1.ハネスト男爵家の危機
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「はぁ……。うちはもうおしまいだ……。ご先祖様に合わせる顔がない……」
ハネスト男爵家の応接室に暗い声が響き渡っていた。
真っ青な顔で頭を抱えているのは、この家の当主であるマルク・ハネスト男爵だ。
絵に描いたようなお人好しで、困っている人を見捨てられない優しい男なのだが今回はその優しさが最悪の形で裏目に出てしまった。
「もー。そこまで落ち込まないでよ、父さん。抜け毛が増えちゃうよ?」
ソファーに腰掛け、欠けたティーカップで白湯をすすりながらマルクに声を掛けたのはマルクの長男・ラキだった。
ラキは世間一般の“没落寸前の危機に直面する貴族の令息”というイメージからは程遠い雰囲気をまとっていた。
蜂蜜色の柔らかな髪に、吸い込まれそうな美しい新緑の瞳。
すれ違う誰もが思わず振り返るほどの美貌の持ち主だった。
それもそのはず。
ラキは十数年前に他界した“社交界の魔性の女”と謳われた母親の美しい容姿を完璧に受け継いでいた。
性格は驚くほどポジティブで、どれほど困難な状況に陥っても「まぁ、別に死ぬわけじゃないし、なんとかなるさ!」と切り抜けてきた鋼のメンタルの持ち主でもあった。
「僕の抜け毛なんてどうでもいいよ! 今度こそなんとかならないんだよ、ラキ……! まさか長年の友人であるあいつが僕を騙すだなんて……。ハネスト男爵家の全財産だけでなく、家名もこの邸宅もすべて借金の担保になってしまってるんだ……。一週間もしない内に僕たちは路頭に迷うことになる……!」
「あらら」
マルクは涙目で訴える。
本来であれば、ラキは“没落気味のハネスト男爵家を救ってくれる素晴らしい婚約者(資産のある令嬢)”を探している真っ最中だった。
しかし、多額の借金が世間に知れ渡れば、婚約どころの話ではない。
借金まみれの男爵家と縁を結びたがる物好きな貴族など、どこを探してもいるはずがなかった。
「うーん……確かに同年代の令嬢との婚約は絶望的だね。俺が令嬢の立場でも借金持ちの令息なんてお断りだし」
「ううっ、やっぱりそうだよね……。僕のせいで君の未来まで……っ」
「待って待って。話は最後まで聞いてってば」
ラキは泣き崩れる父親を宥める。
その瞳には諦めや悲壮感などは微塵も浮かんでいない。
むしろ、新しいおもちゃを見つけた子どものようにキラキラと輝いていた。
「普通の婚約が無理なら、普通じゃない方法を考えればいいだけだよ」
「普通じゃない方法……? まさか、夜逃げしようってことかい!?」
「違うよ。俺のこの顔、何のためにあると思う?」
ラキは自分の綺麗な顔に人差し指をあてて、ふふんと笑った。
どこからどう見ても、非の打ち所がない美少年である。
「同年代の令嬢は無理でもさ。俺と年が離れた未亡人とか訳有りマダムなら需要があるんじゃないかな?」
「えっ、わ、訳有りマダム……?」
「うん。貴族の秩序やら世間体のために再婚しなきゃいけないマダムとか探せばいるでしょ。未婚とか同年代の令嬢とかを探そうとするからダメなんだよ。正式な借金返済についての特約を結んだ上で、俺が見返りにそのマダムの再婚相手になるんだ。あっ、ハネスト男爵家の借金を一括で立て替えてもらうのが条件でね。俺のこの美貌があれば、喜んでお金を出してくれるマダムの一人や二人、すぐに見つかると思うんだよね!」
ラキは自信満々にこれ以上ないほどのドヤ顔を決めた。
「な、何を言い出すんだラキ! いくら路頭に迷うからって君を売るような真似ができるわけないだろう!」
「売るだなんて人聞きが悪いなぁ。これは立派な“お互いの需要と供給が一致した契約結婚”だよ。ハネスト男爵家がこのまま廃爵になるより、俺がどこかのマダムの再婚相手になって可愛がられて暮らす方がよっぽど建設的でしょ?」
ラキはあっけらかんと言ってのける。
「よーし、善は急げだ。早速、俺の価値を分かってくれそうな訳有りマダムのリストアップしよう。まずは、この前夜会で俺のことを『あら、なんて可愛らしい坊やなのかしら!』ってめっちゃ褒めてくれたあの伯爵夫人のところへ行って―――……」
「待ちなさい、ラキ! 冷静になってくれ!」
マルクが慌てて引き留めるが、ラキは実行に移る。
ハネスト男爵家の運命はラキに委ねられた。
だが、事態はラキの想像を遥かに超えて、全く予期せぬ方向へと動き出そうとしていたのである。
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