▼第四十六話「盗賊団それぞれの修練」メンネフェル大神殿編⑤
それからアヌビスたちは、必死に修練に励んだ。命がかかっているので、真剣さは並大抵ではない。アヌビスはレンシュドラに穏身術を教え、レンシュドラはアヌビスにヌビア語を教えた。ヌビア語は二週間ほどで発話までスムーズに行えるようになっていた。舞いや言語に不安はないものの、二週間経ってもアヌビスのふてぶてしいまでの男の所作が拭えないのだった。アヌビスは女として生活するのに辟易としていた。行動のすべてに気を抜けず、ストレスで頭がおかしくなる思いがした。一方で女装チームの片割れ、メジェドはとくに違和感もなく美少女役を演じ通しているのだった。
「お前なんでそんなに違和感ねえんだよ」とアヌビスが呆れながら聞いた。「普段からやってんじゃねえのか?」
「ば、馬鹿!! いくらアヌビスくんでも許さないよ!! 僕は、一度見たものは大体忘れないんだ!! だから、今まで見てきた女の子を思い出して、その真似をしているだけだ!!」
「お、おお……」
「アヌビスくんはこの任務のことを軽く見てるんじゃないの? 命がけだよ? 人のこと言う前に自分の覚悟が足りないことを思うべきなんじゃないかな?」
「悪かった!! ごめん!!」
「アヌビスくん、本気でやろう? アヌビスくんから全然本気が感じられない。アヌビスくんは女装を舐めてんじゃないの?」
「ちょっと!! 変なスイッチ入ってるって!!」
「アヌビスくん、女の子はね、総合芸術なんだ。わかるかい? 化粧、指の使い方、目線の使い方、相槌の打ち方、恥じらい、生き様、すべてが芸術なんだ!! わかるかい??」
「お前おかしいって!!!!」
——アヌビスはメジェドの熱血指導を受け、なんとか女の所作を合格点付近にまで身に付けた。
ウプウアウトはすぐに盗みの腕が水準に達した。すれ違いざまに物を抜き取る技、ぶつかって物を盗む技、後ろから盗む技など、あらゆる盗技をものにしてみせた。武功を身に付けた者にとって、盗みは応用のようなもので、覚えるのにさしたる苦労はなかった。
レンシュドラは細かな動きが苦手だったが、苦労してそれを克服し、盗みを極めた。穏身術の方も、アヌビスが心を砕いて、あれこれと細々としたコツを教えた。うまく出来たときは褒め、失敗したときは励ましてやるなどして、懇切丁寧な教え方である。どんなときでも失敗したことを責めずに、失敗の原因を対話によって究明したり、言語化したり、対策を考えたりするなどして、これを解決した。アヌビスはラーにそのように教えられていたので、自然と教え方もそのようになった。教わるなかで、レンシュドラは(なんて出来た人間なんやろ)と感心してしまった。とても十二歳とは思えない気配り、心遣いなのだ。レンシュドラはほどなく、穏身術がアヌビスらと並ぶほどに上達した。やはりレンシュドラも天才の一人である。
メジェドは複雑な魔法陣をすぐさま記憶した。まずは横に見本を置きながら陣を描き、ある程度覚えた段階で、見本なしで陣を描く。そして陣を完璧に描けるようになってから、目隠しでそれを描く。メジェドは三日ほどでその難儀な芸当を見事に修めた。言うまでもなく、抜群に速い。彼の記憶力は超一流で、そのうえ処理能力に優れ、発想力まで富んでいる。滑稽なことに、内気な彼は、自身の美点を大したことがないと思っているのだが。
インプトは穏身術に優れた適性を見せて、さすがのディラも褒めた。
「お前は盗賊稼業に向いているぞ。武人などやめて、鞍替えせんか」
お金が欲しいインプトは、思わず心が揺れるのであった。だが、インプトは家門の名声も取り戻したいと願っている。盗賊に身をやつしては、それは叶うまい。
ディラは伝手のあるテーベの犯罪組織に、『ヌビアの公女:アヌビア』『ヌビアの公女:メジェディア』の身分証明書を偽造させた。普段からどんな書類でも偽造する連中である。これくらいの仕事は朝飯前だった。それから組織を通じて、あらかじめ抱き込んでおいたメンネフェルの役人に金を送った。
「ヌビアのさるお方がメンネフェル留学の思い出に、とこうおっしゃるのですよ」
石造りの役所の一室で、二人の男が向かい合って椅子に座っていた。いま工作をしている男は三十代の男で、たくましい身体と、純朴そうな目を持っている。もちろん小悪党である。書記官の服を着た、賢そうな男は気怠そうにその話を聞いていた。
「そう言われましてもねえ、枠には限りがあるのですよ」
「そこをなんとかお願いしますよ。課長様の手腕なら、メンネフェルの美少女対ヌビアの刺客という構図でいかようにも盛り上げられるわけですし、悪い話じゃないでしょう」
「規則がありますから」と課長は言った。もちろん「規則」と書いて「賄賂を寄こせ」と読む。
「課長、これは課長の鞄ですよね? いや、廊下に落ちていましたもので、拾ってきました」
純朴そうな目をした男は、自らが持ってきた持ち重りのする鞄を、机の上に置いて課長に差し出した。
「む、そうか?」
課長は鞄を開いて中を確かめた。中にはぎっしりと銀が詰まっている。銀が光を放ち、課長の顔が明るくなる。課長は笑みを浮かべながらその鞄を閉じた。
「拾ってくれてありがとう。私もそろそろトシかな。最近疲れているのか、落し物が多くてな。いや、きみ、じつのところ行政というのは休みがないからな」
「課長の御苦労、わたくし、芯からお察しするところであります」
「まあなんだ、規則というのは柔軟に対応してこそ、円滑な運用が出来るというものだ。ヌビアの美少女を、国民も見たかろう」
「あ、ありがとうございます!!!!」
男は勢いよく頭を下げた。こうして首尾よくメンネフェル美少女大賞に二人の枠を確保することに成功した。
さらに男はその勢いを駆って、メンネフェル美少女大賞の審査員に、ヌビア公女からの”親しみの証”を送った。
ディラはこのように各所に根回しし、下準備をすべて終えた。
そんな修練の日々の中、アヌビスは夜間、ラーに武功を教わった。相変わらず、剣気を微弱に放出し、それを保ち続ける訓練である。アヌビスはわずか二週間で剣気を一時間保つということをやってのけた。これにはラーも驚いた。アヌビスほどの才の腕も一か月はかかるという予測を、軽々と超えてきた。魔炎を得たことで、さらに炎の扱いがうまくなったようだった。アヌビスはいまや、第二位階の八成に到達していた。
さらに、ラーの創った上乗武功・五山燎火剣功と九天龍吟歩の修練も並行して行った。型を覚え、ホルスの幻影と対練し、ラーと打ち合い、夜ごとに激しい修練を繰り広げた。そして、五山燎火剣功と九天龍吟歩が、三週間のうちにようやく二成に達した。まだまだ未熟だが、上乗武功を使いこなせるようになってきたのである。その威力は、たとえ二成でも三流武功の三才剣法や七星歩法とはレベルが違う。
「アヌビスよ。本当にメンネフェル大神殿に行くのか? 絶対に生きては帰れんぞ。あの女の計画は無茶苦茶だ」
「何言ってんだよ。師父が俺の立場だったら友達を置いて逃げるか? しかもディラに四六時中狙われるんだぞ」
「やれやれ。まあそう言うだろうな。こうなったら、お前をしごきにしごくしかないな。徹底的に鍛えてやる」
「ああ、俺をもっと強くしてくれ!!」
ラーはアヌビスの武功への理解度が増すように、対練しながら、本質を突いた端的な指摘を繰り返した。アヌビスは、ラーの教えを次々吸収し、その巨大な武の才能が、いよいよ本格化してゆくのであった。
(つづく)




