不信
・佐納燕
風紀治安委員会所属
愛刀の名は砂肝
「しかし、皆に怪我がなくて良かった」
鷹野を無事女子寮に送り届けて、自分はそう呟いた。
犯人は自身の未熟故、取り逃がすという失態をさらしたが、彼女を始め、渡戸、鷺宮先輩と、三人とも傷を負うことなく、彼奴の襲撃を退けられたのは僥倖であった。
しかし自分の言葉を聞いて鷹野は不思議そうに首を傾げた。
「そんなことないよ?」
思いもよらぬ言葉に驚愕する。
まさか自分が気付いていないだけで、誰か凶刃の被害にあったというのだろうか?
だとするなら、なんと未熟。
「佐納さん」
「面目ない。よもや誰かが怪我をされていたとは、だというのに何とも恥ずべき発言を! 佐納燕一生の不覚! ついては――」
「違うよ。佐納さんが、だよ」
慌てる自分を静かに嗜めて、鷹野は腹部を指さした。
「蹴っ飛ばされてたよね。痛くない? 痣とかになってない?」
「……。いえ、自分は鍛えておる。あの程度、物の内に入らぬ」
心配そうにたずねる彼女にそう毅然と返す。
なかなかの一撃であったのは確かだ。
しかし、自分にとっては負傷の内に入らぬのも事実である。
実際に蹴られた腹部は、全く痛みを感じていなかった。
「そっか。良かった」
彼女はそう言って安堵する。
だがすぐにむくれた顔をする。
「でも、自分を除いて『誰も』なんて言っちゃダメだよ。佐納さんも含めて『皆』なんだから」
「助けられたわたしが言うもんじゃないけど」と彼女は苦笑した。
そんな彼女の姿に自分も笑みが零れた。
★★★
「何故ですか!」
自分の声が部屋中に響いた。
先ほど起きた凶事を、委員長に伝える為に風紀委員を訪れたが、返答は予想外のものであった。
今回の事件は公表はしない。
それが委員長の下した判断であった。
「連日犯人が犯行を重ねている。という事実は生徒の不安を無用に掻き立てるだけだ」
感情を発露させる自分とは対照的に、委員長は背を向け静かにそう説明する。
確かにその通りかもしれない。
犯人に関する有益な情報が増えたわけでもなく、活発に犯行を重ねているという事実だけだ。
生徒が不安を覚える可能性は高い。
だがその分、放課後の活動における、さらなる注意喚起にはなる筈だ。
ましてや、一般生徒だけならまだしも、生徒会にまでひた隠しにする理由にはならない。
「風紀委員がその場に居合わせながら、取り逃がした。ともなれば批判材料にされかねない」
そう言って委員長はジロリと自分を睨んだ。
取り逃がしたという失態は事実であるため、思わず押し黙る。
「しかし、この問題を解決する為に、今は互いに力を合わせるべきです」
「力を合わせてくれればいいがね」
道理の分からない子どもに呆れるように、委員長は首を振って自分の発言に取り合おうとしない。
委員長の予測では、犯人をのさばらせた責任をこちらに押し付けつつ、手柄を横取りされるという事だ。
だが、今は手柄をどちらが上げるか、責任をどちらが取るかなどを気にする場面ではない筈。
尚も学園に潜伏し、凶刃を振るう犯人を捕まえる為に心血を注ぐ。
今自分たちが考えるべきはそれだけなのではないだろうか。
「元はと言えば、お前が犯人を掴めていれば済む話だったんだがね」
「……それは」
委員長の言い分は正しい。
あそこで自分が犯人を捕らえてしまえば、そもそもこんな無用な問答すらしなくて済んだ。
そしてその責任を問われるのは、平の委員ではなく委員長なのだ。
その分際で、保身等考えるなというのは、確かに発言として生意気にも程がある。
だが――
「今回の失態に関しましては、自分を矢面にだして頂いてかまいせん。ですから――」
「誰か一人がって話じゃないんだよ。今後の風紀委員全体の立場の話なんだよ」
グッと押し黙る。
確かに自分の失態で、他の委員に迷惑をかけるのは本意ではない。
しかし、だからと言って事件を隠し、生徒会との協力体制を拒否するほどの事なのか。
犯人は予想以上の手練れであった。
自分と互角。
否、視界を悪くする仮面や、動き辛いであろう長外套。
出で立ちなどを考慮すれば、悔しいが相手の方が勝っているやも知れない。
自賛するわけではないが、あれほどの腕を持った犯罪者をそんな軽い気持ちで捕まえるなど、できないのではないだろうか。
自分にはそう思えてならない。
ましてや、彼奴からは何か人ならざる気配を感じた。
この学園は不可思議な箱庭だ。
そう言った所には魑魅魍魎、悪鬼羅刹を呼び寄せやすい。
故に、そういうものに、動じぬ生徒も多いのは事実。
だが、それは野放しにしていい理由には決してならない。
「ふむ、しかし新入生は犯人ではなかったか」
「はい。寧ろ、生徒を助ける為に身を投げ出す勇敢な男でした」
今思えば、渡戸にも悪いことをしたのだと思う。
ただ新入生というだけで疑い、学校生活を監視など、どう考えても行き過ぎであった。
そのお陰で、すぐに助けに入ることが出来たのも事実だ。
それでも、あの時真っすぐな正義感を示した彼に、疑いを持って付け回していた、というのは自分を後ろめたい気持ちにさせた。
「まぁいい。一先ず渡戸の監視は解除とする」
委員長の言葉にホッと一息つく。
それでも彼の中では、まだ生徒会が一枚噛んでいる、という疑いは晴れていないのだろうが。
「佐納は通常通りの活動に戻れ、重ねて言うが今回の件は外部への公表は禁止だ」
言い聞かせるような発言に自分は静かに頭を下げて肯定する。
結局は自分の力不足が招いた結果。
それに対する決定にとやかく言う資格などあるはずがなかったのだ。
そう自分に言い聞かせた。
「不幸中の幸いだな。野次馬も無く、怪我人が誰もいない。確たる証拠がない以上噂レベルで事が済む」
委員長はそう安堵した表情で笑みを浮かべた。
「誰も……か」
小さな呟きに気づき、委員長は不思議そうな顔をする。
自分は何でもないと誤魔化すと、一礼して背を向けた。
何故だか分からないが、何ともない筈の脇腹が小さく疼くのだった。




