佳入と凉花
早戸凉花を初めて目にしたのは、軍学校の入学式だった。
軍医を目指す医学専攻に女性が入学した、というのはとても珍しいことで、新入生の中でもちょっとした話題になっていた。
玉の輿狙いで入学したのでは、とか、裏口入学じゃないか、とか、悪い噂だったが、正直佳入は興味がなかった。
それよりも、今落ちぶれつつある、自身の家をどう立て直すのか、それに気をとられていた。
しかし、男だらけの大学校で、自然と女性の彼女は目立った。
「きっとあれで多くの男を落としてきたんだぜ」
「町医者をやってるあいつが、彼女の笑顔にやられて骨抜きにされたらしい」
「卒業できずに嫁入りするんじゃないか?」
いつしか話題は、なぜ彼女が入学したのか、ではなく彼女の笑みの理由になっていた。
それを佳入は冷ややかに見ていた。
というより、彼女の笑みには反感しかなかった。
幼い頃から、名家の跡取りとして父親にたたき込まれた教えが反復される。
『お前は、名家の跡取りなのだ。魅力的な他人の言葉に笑顔で応えるな。表情を変えるな。反応すれば、相手の思うつぼだ。毅然とした態度をとれ』
それに比べてどうだろう。
無表情の佳入と違って、彼女はコロコロと反応を変え、いつも微笑みを浮かべていた。
たとえ分別のない男が「で、今は誰を狙ってるんですか?」とニヤニヤしながら聞いても、笑みを浮かべて「面白いことを言いますね。今は来週にある中間考査の好成績者を狙ってるんですよ」などと返しているらしい。
ご丁寧に佳入の幼なじみが教えてくれた。
「だってよ。佳入、狙われてるぞ?」
「誰がこんな没落寸前の家に……」
考査の結果でわかったのは、首席をとったのは佳入で、その次点には彼女がいたことだ。
その言葉は好成績を収める男性を狙っているというわけではなく、自分自身がその座を狙っているのだという意味だったのだ。
彼女は、裏口入学ではない、好成績を収めていた。
佳入は彼女を目で追うようになってから気づく。
彼女の言葉はすべて曖昧で、だが、男を狙うような発言は行動から否定される。
そして、何よりその笑顔は『きれいすぎる』。
「……はぁ」
夜遅くまで自習室を借りて勉強をした帰り。
今のところなんとか首席を維持しているが、まだ危うさもある。
決して努力を怠ってはならない。油断すれば、あの女に首席をとられてしまう。
目に見えない圧力は、自分を焦らせていた。
「…これ…とう…に…」
疲れた佳入の耳に入ってくるくぐもった声。
どうやら角の向こうから聞こえてくるようだ。
こんな油断しきった自分を誰かにみられるわけにはいかない。無意識に気が入る。
「わかりました」
月の色と同じぐらい冷たい声。
なんともいえない危機感。
思わず佳入は廊下の角に背中を貼り付け、その先を視界の端で見た。
「では」
廊下の向こうに見える、小柄な影が二つ。
一つは重力を感じさせない動きで、月明かりを照らす窓に飛び乗り、そのまま外に出て行く。
残された影はそれを見送ったかと思うと、勢いよく体の方向を変えた。
反射的に佳入は体を廊下から引っ込ませる。
「誰かいるの?」
殺気とともに投げられた言葉。
その声色に聞き覚えがあって、動けなくなった。
気配を消すことに集中する一方で、頭の中では必死にその声の主を探す。
「……気のせいか」
呟くような女性の声。
こちらに近づいてくる気配はなく、足音と共に遠ざかる。
なんとかこちらの気配を消しきれたようだ。
周りから気配がなくなって、一気に息をつく。
「…早戸…?」
はたと気付く。
あまりにも冷たい声で気付かなかったが、今思えば早戸凉花だった。
普段の感情豊かな声からは想像のつかない無感情の冷たい声。
誰も知らないであろう、彼女の一面。
彼女に興味はなかったはずなのに、なぜか衝撃を受ける自分がいる。
「早戸さーん!今日の調子どうですか?」
「今日は少し疲れましたね。昨日勉強しすぎました」
「そんな頑張らなくても、早戸さんは十分勉強できるでしょー」
次の日から、佳入は無意識に彼女を目で追うようになった。
きれいな笑みが崩れる瞬間があるのでは。
以前より感じていた『きれいすぎる』笑みは、やはり作り物では。
「ん?佳入?どうした?」
「……なんでもない」
自分の聞いた冷たい声が嘘ではなかったと信じたいのか、自分の直感を確信に変えたいのか。
「なんでも…ない」
彼女に近づく男は皆彼女に『作り笑顔』を強要している。
彼女の本当の『顔』を知っているのは自分だけ。
それがいつの間にか恋心に変わるなんて、気付いたのは大学校を卒業してから。
だから。
「早戸家との婚約…ですか」
「ああ」
久しぶりにその名前を聞いた。
消えたはずの火が心の奥底でくすぶるのを感じ、冷静な自分がそれを消す。
そんな佳入に気付かず、雉郎は話を続けた。
「早戸家は昔からある名家の一つ。国家のために存続が必要だが、資金難の訴えがある。結納金という資金の代わりに、国家の保護と名声が手に入ると謳い、婚約者を募るらしい」
「早戸家のご息女というと……」
「今は軍病院で医者として働いている……会ったことがあるんじゃないか?」
早戸凉花か。
今まで忘れていたはずなのに、あの夜のことを鮮明に思い出す。
冷たい声と柔和な『きれいすぎる』笑み。
その裏にあるはずの顔を、佳入はまだ見ていない。
「ただ……早戸家にはうさんくさい噂もある…手を挙げるなら慎重に…」
「立河家として、名を挙げましょう」
「佳入?」
「俺が立て直したといっても、まだ不安定。名家 立河を盤石にするならば、後ろ盾が必要です」
もっともらしい理由がすらすらと出てきて、自分でも驚く。
しかし、あの『作り笑顔』から解放できるなら。
「俺が、早戸家に婚約を申し出ます」
あの笑みの裏にある彼女の姿も解放したい。




