のことなんだよ」
「そんなこと知らない! 知るもんか!」
「リセラ……お兄ちゃんにとっての幸せは、君の輝かしい未来だ。でも、俺の存在がその未来を曇らせる。君のそばに俺がいる限り、俺は幸せになれないんだよ」
「……え?」
リセラが呆然と顔を上げる。そんなリセラに対し、ブレインは申し訳なさそうな顔をしながらも続けた。
「お兄ちゃんの最後のお願いだ……リセラ。俺を行かせてくれ。俺にやったことの責任を取らせてくれ。お兄ちゃんのお願い……聴いてくれるか?」
優しい声で尋ねるブレイン。だが、有無を言わせない重さがそこにはあった。リセラの目から涙が零れる。首を振る。しかし――拒否の言葉は、ついぞ口に出すことができなかった。
「あ……あ……そん……なの……ずるい……よ」
再び自身の胸に顔を埋めたリセラを抱き締め、ブレインは二人のやり取りを黙って見ていたジョンに顔を向けた。
「俺は二日後、同志たちとともに黒骨で掃討部隊を待ち受ける。おとなしく殺されるつもりだ。だが、それはできれば、君にがいい」
ジョンは大きく首を振った。ふざけるなというように。
「言えるわけがない……! リセラちゃんの前で、あなたを殺すと! その願いは聞けない!」
ジョンは背を向け、バルコニーから飛び出そうとした。その背中をブレインが呼び止める。
「なら、せめてこの子の舞台を見届けてやってくれ。頼む。俺の代わりに……」
ジョンは一瞬、視線をブレインに向けた。しかし、そのまま何も言わず、バルコニーから去っていった。




