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「……現実なのね」
目覚めた王女が呟いた一言に、タビーは胸を痛めた。
「殿下、着替えられますか?そのままでは苦しいでしょう」
倒れた時のまま、王女はドレスを身につけている。休むのであれば、寝巻きに
着替えた方がいい。着替えも直ぐに行える様に準備をしている。
王女はタビーを暫し見つめ、そして首を横に振った。
琥珀色の瞳を囲う白金の睫毛が、濡れている。だが、王女は涙をこぼさなかっ
た。
どうしたらいいのか、タビーには判らない。
そもそも、シュタイン公の話は本当なのだろうか。
王は子どもを作れる体ではなく、王女はシュタイン公の弟との子。
だが、それは王子も同じ様だ。王子の父親が誰かは判らないが。
シュタイン公から見て王女は従姉妹、国王は伯父だ。それは彼の弟も同じで、
兄弟共に王族の血をひいている。
王位継承者に王族の血が必要なのであれば、王女はその要件を満たしているの
だ。
想像だが、王子の父も恐らく同様で、誰かは判らないが王族の血を引いている。
だから、国王としては『どちらでもいい』のだ。
自分の子であって、自分の子ではないのだから。
「タビーは……シュタイン将軍のことを、知っているの?」
呟いた王女に、今度はタビーが首を横に振った。
「私が知っているのは、閣下が騎士団を取りまとめていることや、公爵というこ
とくらいで……」
普段なら雲の上の人だ。魔術師として独立を志しているタビーは、将来騎士と
共に仕事をする事でも無ければ、知り合う機会はない。公爵自身が出る様な仕事
を共にするとも思えなかった。
「そう……」
王女は俯く。
「……私は」
口を開いた王女を急かさず、タビーはただ待った。
「怖かったの」
か細い声だ。
「あの日……」
王女は侍女を付けずに王宮の庭を散策していた。
王宮の庭、と言っても後宮の直ぐ側にあり、いくら貴族でも許可無く立ち入れ
ない。それを良いことに、王女は護衛の近衛や侍女も付けずに散策をすることが
多かったという。
その日も、王女は散策をしていた。
庭に咲いた花を、それをつつく小鳥を眺め、穏やかに過ごしていたのだ。
「シュタイン将軍が来て………」
王女にとって、シュタイン公は従兄弟に当たる。王宮に顔を見せる事は殆どな
く、王女と個人的に会うこともそれまでは無かった。王女自身、シュタイン公の
顔は知っていたが、話した事は皆無に近い。
「その時に、将軍は……私に尋ねたのです。『貴女の父をご存知か』と」
シュタイン公が発したのは、ただそれだけ。
だが、その言葉と公爵の眼差しに萎縮した王女は、後宮へ逃げ込んだ。
「私の父は、陛下で……」
王女は信じていたのだろう。信じる、というよりも当たり前の様に受け入れて
いたのだ。
王女である自分の父は国王である。
父が国王だから、自分は王女なのだ。
「わからなくなってしまったのです。何もかも」
誰かに相談しようもない。母である正妃に問うのも恐ろしかった。そこで肯定
されてしまえば、自分は何者でもないということになる。
「怖いと思ったのです」
遂に、王女の目から涙が零れた。白い肌の上を辿るそれが、水晶の様にも思え
る。
「そして」
王女は逃げたのだ。恐怖に駆られて。
「どこに、いらしたのですか」
沈黙した王女に、タビーは静かに声をかける。
「……王族のみが知っている、地下道があります」
物心ついた頃、王女はそれを母である王妃に教えられた。
継承者ではない彼女に教えられたのは、最低限の道だけだったが、そこを辿っ
たという。
「所々に、休息する場所もあって……」
携帯食や寝床など、最低限のものが揃っている。魔術で腐らない様に保存され
ているそれらを食べながら、王女は地下道を彷徨い続けた。
「数日して……凄い音がしました」
「音、ですか?」
「ええ」
怖かったが、その場所を見に行くと壁は崩れ、地下道が塞がれていたのだ。
「一ヶ所だけではないのです。何カ所も」
タビーは、はっとした。
フリッツが彼女を連れ出した時の爆発音。あれは、恐らく地下道を壊すための
ものだったのだ。
「気づいたら、もう出られる場所は一つだけでした」
それが騎士団本部に通ずる道だった。後は、タビーが見た通りである。
「怖かったのです」
目を腫らした王女は、嗚咽を漏らす。
「何故、将軍があの様な目で私をみるのか」
その真実を図るには、王女は幼すぎた。
国王が子を成せない、というのは問題だ。
養子を取るにしても、他に王族の血を持つ者を継承者とするにしても、政争は
避けられない。それが武力を伴う可能性も高いのだ。
国王自身が正妃と側室に相手を宛がったのであれば、国王は自身が子どもを作
れないことを自覚している。
シュタイン公の弟が選ばれたは、王族の血を引くからだ。国王から見て甥であ
り、秘密を守れる家。
だが、指名された家はどう思ったか。
王が己の権力を守りたいが為に、家族を生け贄に要求する様なものだ。病や戦
などという、一人の力ではどうしようもない理由ではなく、あくまで王のための
贄。
「殿下は、王位を望まれないのですか?」
「王位など……恐ろしい」
王女は体を震わせた。
「今となっては、もう」
王とシュタイン公とその弟で交わされた企み。王子も同様ならば、どれだけの
思惑が行き交っているのか。
「なにもかもが、恐ろしい……!」
悲鳴の様な声で、王女はブランケットに顔を埋めた。
「……逃げましょうか」
タビーはぽつりと呟き、そしてそんな事を言ってしまった自分に驚く。
「タビー?」
「ほ、本当に……本当に、お嫌なら」
どこか静かな所へ逃がしてあげたいと思う。それがどこかは判らないが。
「お手伝いいたします」
「タビー……」
顔を上げた王女は、タビーに縋り付く。
「それが……それができれば、どれほど」
何もかもから逃げ出したい。だが、逃げられないのは王女自身が一番良く知っ
ている。
「タビー、お願い。側にいて」
華奢な手からは想像も出来ない強い力で、王女はタビーにしがみついた。
「お願い、ひとりにしないで」
『お願い』を何度も繰り返しながら、王女は涙を零す。
タビーはその背をさすることしかできなかった。
■
「……」
「陛下!」
長い昏睡状態から目覚めた国王に、侍医は声をかける。
「陛下、お気を確かに」
宰相であるノルマン公も王のベッドに近づいた。
「陛下」
「……は……どう……」
掠れた声は聞き取れない。侍医が水差しを口に宛がうと、国王はそれをようや
く飲み下した。
「……どう、なっている」
聞き取れた声に、侍医とノルマン公は顔を見合わせ頷く。
「可能な限り、私や殿下が」
「……ルティナは」
記憶が混濁しているのだろうか、目が虚ろだ。
「……大事、ございませぬ」
真実を告げる事はできない。王子派が騎士団の幹部を拘束していること、王女
が行方知れずのこと、今の国王にはどれも刺激が強すぎる。
「……そうか」
「ですが、陛下。陛下は直ぐには動けませぬ」
侍医が述べると、国王は不思議そうな顔をした。今の状態を理解できていない
のだろうか。
「陛下、この様な事を申し上げるのは、差し出がましいことではございますが」
ノルマン公が口を開く。
「王権の代行者を、お決めいただけませぬか」
代行者であれば、国王の代理が務まる。滞っている政治も動かすことが出来る
し、王子が主張する戒厳令の発令や意味のない拘束を無にすることも可能だ。
「だ、い行者……」
国王は呟き、目を閉じた。
「陛下!」
「……もう、よい」
嗄れた声が、一瞬だけ力を持つ。
「我は……もう、飽いた」
ノルマン公は絶句した。王が口にしてはならぬ一言だ。何よりも、今まで様々
な者を巻き込んできた王が言うべき事ではない。
「……流れの、ゆく、ままに」
「陛下」
慌てて声を掛けるが、閉じられた瞳は開かない。再び昏睡状態に入ったのだろ
う。侍医が脈や呼吸を確認し、首を横に振った。
「また、おやすみになられました」
生きてはいる。だが、もはや屍も同然だ。
ノルマン公は長いため息をついた。
この国は王と、それを支える三公、その下にいる貴族達で政を行っている。
王と三公はまさしく運命共同体だ。暴政を行う王がいれば諫め、弱き王であれ
ば三公で導く。国と王を守り、その為に戦う存在だ。
今の王とて同じ、否、共同体というよりは共犯者というところか。
王子と王女、それぞれの父親が誰なのか、何故そうなったのか――――ノルマ
ン公は把握している。寧ろ、王の支持で贄を選んだのは彼なのだ。
王子と王女は紛れもなく王族だ。王族としての血を引いている。
ただ、その血が国王ではないというだけのこと。
状況から考えれば、王女は真実に辿り着いた、もしくは知らされたのか。
(シュタイン将軍……)
あの繊細な王女が受け止めきれるのか、そもそも彼が王女に話したのか。
今はどちらとも知れない。ただ、待つしか無い。
ノルマン公は、再び眠りに落ちた国王を見下ろした。
――――今や、ただ老いた男にしか見えない王を。




