99
泣き疲れて眠ってしまった王女を見ながら、タビーはぼんやりと考えていた。
(逃げるなら、何処へ?)
現実的ではない。
実際にできることでもない。
ただ、幼い王女をこれ以上苦しめたくなかった。
(海を越えて行く?)
東の海を越えれば、ノルドがある。
南の海を越えれば、ラグーン。海と砂の国だ。タビーも講義で教わった程度し
か知らない。
そもそも、王女を連れて船に乗れるのか。
王女をその国に連れて行くだけなら、誰でも出来る。連れて行って、はいさよ
うなら、という訳にはいかない。
王女が食べて行くために必要な仕事はあるのか。今は幼いが、成長すればます
ます美しくなる。良い貴族に見初められるならまだしも、どこかのヒヒ親父に妾
にされたらどうするのか。
何より、王女と共に逃げるということは、タビーの夢を諦める事に繋がる。
学院には残れず、ダーフィトにもいられなくなり。それを受け入れるには、タ
ビーの気持ちが納得できない。
そこまで考えて、己の情けなさと浅はかな考えに溜息がでる。
支えになりたいと言いながら、結局は自分が可愛いのだ。
王女が王位を継がず、今のまま生きていく事が出来れば一番いい。
年頃になれば、貴族や国外の王族とも縁談があるだろう。ザシャが婚約者だと
いうが、国の事情で変わることも珍しくない。
優しく誠実な配偶者を得て、子を産み、静かに暮らす。
タビーの勝手な望みだが、王女にはそんな穏やかな生き方をして欲しい。
王のこと、本当の父のこと、王位のこと。今の王女が受け止めるにはあまりに
も辛すぎる。
溜息をついたところで、どこからか音がすることに気づいた。
窓に近寄るが、そこには中庭が広がるだけだ。
気になって、窓を開ける。
何かがぶつかる様な音。
人の怒声、一人ではない、複数いや大人数の声に近い。
何度かぶつかる様な音がし、鈍い爆発音がする。
(まさか、先輩?)
フリッツがどの様な立場にあるか判らないが、王女の逃げ道を塞いだのは間違
いなく彼だと思う。
外から何かが燃える様な臭いがしてきた。煙や火は見えない。建物の下を見た
が、この宿舎が燃えている訳ではない様だ。
もう一度。
先程より大きい。窓を開けているせいか、音が近く聞こえる。
「タビー……?」
かけられた声に、タビーは振り向いた。目を腫らした王女が、こちらを見てい
る。ドレスを纏ったまま、上半身を起こした彼女は痛々しい。
「殿下、お目覚めですか?」
内心の動揺を悟られる様に、タビーは静かに窓を閉めた。漂っていた臭いも消
える。
「何か、あったの?」
「この宿舎には何も」
彼女は息を整える。
「でも、何かがあってはいけませんから……動き易い服に着替えましょうか」
ドレスは逃げるに不向きだ。王女が失踪していた時に来ていたのは、簡易ドレ
スの様なものだったが、あちらこちらが汚れてもう使えない。
「そう……わかりました」
少しは落ち着いたのだろう。王女は頷いてベッドから降りる。
タビーはクローゼットを開けて、下着類といくつかの小物を引っ張り出す。
青色の部屋着はやや大きめかもしれないが、一緒にしまってあったベルトを使
えば問題ない。
王女のドレスを手早く脱がし、下着等も全て取り替える。部屋着の裾がやや長
めだったが、ベルトを使って調節した。袖は少し折り曲げる。
「どこか、具合の悪い部分はないでしょうか」
学院の基礎課程で習った敬語では、王女への言葉遣いなど教えて貰っていない。
目上の人に対して、の言葉を思い出しつつ、タビーは支度を調える。
外から、鈍い音がした。
タビーと王女は揃って窓を見る。
「失礼します」
少しだけ窓をあけたタビーは、煙の臭いが前よりも強くなってきたことに気づ
いた。
(シュタイン公を捜さないと)
まずは王女の身を守ることが最優先だ。彼とて、王女の死を望んでいる訳では
ない。どこに避難するのか、王女が辿ったという隠し通路は入れても出口がない。
もし、王女を亡き者にしたいのであれば、隠し通路は逆に罠になる。
(どこにいるんだろう。どこかの建物?)
宿舎から騎士団本部の建物は見えない。窓を閉めると、タビーは王女に向き直っ
た。
「殿下、まずはシュタイン公を捜しましょう」
「……」
王女の頬がぴくりと動く。やはり先程のやり取りが思い出されるのだ。
「どんな事情があろうと、ここで公以外に殿下を助けられる人はいないと思いま
す」
王女はタビーを見つめた。
「……わかりました」
こくり、と頷いた王女に、タビーはほっとする。この部屋にいればいいのかも
しれないが、煙の臭いがするとなると話は別だ。気づいたら火事で取り残されて
いた、等、恐ろしくて考えられない。
タビーの準備は簡単だ。ローブをはおり、手袋をして杖を持つ。
エルトの袋をつけたベルトも問題ない。
「殿下、参りましょう」
踵の高い靴ではなく、衝撃を和らげる皮の靴をはいた王女は、タビーを見つめ
た。
「すべて、タビーのいいように」
■
騎士団の本部は巨大な門で守られている。
門の前では数名の騎士が警備にあたり、さら門の上にも見張りが詰めていた。
「……あれは、何だ?」
門の上にいた騎士は、遠くからやってくる集団を見やる。白い馬は近衛騎士が
好んで乗るが、それが大挙して騎士団に押しかけるなど尋常ではない。
「隊長!!」
門の内側にある監視小屋から出て来た騎士は、何も聞かずに素早く門の上へ上
がる。
「……なんだ、あれは。近衛か?」
騎士団と近衛は協力しあう事はあるが、友好的ではない。特に近衛は、平民か
らも選ばれる騎士団の騎士を見下して馬鹿にするところがある。
「しかもあの数……?」
「隊長、武装しています!!」
もう一人の見張りが叫ぶ。目のよさを買われて見張りに当たっているのだ。間
違いはないだろう。
「鐘を鳴らせ!全員、門の内側に入れ!」
隊長が叫ぶ。表の警備に出ていた者達は素早く中に入った。門にやはり巨大な
閂をかける。けたたましく、鐘が鳴った。非常時の合図だ。
「伝令!閣下に武装集団が来たことを伝えよ!」
「はいっ!」
下に控えていた騎士の一人が走り出す。
「迎撃準備!」
本来であれば、副将軍以上でなければ出せない命令だ。だが、武装した近衛が
やってくるのであれば、命令を待っていられない。後で罰を喰らうのと、なだれ
こまれるのでは前者の方がマシだ。
更に鐘が強く鳴らされる。剣や槍、弓、それぞれの部隊が緊急の迎撃態勢を取
り始めた。
その間にも、近衛が騎士団の近くまでやってくる。
「開門!!」
先頭に立った近衛が叫んだ。だが、その後ろには完全武装の近衛騎士たち。門
を開ける訳にはいかない。
鐘の音を聞いた騎士達が、門前で迎撃態勢を取る。門の前に土嚢を積み上げ、
弓兵達は外壁を伝った敵を狙う為に所定位置に構えた。
「何事でしょうか、これは」
隊長は、騎乗したままの近衛に問いかける。近衛は全員が貴族だ。こんな時で
も最低限の礼儀を求められる。
「貴様の様な下賤の輩に答える筋合いはない」
近衛は顎を反らし、騎士団を挑発した。だが、それに応えるほど騎士団も短気
ではない。
「では、相応しい方が来るまで、お待ちください」
皮肉をこめて告げると、近衛は頬を赤くした。挑発に弱いのは、どちらかとい
うと近衛の方で、『貴族の誇り』とやらを勘違いしている輩に有効だ。
近衛騎士隊と騎士団が睨みあう。
それほど待たずに、一人の男が上がってきた。
「……閣下」
隊長は慌てて礼を取る。直に来たのは参謀格でも何でもなく、騎士団を統括す
るシュタイン公その人だ。
「開門をしろ、とのことです」
隊長の報告に、シュタイン公は黙って頷いた。
「シュタイン公、開門されよ!今ならまだ申し開きができよう」
「申し開き?」
シュタイン公は近衛の言葉を鼻で笑い飛ばす。
「私が何を申し開きすると?」
「国王陛下への反乱、今であれば騎士団の責は問わずとの仰せだ」
「陛下?いつ陛下がお目覚めになったのか」
シュタイン公の低い声が、朗々と響き渡る。
「下がれ」
前触れの近衛が何かを言う前に、後ろから声がかかった。
白馬に乗った王子ルーファンと、ディヴァイン公だ。
「シュタイン将軍!貴公の反乱の意志、明確である!」
ディヴァイン公が言い放つが、シュタイン公は動じない。
「まさか、私が滅多に王宮へ出仕しないから、という理由ではないでしょうな」
小馬鹿にした物言いに、だがディヴァイン公は反応しない。
「王都を守る身でありながら、その責を全うしていない。貴公は騎士団を率いる
に相応しくない!!」
「その言葉、そっくりそのまま返そう」
口元を歪めたシュタイン公は、王子達を見下ろす。
「貴公……!殿下が、温情を示されておるのだぞ!」
「下がれ、ディヴァイン将軍」
王子ルーファンは、ディヴァインよりやや前に馬を出した。
「シュタイン将軍、貴公が反乱を起こすのであれば、私は王子として国を守らね
ばならぬ」
「……」
「将軍が出頭するのであれば、騎士団への咎は抑えよう。どうか」
「話にならん」
シュタイン公は即座にその言葉を斬り捨てる。
「貴公!」
「では、私たちと戦うというのか?賊軍に落ちると?」
王子の言葉に、騎士団の面々は顔を見合わせた。騎士団は国を守るもの、民や
国に仇なす者ではない。その誇りが彼らの支えなのだ。
「賊軍と。騎士団をそう呼ばれるか」
シュタイン公は笑う。あまりにも滑稽だとでも言いたげに。
「我らは陛下に忠誠を誓った騎士。我らが賊軍になることなど、あり得ぬ」
言い切った彼に、王子は眉を顰めた。
「……私とて、将軍達を殺したくないのだ。わかってくれないか」
「わかりかねます」
シュタイン公の強い視線に、王子とディヴァイン公は怯む。
「どうぞ、お好きになさればいい」
彼は、どこまでも冷静だった。
「我らは謂われのない脅しに屈服はせぬ」
その言葉に、騎士団の者達は武器を握りしめた。
王子は残念そうに首を横に振ってみせる。
「近衛騎士隊、前へ!!」
ディヴァイン公の声が響き、近衛騎士達もまた武器を構える。
「かかれ!!」




