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頭を下げたタビーの前に、少女達はいた。
場所は、救護室。昨日倒れた少女達も含め、今日はここで過ごしたらしい。
一日経過して、少しは落ち着いたのだろう。
だが、どこかやつれた表情にタビーの胸は痛む。
「……」
少女達は動かない。
タビーも動かない。
「あの……」
「はい」
「あの、顔を上げてくださいな」
何回か促され、ようやくタビーは顔を上げる。
「……」
倒れたうちの一人が、静かに前に進み出た。
その細い指がゆっくりとタビーに伸ばされる。
ひんやりとした指先は、彼女の頬を辿った。ゆっくり動き、そして髪の毛へ
と動いていく。
「……私としたことが」
呟いた少女は恥ずかしげに顔を赤らめた。
「よく見れば、わかったことですのに」
夕暮れの資料室とはいえ、暗い訳ではない。
「いえ、私が軽率でした。大変申し訳ございません」
タビーは今一度頭を下げる。指先がするりと離れた。
「大事にしてしまったのは、私たちですもの」
「もともと資料室前に像があったのがおかしかったのですから」
「ええ、その段階で教官をお呼びすれば良かったのに」
少女達は口々にそう告げる。
糾弾される事を覚悟していたタビーは、拍子抜けした様に顔を上げた。
彼女達は、貴族もしくは裕福な家庭の子女のみが行ける、教養専攻課程だとい
う。自分が知っている貴族とは余りに違い、タビーは戸惑った。
「私のお祖母様も同じ様な色でしたわ」
もう一人の倒れた少女も、タビーの頭に手を伸ばす。
「とてもきれいな色ね」
微笑まれて、タビーは気が抜けた。とにかく謝罪を、と、気負っていたせいか
戸惑いしかない。
「ありがとうございます……?」
どう返していいか判らないタビーの言葉に、少女達はころころと笑った。
「不幸な偶然だったのよ」
頭を何度も撫でられて、彼女はどうしていいか判らなくなってくる。
「気に病むことは無いわ」
少女達は顔を見合わせ頷くと、にっこりと微笑んだ。
■
貴族のことは、貴族に聞け。
寮に戻ったタビーがまず探したのはフリッツだった。
今日はラーラが早めに戻っていたせいか、談話室でのんびりとお茶を飲んでい
た彼を、裏庭に引っ張り出す。
「どうしたの」
「教えて欲しいことがあります」
「ああ」
そう言うと、彼はにんまりと笑った。この笑みが曲者だが、背に腹はかえられ
ない。
「で、どこから知りたい?」
「先輩の知ってることを全部です」
「お、随分大きくでたね」
フリッツは腕を組んで柵にもたれ掛かる。
「僕にとって、何か得るものはあるの?」
「ありません」
タビーは即答した。彼女の持ち物で貴重なもの、と言えば現金だけだったし、
年長の彼に勉強を教える事などできない。ラーラへのお使いは今までもやってい
たから、今更だろう。
「ふうん」
フリッツは気分を害した風もなく、腕を組む。
「ラーラの髪……」
「出世払いでお願いします」
今は基礎課程のタビーだが、来年以降は専門課程に進む。そうなれば、王都外
への採集手伝いや魔術研究の補助もできるだろう。
決して、彼の要求を聞くつもりが無いわけでは無い。
「タビー、出世するの?」
「うっ」
にやにやしたフリッツに、タビーは口ごもる。
「し、します」
一度命を助けて貰っているのだ、少し借りが増えても変わらない。
「うん、じゃ出世払いにしてあげよう」
僕も楽しかったし、という呟きの意味は理解できなかったが、タビーは頭を下げ
る。
「ありがとうございます」
「んー、どこから話そうかな」
腕を組み、柵に寄りかかったままフリッツは昏くなってきた空を見上げた。
「凄く単純な話なんだよね。君に負けた伯爵家の御曹司と、君に怪我をさせた、こ
れまた伯爵家の御曹司が手を組んだ」
「……」
やはり、トビアス・ディターレが関わっていた、とタビーは唇を噛む。
「トビアス・ディターレは無茶な決闘を仕掛けたということで、コルネリウス・ブ
ルームは、君に怪我をさせたせいで、それぞれの伯爵から相当絞られたらしい」
救護室を出る時に、取り巻きを連れて現れた貴族を思い出す。
「で、コルネリウスの取り巻きが魔術を使ってタビーを閉じ込めた、ってこと」
「……」
「今回の事で、教官から説明あったでしょ?何て言ってた?」
「嫉妬だと」
「うん、正解だね」
フリッツはまたにんまりと笑う。
「僕の様な男爵家くらいだと、それほど見栄も張らないし、気楽なんだけどね」
伯爵ともなれば違う、と彼は続ける。
「常に勝て、と言われているから。たとえば、ヒューゴに負けても彼は貴族だから
まだ我慢できる。だが君は?庶民だし裕福でもない」
「……」
「なのに、教養も試験も全てに於いて君に負けている。総合首席を取れるというこ
とは、逆に言えば貴族並みの素養を持つということだ」
「同じ、人であってもですか」
「同じ人ではないよ。体のつくりは同じかもしれないが、貴族と庶民は違う」
タビーの血の気がすっと引いた。変態だと思ってはいたが、フリッツならそんな
考えをしないだろう、とどこかで信じていたのだろう。
甘い。
自分の甘さに吐き気がする。だがタビーは拳を握りしめる事で耐えた。
「勝てない相手にどうすればいいか。気に入らない相手には?嫌がらせはいくらで
も思いつくんだよ、貴族だから」
根っこが腐ってるからね、と続けたフリッツは、いつもと違いくねくねしていな
い。
「そうでない貴族もいる。だけど貴族というのは基本的に体面を気にするから」
「先輩も……そう思っているんですか」
「思ってはいないよ。思ってたらここにいない」
騎士寮に移動してくるまで、フリッツは貴族寮にいたのだ。
「ただ、貴族のそういう考えは興味深いよ」
「興味……?」
「僕はね、タビー」
彼は腕組みを解くと、柵に腕をのせる。
「貴族が好きじゃないんだよ、自分も貴族の癖にね。貴族の恩恵を受けておきなが
ら貴族が嫌いだなんて、矛盾にも程がある」
フリッツは自嘲した。今まで見た事の無い、何処か乾ききった笑みだ。
「タビー」
「はい」
「強かになるんだ」
「え?」
唐突な言葉に、彼女は目を丸くする。
「貴族なんか、利用するだけ利用すれば良い。君がどんな道を歩むか判らないけど
貴族に怯える必要はない。しがらみと体面に縛られている連中だ。せいぜい踏み台
にすればいいんだ……僕も含めて」
「先輩……」
「君のその気性、こう、なるべく物事を荒立てないでいようとする所は美点でもあ
り、どうしようもない欠点でもある。強かに、図々しく、貴族など手の上で転がし
てしまえばいい。多分、君になら出来る。そして、だからこそ僕は君に興味がある
んだ。貴族として、学院生として」
そこまで言い切った後、フリッツは笑う。もう、いつもの彼だ。くねくねしてい
て、変態的な内容であろう手紙を押しつけてくる上級生。
「怪我をさせられたこと、決闘と今回のこと。君は意図していないだろうけど、首
謀者達には相当の痛手だよ」
「よく、判りません」
「魔術の制御を誤り、庶民とはいえ同じ学院生に重傷を負わせた」
フリッツは右手を前に出して、指を折る。
「基礎課程で総合首席の座も取れず、決闘を違う相手に申し入れ、引き下がるべき
決闘を闘い、負けた。しかも相手は少女」
もう1本。
「そんな君に嫌がらせをしたら、第三者を巻き込んで大騒ぎになった」
完璧だ、とフリッツはくねくねしたまま笑う。
「基礎課程の段階で庶民相手に負けるなんて、普通はありえない。というより、進
路に充分響くよ。確かトビアスは騎士専攻志望だったけど、伯爵が許さないだろう
ね。財政の方へ行くと思う」
「魔術応用ではなく?」
「え、魔術応用には君がいるでしょ?」
学院で同じ相手に負けたまま、というのは貴族の誇りとやらが許さないだろう、
とフリッツは告げた。
「でも、財政には官吏になりたい優秀な人が多いから。財政だと彼は今の位置を守
れないんじゃないかな」
体面に拘るからそうなる、と続けたフリッツはけらけらと笑った。
「貴族の不幸は蜜の味」
「それは……」
同意するには少々勇気がいる。むしろ、貴族の彼だからこそ言えるとタビーは感
じた。
「ま、そのうち結果は出てくるから」
「結果、ですか」
「今回の件、教官連中は口止めしてきたんでしょ?」
少し躊躇った後、彼女は頷く。
「だったら大丈夫」
「そう、ですか」
これ以上得られる情報はないだろう、タビーはそう判断して頭を下げる。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
くねくねとしたフリッツは、手をひらひらさせた。
タビーはそんな彼に背を向け、寮に向かう。
「ねぇ」
呼びかけられて、彼女は足を止めた。
「僕に、失望したでしょう」
どこか面白がる様な声音に、タビーは慌てて振り向く。だが、フリッツは変わら
ず笑っていた。
「……」
返事をしようとして、タビーはそれを果たせない。
初めてフリッツを、貴族を怖いと思った。




