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33 The quality of mercy

 A Manの幹部が二人、墜ちた。その光景を呆然と眺め、ジョンは震える口を開く。


「なぜです……? ブレインさん、なぜ、彼を……」


 ――見捨てたのか? その問いは、声にならなかった。


「……正直に言えば、リセラが狙われたのは想定外だった」


「え……?」


 ブレインがぽつりと言う。ジョンは目を見開いた。


「俺は君に言ったな。ネックが一つ見落としていることがあると。それはつまり、フェイスの親心だった。俺が動かないことに動揺するのはネックではなく、フェイスだと」


「それは、分かりましたが……」


「だが、俺もまたあの人を見誤っていたんだ。まさかあの人が……リセラを……」


 声が、震えている。ブレインの声が。ジョンは初めてだった。ここまで動揺を露わにするブレインを見たのは。


「俺はあの人を見誤った。レッグの動きも見誤るかもしれない。だから生かしてはおけなかったんだ……あの子を危険に晒す、可能性を」


 そう言って己の手を見つめるブレインを目の当たりにし、ジョンの勢いが落ちた。声だけでなく、瞳も揺れていた。


 ――きっと、あれはブレインにとっても当然の選択ではなかったのだ。ジョンはそう思った。それにどこか安心を覚えてしまい、頭に溜まっていた熱が急に冷えていくのをジョンは感じる。


「ヴェン、君には今、俺が恐ろしく冷酷に見えるだろう。手を取っていいのか、考え直しているかもしれん。だが、ここに留まれる時間はあまり残されていない」


「……ええ、そうですね。次は何を?」


「まずはリセラだ。これからは君にも俺ときてもらう。リセラを誰かに任せなければいけない」


 リセラを任せられる人間。そう聞いたジョンは半ば反射的に、陽気な小太りを思い浮かべた。


「それなら、この劇場のラヴーさんに頼みましょう。彼は信用できます。でも、あなたもそう思ってくれるかは……」


「直接俺が会ってみよう。君もついてきてくれ。――アーム!」


 ブレインは劇場に足を向けたかと思えば、すぐにアームを呼んだ。アームはただ艶やかな笑みを浮かべ、次の言葉を待つ。


「客人の迎えに行ってきてくれ。丁重にな」


「ええ、我が頭脳」


 指令を下された腕は颯爽と広場から走り去った。劇場へと歩みを進めるブレイン。ジョンもそれに続く。


「アームさんはどこへ?」


「言葉のとおり、送迎さ」


 やはり多くは語らないブレインに、ジョンはそっとため息を吐いた。


 劇場へと入る直前、ジョンは一度、広場を振り返る。首を落とされた荒くれ者たち、レッグ、フット。決して善良な人間ではなかった。しかし、祈りを捧げることくらいは、きっと許される。ジョンは胸の内でただ、彼らの安らかな眠りを祈った。




◇◆◇




 ブレインは劇場の廊下を黙して歩く。その後ろに追従するジョンは、その足取りに僅かな焦りがあるように思えた。


 舞台袖へつながる扉を開くブレイン。舞台に立っているであろうリセラの声が聞こえるとともに、鋭くも静かな声がブレインに投げかけられた。


「何者ですかな……! リセラちゃんは渡しませんぞ……!」


 開いた扉の奥にいたのは、サーベルを構え、ブレインを凝視するラヴーだった。劇団員はみな舞台の上にいるようで、舞台袖にはラヴーただ一人しかいない。ブレインの背後からジョンが慌てて飛び出し、ラヴーの前に姿を現す。


「ラヴーさん! 彼は敵ではありません!」


「おお! ジョンさん! リセラちゃんを狙う悪党は打ち払えたのですかな?」


「あ、ちょ……!」


 ジョン――その名前がラヴーの口から出たことに、ジョンは慌てた。ブレインとラヴーが出会った時に起こるだろう展開を予測していなかったのだ。


 とっさにラヴーの口を押さえようと伸びるジョンの手。それを、ブレインの腕が制した。ぎょっとして振り返るジョン。しかし――視界に映ったブレインの表情は、驚くほど普段とおりだった。そして――


「――おっしゃるとおり、外の悪党はこの英雄ジョンが打ち倒してくれました」


 そんなことを、口走る。ジョンは目を見開いた。そんなジョンの様子に気づかず、ラヴーはほっと胸を撫で下ろす。


「ああ、そうですか。そうですか。それはよかった……さすがはジョンさんですな!」


「ええ、本当に……おっと、申し遅れました。私はリセラの兄です。リセラからお話はかねがね。お会いできて光栄です」


「なんと、リセラちゃんの……! いやはや、私もお会いしたかった! どういたしましょう? リセラちゃんを呼びましょうか?」


「いえ、結構。あの子の練習を邪魔するわけにはいきません」


 呆然とブレインを見続けるジョンをよそに、会話は続いた。ごく普通の会話の最中、ふと、ラヴーが怪訝そうに眉を寄せる。次いで、じっと、ブレインの顔を眺め回した。


「ふむ……? どこかで見たような……。白い髪、琥珀の瞳、若い男性……!? ま、まさかあなたは、放火殺人の――」


 ラヴーがそこまで言ったところでようやくジョンが我に返る。そして、再びブレインとラヴーの間に割って入った。


「ら、ラヴーさん! 彼は犯人ではないんです!」


「しかし……! 手配書の似顔絵にもそっくりですぞ!?」


「深い事情があるんです……! ラヴーさん、どうか信じてください。彼でなくてもいい。彼を信じている僕を信じてほしいんです。お願いします……!」


 ジョンはラヴーの両肩に手を乗せ、懇願する勢いで迫った。ラヴーはその勢いに押され、小さくなる。しばらく視線を落ち着かなげに動かした後、そっと息を吐いた。


「……そうですな。他ならぬ英雄ジョンが信じているのであれば、間違っていたとしても信じるほかありません」


「ッ! ……ありがとうございます!」


 礼を言うジョン。ラヴーは、今にも自分の首にまわされそうなジョンの腕をゆっくりと外し、静観していたブレインに目を向け、小さく唸った。


「しかし……合点がいきましたよ。リセラちゃんに新聞を見せないよう頼むわけです。自身のお兄さんが指名手配されているなど……お名前は……確か、ブレインさんでしたかな?」


「……ええ」


「何があったのかは聞きませんが、後ろ暗いものはすべて降ろすべきです。妹君はいずれ演劇界の女王になれる器。しかし、あなた一人の存在によってその未来は潰えるかもしれない」


 いつになく真剣で、辛辣なラヴーの言葉。舞台から聞こえてくる和やかな稽古の声が、その言葉の厚みを増していた。


「ラヴーさん……! そんな言い方は……」


 ジョンがラヴーをたしなめようとする。だが、ブレインはそんなジョンの肩にそっと手を置き、首を振った。


「いい、当然の言葉だ……ラヴーさん、ご安心ください。近日中に荷はすべて降ろすつもりです。そのために今、私は戦っています。彼も、その手伝いをしてくれているのです」


 肩に置いた手でそのままジョンを示すブレイン。そして、その手をラヴーの方に向けた。


「そして、可能ならばあなたにもご助力いただきたい」


「はて? 私もですかな?」


 ブレインの視線がジョンの目に向く。意図を察したジョンは、一歩ラヴーの前に踏み出した。


「僕たちはこれから、悪党への追撃に入ります。ですが、リセラちゃんも放ってはおけません……なので、ラヴーさん。あなたに頼みたいんです。信用できるあなたに」


 ラヴーは腕を組んで頭をひねり、唸る。だが、答えが出るのは早かった。


「……分かりました。受けましょう。ただし、従軍時代の仲間にも、何人か声をかけさせていただきます。あなたの名前を使わせてもらいますぞ? 英雄ジョン、その名前を出されて断る仲間などおりませんからな」


「ッ……! 構いません! なんとお礼を言えばいいか……!」


「私にとっても大事なお嬢さんです。全力でお守りいたしましょうぞ!」


 少し飛び出た腹を突き出し、胸を張るラヴー。ブレインも深々と腰を折った。


「礼は必ずいたします。失礼ながら、我々は急ぎますのでこれで……」


「あ! し、失礼します!」


 慌ただしく舞台袖を後にする二人。入れ替わるように、ラヴーの背後から声がかけられた。


「ラヴーさん? 誰か来てたの?」


 リセラだった。振り返ったラヴーはリセラの前に膝をつき、柔らかく答える。


「ええ、お客人です。練習を覗きに来てしまうような、あなたのファンですよ」


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