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今年の特待生は、タビー以外皆貴族だ。
ということは、特待生でなくとも学院に通い続けられるという事と同じである。
最も貴族は貴族で、一度特待生になったものを取り消されるのは我慢ならな
いだろうし、彼女の競争相手であることには変わりは無い。
だからこそ、月末の試験に向けて勉強をしたいと思うのだが――――。
「これ、お願いできないかなぁ」
言葉尻は穏やかに聞こえるが、タビーに拒絶する権利はない。目の前にいる相
手は先輩である。騎士寮では全員呼び捨てであっても寮の外ではそうではない。
おまけに相手が貴族であれば、逆らうだけ無駄だ。
「はぁ……あの、先輩」
「ん?なに?」
どこかくねくねとした様な仕草の男は、入学式が終わった直後からタビーに目
を付けていたと自ら公言していた。次の日にわざわざ教室まで来た位だから、そ
れは真実なのだろう。
――――真実なのだろう、が。
「その、私も色々ありまして……」
断るのは難しいが、なんとか回避したい。
「わかるよ、タビーも女の子だもんね。でも僕はダメだよ」
「いや、そうではなく」
言葉というのは難しい。前世であれば、こんな風に遠回しの拒否で察してくれ
ただろうが、ここは違う。
「ああ、そうなの?じゃ、誰かな。アロイス……とかじゃないよね、僕に頼らな
くてもいいもんねぇ」
「はぁ……」
そっと周囲を見回す。同級生達が同情の眼差しを投げかけてくるのが微妙に辛
かった。
「貴族?多分、遊ばれるだけだからお勧めしないけど」
目の前の男はやはりくねくねしている。
「クルト?エーミール?子爵家以上だと庶民には難しいんだよね」
それらの名前に聞き覚えはまったく無いが、誤解を解くよりも逃げたい。
「あの、先輩……」
「フリッツで良いんだよ、ほら、うちはええと……成金だから」
「……成り上がり、かと」
「ああ、そうそう」
目の前のくねくねした男は貴族だ。聞いた話では男爵だが、祖父が大功を上げ
たということで男爵に任じられたという。
これで言動通り中味もすかすかだったらいいのだが、残念なことにフリッツは
魔術応用課程1年目の首席で特待生だ。
その首席様が3日と開けずタビーに会いに来るのは、ただひとつ。
「ラーラって、いいよね」
目つきがうっとりしだした。これが始まると長い。
「あ、あの、フリッツ先輩。私、教官に質問があって」
嘘をつくなら、つきとおすべき。
タビーが聞きたいことは無いが、逃げられたら適当な問題を見つけて教官室へ
行こうと心の中で決める。
「あとで見てあげるよ」
「いえ、先輩に時間をかけて頂くには……」
「大丈夫。それでね、ラーラって……本当はクラーラって呼びたいんだけど」
騎士寮の先輩であるラーラの本名はクラーラだ。
「そう呼んでいいかだけでもいいか、返事が欲しいなぁ、って」
返事が欲しかったのか、と驚く。いつも一方的に押しつけてくるだけだったか
ら、いらないものだと思っていた。
そう、タビーは伝書鳩の様なものなのだ。
目の前の男から毎回押しつけられるのは、厚みのある手紙。
それをラーラに渡して欲しいというのが、フリッツの希望である。
「ラーラの筋肉って、凄くいいんだ」
うっとりした眼差しが強くなってきた。同級生達は勉強道具をまとめてそそく
さと出て行く。
「いつも汗だくで訓練しててね」
それはそうだろう、騎士志望なら体力も必要である、とは言わない。
「背中に貼り付いた服から、綺麗な肩甲骨が透けて見えるんだ」
前は防具でもある胸当てをしているが、背中はベルトで押さえてあるだけだ。
確かに汗をかけば、服が貼り付くだろうが。
「僕は、それを見ると幸せになれるんだ」
変態。
それ以外の言葉が浮かばない。
中味はともかく10歳の後輩に語ることではないだろう。
「もう、授業なんかどうでもいいくらいで」
自分の授業を放棄して、騎士専攻課程の授業を物陰からじっと見ているという
噂はどうやら本当らしい。
「年も1つしか違わないし、僕に兄弟はいないから問題ないし」
頭痛がしてきた。
ラーラからは『相手にせず断っていい』と言われているが、周囲に味方がいな
い今、下手な言動は自分の首を絞める。
テスト前の勉強をするために教室に残っていた筈の同級生達は、誰一人として
いなくなっていた。
それもこれも、目の前の男の言動が理由である。
「それでね、まずは名前から呼びたいんだけど」
ようやく話が戻ってきた。ここを逃してはならない。
「わ、わかりました。ラーラ先輩に渡しますね」
授業が終わった後の静かな教室で、男女が向かい合っている。
手紙を差し出す男子と、受け取る女子。
傍目から見たら、告白にも見えるだろうが、実際は変態が溢れる想いを綴った
手紙を、渡す様に言付かっているだけだ。
「うん、名前の事だけでも返事が欲しい、って伝えてくれるかな?」
「わ、わかりました」
手紙を受け取る。今日はいつも以上に重かった。
この手紙の行方を想像するだけで、頭が痛くなる。
「ふふ、ありがとう、タビー。君はいい子だね」
そう言って頭を撫でられた。寒気が走ったのは気のせいではない。
「兄弟がいなかった事は別にいいんだけど、タビーみたいな妹だったら欲しかっ
たなぁ」
変態の兄はいりません、と口に出せればまだいいのだろうが、成り上がりでも
貴族は貴族。余計な一言は命を縮めかねない。
「じゃ、お礼に勉強を見てあげる。質問は、どれかな」
「いえ、教官に……」
「試験前だと、皆忙しいよ。大丈夫、頭の出来は悪くないから」
それは知っている、と言えない自分が憎い。
空いてる席に腰掛けたフリッツは、タビーを促す。
「実技はないよね。何がわからない?」
「……」
断れない。断るとまた面倒なことが発生しそうな気がする。
「ええと、では、魔術理論を……」
今のところ判らない所はないが、腹をくくった。この際、復習を兼ねて教えて
もらおうと考え、タビーも座る。
「範囲はどこかな」
座ってもどこかくねくねしている先輩に溜息をつき、タビーは教本を差し出し
た。




