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杖の冷たさは、寮に戻っても変わらなかった。
待ちかねた様に出迎えたのは、フリッツ。わざわざ飛び出してきた彼の右手に
は、いつもと同じく封筒がある。
「今日の手紙は久々に傑作だと思うんだ」
後輩の杖の出来よりも、自分のこと優先。そんなフリッツにどことなくほっと
する。
「それでね、手紙なんだけど、太陽の光に透かすと……」
金属質の杖を見ても彼の態度は変わらない。教官達の言葉が夢の様に思えてく
る。
「それで、明日の朝一番に渡して欲しいんだ。あ、今日の分はこっち」
どこから出したのか、もう一通手紙が出てきた。同じ様な色に見えるが、何が
違うのだろう。
「こっちが今日だよ、これは明日の朝一。食事の前ね。絶対だよ」
大事な事なんだ、と力説するフリッツはどんな杖を持っているのだろう。手紙
を受け取りつつ、ふと聞いてみる。
「ああ、普通だよ」
ローブの下を探って出て来た杖は指揮棒よりやや長め、教官長の杖と同じ位に
見えた。
「普通で……」
言いかけて、杖の根元に散らばる模様に気づく。
きらきらと光るそれは――――。
「あ、ここ?これは何か金属が入ってるみたいだけど」
――――金属質の杖を持つ者は、不出来か奇才――――
全て金属質ではないが、フリッツは恐らく後者だろう。奇才、彼にぴったりで
はないか。
「どうせ教官達に、金属の杖は出来損ないとか言われたんでしょ」
「そこまで酷くは……」
「同じことだよ。でも僕は首席だし、タビーは首席を目指すんじゃないの?」
「いや、首席を目指すというよりは特待生をまず……」
「うちなんか、出来損ないでよかったとか言われたけどね」
指先でくるりと杖を回してしまい込んだフリッツの言葉に、タビーは目を丸く
した。
「だ、誰にですか?」
「父親」
フリッツの父親は男爵で貴族だ。それなのに、出来損ないでいいのだろうか。
「ともかく、これは今日、こっちは明日朝一番。覚えた?」
「こ、こっちが今日、これは明日朝ですね?」
彼が頷いたのを確認して、明日用の手紙をエルトの袋へ入れる。今日の分は
さっさと渡した方がいいだろう。
「あ、先輩」
さっさとラーラの訓練を見に行こうとしたフリッツを、タビーは呼び止める。
「なに?」
「杖って、その、冷たいとか熱いとかそんな感覚は……魔術を使ったらそうな
るとかありますか?」
「聞いたことない。少なくとも僕の杖はそうならない」
フリッツは首を傾げてからタビーを見る。
「ということは、タビーの杖は何かしらあるんだね。よかったじゃない、他と
違って」
「はぁ」
「他と違えば、考えることも研究することも増える。あれだよ『深淵の縁に集
う者』?それに相応しい杖じゃないか」
教官長の言葉を真似して見せたフリッツは、からからと笑って去って行く。
杖は、変わらず冷たかった。
■
今年の魔術応用課程の選考は、比較的多くの合格者を出したらしい。
例年より一つ多い組分けになるという。
基本的に成績順だが、一番上の組に入れなかった貴族だけで一組作るのでは
ないか、というもっぱらの噂だ。
トビアス派の同期生達も杖を作り出せたらしい。次の日、杖を見せびらかし
ていたのを教室で見かけた。
タビーは長めの杖だから、持ち歩いていない。来年度になれば常時携行にな
るから、それまでに冷たさ対策を考えないといけないだろう。
教官室の前には魔術応用課程の合格者名が貼り出され、残念ながら杖を生み
出せなかった者達は、他の課程へと志望を変更することになる。
貴族だから、庶民だから杖を生み出せない、ということはない様だ。となる
と魔術の素養は先天的なものなのだろうか。自分の両親にはそれがあったとい
うことなのか――――。
「タビー」
声を掛けられて、顔を上げる。
「合格おめでとう」
ヒューゴだった。少し驚きつつも、タビーは礼を言う。
「共同実習では、一緒になるかもしれないな」
「ええと、騎士専攻課程希望だったよね?」
「ああ」
一年近く共に過ごしているが、何と呼んだものか判らない。ヒューゴ君なの
かヒューゴさんなのか、ギルベルト君なのか。
同期生達はヒューゴと呼んでいるが、流石にそこまでの勇気はない。
「専攻は違うけど、お互いに頑張ろう」
「そうだな」
珍しくタビーから言い出した言葉に、彼は驚きつつも頷く。
「他のみんなも騎士課程だ。うちの組からは、財政に進むのは案外少ない様だ
な」
「そうなの?」
成績上位者であれば、騎士や魔術師よりも官吏を目指すだろう、と思ったが
そう簡単なものでもないらしい。貴族は家の事もあるのだろう。
「トビアスと、あと2人位だったと思う」
気遣いつつ口にしたヒューゴに、彼女は頷く。
この一年、決闘やら襲撃者騒動やらで大変だった。襲撃者の件は証拠が無い
が、騎士団の調査ではかなり著名な冒険者だと判明している。もっとも、盗賊
行為や暗殺も手がける、後ろ暗い所のある者だったが。そんな人物に襲撃を依
頼するには相当の金が動く。となると、今のところ可能性が一番高いのはトビ
アスかその一派なのだ。
タビーを助けた男が討ち取ったらしく、その後首を吊られた状態で王都の壁
に下げられた。討ち取られた段階で命は無かったが、わざわざ首を吊ったのは
見せしめの為である。タビーは怖くて、見に行かなかった。
だが襲撃者の後は比較的平穏に過ごせたと思う。ヒューゴ達は表立ってでは
なかったが、タビーを気に掛けてくれたのだ。いつ、どこにいても誰かが見て
いたり、話はしなくても同じ場所にいてくれた。
それが、どれだけ心強かったか。
「……あの」
「ん?」
「その、一年間ありがとう」
ヒューゴは少し当惑した様な表情をし、その後首を横に振る。
「そんなことはない」
「うん、そうかも。でも私がお礼を言いたかっただけだから」
タビーは躊躇いがちに手を差し出した。
「ありがとう。来年以降も、頑張ろう」
いつの間にか、教室が静まりかえっていた。
同期生の面々がヒューゴと自分のやりとりを注視しているのを感じ、タビー
は顔を赤くする。
「……こちらこそ、ありがとう」
ヒューゴも顔をやや赤くして、タビーの手を握った。暖かい。
思い出す――――前世を。
家族には恵まれなかったけれど、前世の彼女には友人達がいた。多くはない
がお互いを思いやり、側にいなくても心を添わせる事のできる、大切な友人達
が。
もしかしたら、ヒューゴともそういう関係を築けるかもしれない。
友人になれなくても、同期として、卒業しても魔術師として力になれるかも
しれない。
ヒューゴの手を強く握って、タビーは精一杯微笑んだ。




