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魔術師は、治癒術を使えない。
治癒術である『聖術』は神殿の神官や司祭、聖女のみが使えるもので、神殿へ
の奉仕と引き替えに伝授されるものだ。また、その術は自己の為ではなく、誰か
を助ける為に使われる。タビーが大火傷を負った時にも、神殿から神官が来て治
癒を行った。
だが、聖術と言ってもその根源は魔力。
であれば、魔術師が治癒術を使う事もできるのではないか――――。
そんな仮説を得たタビーは、今、神殿にいる。
と言っても、聖女になる訳ではない。神殿で売られる護符の売り子をしている
のだ。
取りあえず神殿の中に知己を作り、休暇中に奉仕作業をし、あわよくば一番簡
単な治癒の聖術を教えて貰おう、というのがタビーの目的である。
長い夏期休暇の間、特別講座を取らずに1クプラにすらならない奉仕をしてい
るのはその為だ。
「ようこそお越しくださいました」
護符を購入した参拝者―――客と言ってはいけない―――にはそう言って護符
を手渡しする。前世の様に何種類ある訳でもなく、家に飾る大きいもの、身につ
ける小さいもの、服やローブに縫い付けられるもの、の3つだけだ。全て組紐の
様なもので作られている。大きい護符は更に薄い鉄板をつけ、幾重にも護符の文
様を刻んであった。
この中で一番出るのは服やローブに縫い付けるものだ。騎士や冒険者など、危
険が伴う仕事をする者、若しくはその家族に人気がある。手作りの護符故に売り
切れもあるが、神殿故か文句をつけてくる者はいない。
「はい、こちらでございますね」
護符を恭しく押し頂いてから、薄紙で包む。タビーは器用なので、この手の作
業は慣れたものだ。
「ようこそお越し下さいました」
包まれた護符を捧げる様に渡し、深く礼をする。購入した参拝者も礼をして受
け取るのが礼儀だ。
神殿の朝は早い。
夏の早い夜明けと共に開き、夕暮れと共に閉まる。タビーは朝から午後までを
任されていた。この時間帯であれば、奉仕作業後、学院に戻って訓練も出来る。
この奉仕作業はギルドでは斡旋されない。対価を必要とするギルドの仕組みで
は募集する意味がないのだ。神殿はあくまで慎ましい少年や少女が、無償奉仕す
ることを望んでいた。その為、休暇毎に神殿での『奉仕作業手伝い』の依頼が学
院に出されている。もちろん、人気は無い。
たかが金、されど金。
無償の奉仕等、鼻で笑い飛ばすタビーが敢えてこの奉仕作業に従事しているの
は、聖術とコネ作りの為だ。残念ながら、彼女に信仰心は殆ど無い。というより
前世が日本人であったせいか、神への畏怖という感覚が鈍いのだ。神の名は神官
長と司祭長しか知らない。他の者が口にすれば、例え王族であろうと罰が下ると
言われている。この世界の宗教は、タビーにしてみればあまり馴染まない一神教
だった。
とはいえ、わざわざ宗教を批判して騒動を起こすつもりはない。不信心という
よりは、宗教活動に熱心ではないのだ。
だが仕事であれば、話は別である。給金の出ない、奉仕作業だとしても、だ。
「護符の補充をお願いいたします」
護符売り場には、神官が一人ついていた。護符が少なくなれば補充をするし、
ほぼ無いが何か問題があったときに対応する。
聖女を模した白いローブは薄手の布で出来ているが少々暑い。浮かんだ汗を
神殿から貸与されている白い布で押さえる。奉仕作業中は、身につける全ての
ものが神殿から貸与されていた。下着までも、だ。
「タビー、お昼にいってらっしゃい」
護符の補充を終えた神官が、優しく微笑んだ。
「ありがとうございます」
仰々しいと思う位の礼を返し、タビーは売り場を出る。無償奉仕だがローブ
や服、食事は神殿持ちだ。彼女は朝と昼を神殿で摂っている。寮とは違いあっ
さり目の野菜や穀物、稀に肉か魚、という献立のせいか、少し痩せた気がした。
だが体力や筋力は落ちていないので、特に問題は無い。前よりすらりとして
見えるのか、同期生に『背が伸びた?』と聞かれるが、杖を見る限り、殆ど変
わっていないのだ。
神殿の食堂は、少し奥まった所にある。
食事中は音を極力立てない、という規律は面倒だが、味付けや量は丁度よい。
今日も隅っこで少しずつ食事を摂っていると、目の前に影がさした。
「失礼いたします」
神官だ。
頭は前世でいう所のスキンヘッド、目は伏せがちだが耳に刺青が入っている。
この世界で刺青を入れるのは、保護や防御の意味が強い。騎士達は胸や首に
聖術で刺青を入れている。
普段は見えず、攻撃や外部からの刺激を受けると浮かぶ、白粉彫りの様なも
のだ。前世では現実にありえないとされていたそれが、ここでは普通なのも、
違う世界だと実感させられる。
逆に、目の前の神官の様に目に見える形で入れるのは『魔除け』の意味が強
い。
どちらもかなり時間がかかる上、喜捨として納める金額も馬鹿にならないの
で、騎士団に入った者は何年かかけて入れていくという。
不思議な事に、神殿関係者も騎士達も刺青を誇示することがない。あくまで
護符の様なものだから、見せびらかすものではないという考えだ。
奉仕作業前に教えられた事を思い出しつつ、タビーは神官の耳にある刺青を
見た。魔除けにも種類がある。魔獣や魔人避けになるもの、魔術に耐性をつけ
るもの。いくつかのものは教えて貰えたが、目の前の神官の刺青は見た事のな
い文様だ。
(……輪と槍?そんな訳ないか、神官だし)
複雑なそれは、この距離ではなかなか見づらい。
(杖、かな。輪が二重で短剣……に見えるけど、何かの道具かな)
流石にじっと見つめる訳にはいかないので、ちらちらとみていると、やがて
神官が静かに立ち上がった。気づかれたかと思い、身を竦めつつ視線を上げる。
神官は、微笑んでいた。
座るときには伏せていた目は、深い灰色をしている。見つめられて動きが止
まったタビーに、彼は少しだけ頭を下げた。
その深い灰色は、どこかで見た様な気がする。
それがどこか、タビーには一向に思い出せなかった。
■
「ただいま帰りました」
寮の談話室に顔を出すと、何人かが振り向く。
「おかえり、タビー。どうよ、神殿は」
勧められた椅子に腰掛けた。
「あー、まぁ……」
騎士専攻の者達は縁起を担ぐ事が多い。服に縫い付ける護符もその一つだ。
不用意な発言は慎むべきだろう。
「ええと、今日は刺青をしている神官の方を見ましたよ」
「刺青かぁ」
刺青に対して、この大陸では前世ほどの忌避感はない。それはやはり魔除け
や保護の意味で入れるからだろう。不思議な事に、ならず者達は刺青を入れる
事はない。
「俺も金貯めなきゃなぁ」
「先輩も入れるんですか?」
「騎士団に入ったらな」
「そうだな、まぁまず入れるかどうかってとこか?」
「お前に言われたくねぇよ」
どっと笑い声が上がる。
「神官はもう超越している方々だからなぁ、いろいろと」
「そんな感じがします」
神殿にいる神官達は、誰も足音を立てる事は無い。常にゆったりと動いてお
り、忙しない風体を見せることもなかった。
「でも、神官や司祭の中にも、外を巡る方がいるんだぞ」
「そうなんですか?」
聞いた事がない。神官や司祭と聞けば、神殿に籠もって神に仕える印象が強
かった。
「聖女はあまり外に出ないらしいけど」
「ほら、地方の神殿に務める神官や司祭もいるだろ?ああいう人たちの中には
あちらこちら旅をする方もいるらしい」
「……伝道ってことでしょうか」
「よくわからん」
あっさりと言われて、タビーは苦笑した。
「きっと地方を回って、聖術を使ったりするんじゃないのか?」
「人々を癒す、という役目ですか」
「特に司祭には多いらしい」
神官と司祭の違いは誰も知らなかったが、いずれにしても一人で旅をする者
もいるという。騎士団はそんな司祭達から情報を得ることもあり、付き合いが
深いらしい。
「まぁ、あそこまで清廉潔白な生き方をされるとなぁ。こう、自然に頭が下が
るというか」
「え?この前聖女に見とれてたヤツは誰だよ」
「うるせぇ!」
また笑い声が上がった。騎士寮は気取った所がなく、こういう点は気楽だ。
押しつけがましい事も、貴族だ下賤の者だという事もない。
「あ、タビー。戻っていたんだ」
ひょいと談話室に顔を出したライナーが後ろを親指で示す。
「フリッツが探して……」
「!」
タビーは慌てて立ち上がる。
「ど、どっちに?」
「訓練場」
「ありがとうございます!」
彼女が寮にいるかいないかは、直ぐ判る。鍵が外についていればいないし、
ついていなければいるのだ。神殿から帰って部屋には戻っていなかったから
フリッツはタビーが訓練場にいる、と考えたのだろう。
「出かけてきます!」
寮内にいたら、間違いなく見つかる。
幸い荷物は殆ど無い。お金はエルトの袋に入っている。ギルドの資料室な
ら判らないだろう。
「はいはい、気をつけて」
「いってきます」
まるでつむじ風の様に去って行くタビーを見送って、寮生達は顔を見合わ
せる。
フリッツからラーラへの手紙配達は、寮内でも有名である。その代行者が
タビーだということも。
「あいつも大変だな……」
だが、誰も彼女に代わってやろうとは思わなかった。




