狐と黒猫
登場人物紹介
アーダム……シズカの配下。帝国から連れてきたシズカの愛人。
レオン……現鹿郡領主。シズカの義兄。元冒険者。
ヴォルケ……前鹿郡領主でシズカの父親。レオンを養子にして領主の座を譲った。
ヤマ……シズカが雇った傭兵。過去の勇者が作った武器ライフル銃を使いこなす。
「はぁ……シズカ様が覚えてるなんて……」
私は大きくため息をつきました。
庭に戻ってシズカ様のお顔がちゃんと見れるか不安のまま、誰も居ない台所でかまどの火加減を見つつお湯が沸くのを待っていました。
「お嬢さん」
「え? はい? どちら様でしょうか?」
お台所には誰も居ない筈なのに人の声がして、私は驚いて振り返ると中年のおじ様が目の前に立っていました。
何処かで会ったような気がしますが、新しく来た料理人さんでしょうか。
「お嬢さん、これを嗅いでくれんか」
「はい? クンクン……まあ、とってもいい匂い ……あら? なんだかフワフワしま……ス……」
おじ様から蓋の開いた小瓶が差し出され、その中から甘い匂いを嗅いで私は目眩と共に少し眠くなりました。
――"汝の意識は我が物"
「おじ様? ……あら? 狐サん? いらっしゃいまセ」
いつの間にか、おじ様は居なくなりおじ様が立っていた場所に狐さんが座っていました。
最近お屋敷の近くの林に住み着いた狐さんに、私は良くご飯を上げています。
「鹿郡の兵の数は?」
狐さんがご飯を欲しがっています。
「兵隊サんの数は千人程だソうでス……」
「蛾の頭をした化物は何処に消えた?」
狐さんがもっとご飯を欲しがっています。
「情報収集をシに砦の近くで戦いが見える場所に隠れてるソうでス……」
「魔物が情報収集? ……まあいい。次にこの薬をその茶に入れろ。女共に飲ませた後、お前はこっちの薬を直ぐに飲め」
「はい、分かりまシ……た」
私は、狐さんが差し出す二つのお薬を受け取ろうと手を伸ばしました。
「ぐっっ!?」
ですが受け取る瞬間、狐さんの手に短剣が突き刺さり、お薬が床に落ちてしまいました。
「な、何者だ!」
「やれやれ、女を殺しに来たら大狐が居たぞ。アーダム、女を押さえろ。逃げようとしたら直ぐに殺せ」
「お任せあれ!」
「鹿郡の影か! 貴様らが俺の部下達を!」
狐さんと突然飛び込んできた黒猫さんが喧嘩を始め、お台所が散らかってしまいました。
「ああ! 何て事でしょう!」
「女動くな。お前が牛郡領に情報を渡していた事は分かっている。逃げようとしたら……あれ? 聞いてます?」
喧嘩をする狐さんと黒猫さんを止めようとしますが白いワンちゃんが私を止めました。
喧嘩は続き、狐さんは手に刺さった短剣を引き抜いて振るい、黒猫さんの頭巾を少し切りました。ですが黒猫さんの刀が短剣を持つ狐さんの腕を切り飛ばしました。
切り飛ばされた腕は私の側に落ちて、ビチャリと何か熱い物が私の顔にかかりました。
黒猫さんは狐さんのお腹に刀を刺しました。黒猫さんの顔を隠す頭巾がはらりと落ちます。
「ぐわぁぁぁぁぁぁ! き、貴様は……ゴボッ!」
「〈調教師〉か、意外な場所で会うものだな」
「〈山猫〉 ……貴様が……御庭番が何故鹿郡に……」
「すまんが俺は引退した」
「…………」
狐さんは動かなくなりました。
「ヤマさん、この女はどうします? 殺しますか? 何か様子が変なんです」
狐さんが動かなくなり悲しむ私に、ワンちゃんが慰めるように頭を撫でてくれます。
「いや、薬と暗示のせいでこうなっている。やつの術だ、時間が経てば元に戻るはずだ」
「そうですか。良かった良かった。こんな可愛いメイドさんを殺さなくて済んで、はっはっは!」
ワンちゃんが喜んでいます。私もなんだか嬉しくなって一緒に笑いました。
ーーーーーー
「屋敷に賊が!? ウルリカは無事か!」
領主館の会議室で甲冑姿のレオンはアーダムの知らせを聞いて声を上げた。
アーダムから見て、レオン領主は不安になるぐらい人が良さそうな青年だったが、これで西方最大の地下迷宮都市を最下層まで潜った元冒険者で、仲間の一人、後の妻になるウルリカの負傷をきっかけに若くして冒険者を引退。前鹿郡領主ヴォルケの養子となって現在は領主の座を引き継いでいる。
「はい、ウルリカ様はシズカ様、マチルダ様と共にお庭におりましたのでご無事です」
「そ、そうか……良かった」
レオンは椅子に座り、大きく息を吸ってはいた。
先程まで軍議で多く人が集まっていた大部屋の会議室にはレオンとアーダム、それと白髪の老騎士の三人以外に他の者達は居なかった。
数刻後には出陣するので皆部屋を出てからアーダムは士気を下げるのを避けて軍議が終わるまで報告待っていたのだ。
「賊は台所で飲み物に毒を入れようとした所で偶然メイドが発見しました。私はメイドの悲鳴を聞いて駆けつけ、賊を討ったのです」
賊を討ったのはヤマだが、彼はここでの自分の仕事は終わったと言い、後の面倒な報告などはアーダムに押し付け、先行したナナジと合流するために既にここを出発していた。
「良くやってくれた! ……そのメイドというのはもしかしてエリーかい? エリーは無事なのかい?」
「はい、何か薬のような物を吸わされて記憶に混乱があるようですが無事です。今は医者に見て貰っています」
「それは本当に良かった! エリーはウルリカのお気に入りのメイドだったからね」
「はい、とても心配をしているご様子でした。(……あんたの奥さん、そのメイドを殺すのあっさり許可したぞ……)」
「シズカ嬢の騎士殿、賊は何処の手の者か分かるか?」
白髪の老騎士がアーダムに聞いてきた。重そうな金属甲冑の上に猛獣の毛皮を纏い、どことなくブラッツに似ている気がする。
「(この人がヘンリー老か、お父上様の友人だとか……同い年てほんとかよ……)」
縄でぐるぐる巻きに縛られたまま、デクに運ばれていてもヘラヘラと笑うシズカの父親の姿を思い出す。
ヴォルケの姿は若々しく三十代の男性で見え、自分に少し似てるとブラッツに言われて軽くショックだった。
二人を並べて立たせ、知らない者にこのヘンリーが前領主だと紹介したら疑わず全員信じるだろう。
「いえ、調査はこれからですがウルリカ様は牛郡領の狐だろうと」
「狐?」
老騎士は白い眉を動かす。
「盗賊ギルドの専門用語で鼠は盗み、狐は潜入工作、蛇は殺し、熊は冒険者と、彼女らはそう呼ぶのです」
元冒険者のレオン領主がヘンリー老に説明した。
「ほほう、だとするとウルリカ嬢は熊か! どおりで強い訳ですな! ワッハッハッハ!」
ヘンリー老は豪快に笑う。見た目よりも陽気な人物のようだ。
アーダムはウルリカの名前でもう一つ報告を思い出した。
「あ〜そのウルリカ様が……シズカ様もなんですが、どうも戦について来る気みたいなんですがよろしいんですか?」
その話しを聞いてレオンは困った顔になり、ヘンリー老はやっぱ熊じゃねえかとボヤいた。
「うちのマチルダちゃんもなんだよ〜」
「うわっびっくりした!」
全く気配を感じず、誰も居ない真横から人の声がしてアーダムは本気で驚いた。
煙から浮かび上がるように隠居した鹿郡前領主、ヴォルケが姿を現した。
「父上、いつか――」
「ヴォルケ! 領主館では姿を消す魔法は止めろと言ったろ!」
レオンの声を消すぐらいヘンリー老は怒鳴るがヴォルケはエへへと笑う。
「賊が出たって騒ぎで屋敷から出してくんなくてね。どうなてんのか気になってこっそり出て来ちゃった」
「出て来ちゃったて……」
今頃護衛の者は大騒ぎだ。
彼の魔法を見抜く事が出来るデクは、仲間達と共にここを数日前から任務で出ていた。
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