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一万一回目の朝、反乱軍将軍は私の情報に呼吸を止めた

愛すれば死ぬ。それが私と彼の、一万回続く呪い。

 第一万一回目の朝、完璧な死の設計図を私は引く。


 愛した瞬間に、私か彼、どちらかが死ぬ。一万回続いてきた、私たちの契約だ。一万回、私は死ぬ側を引いてきた。設計図の引き方に狂いはない——はずだった。


 ただし今世、設計図の欄外に、彼の側からの誤差が、書き込まれ始めている。


 没落した貴族の屋敷跡、崩れた礼拝堂の窓から差し込む光を、私は指先で受け止める。鉄と硝煙と、春先の湿った土の匂い。どこか遠くで、銃声が響いた。革命前夜だ。このような舞台は、一万回の転生で数えるほど。ただし死の近い季節感は、どの世にも共通する。気温と風向きだけで、季節の位相と、戦機の距離が読める。暦は、私の魂に刻まれている。


 目を開けた瞬間、指先、足の裏、喉の奥、最後に鎖骨の裏を確認する。肉体の検収、毎朝の手順だ。器には前の持ち主の残留データが、薄い膜のように残っている。絶望と未練と、消え残った体温の気配。私はそれを一つずつ帳簿から落としていく。情は移さない。この器の前の持ち主の魂は、すでに、アズラエルの管轄外だ。


 器には器の記憶もある。指は手紙を書くのが速い。ペンを握らせれば、私の前世では使わなかったはずの筆跡で文字が流れる。肉体固有の癖は消せない。私は癖ごと受け取り、癖ごと使いこなす。それが検収の最終工程だ。


 検収が終わるのと同時に、意識の片方が乖離する。


 ——呼ばれている。


 星の海のような虚無が短く開く。狭間の空間。アズラエルの声だけが、無機質に響く。


「今世の器、外傷なき沈黙の範疇。規定通り。自死の禁則を復唱せよ」


「自死は魂の放棄、契約即時破棄、両者消滅。逃げ道はない」


「承認。稼働許容、七十二時間を上限とする。情動の熾火おきびの計測を始める」


 接続は切れる。私は現世に戻り、礼拝堂の冷たい石床に両足をつける。


 契約は二つの法則で出来ている。ひとつ——愛が最高潮に達した瞬間に、一方が死ぬこと。死の際に放出される情動の熾火が、私たちを次の生へと押し出す。ふたつ——自死の禁止。たった二行で、私の生は運用されている。


 最初にこの二行を受け取った時、私は泣きも笑いもしなかった。笑えるほど余裕が無く、泣けるほど希望が無かったからだ。以来、涙腺と頬の筋肉は、別の用途に割り当ててある。泣く代わりに数え、笑う代わりに測る。感情は、熾火として回収するぶんには便利だ。ただし設計図を引くとき、それは、定規を持つ手を震わせる。


「悲劇ではない。ミッションだ」


 自分に言い聞かせるように呟く。左鎖骨のあたりが、少しだけ熱を持っている。鏡の破片を覗くと、白銀の薄荷が浮かんでいた。葉脈の一筋まで前世と寸分違わず同じ形。魂の識標。肉体が何度入れ替わっても、この紋章だけは消えない。


「残熾火、わずか。観測記録、第一万一世・初日」


 誰にでもなく、空気にだけ向けて、私は呟く。熾火回収。完璧な死の設計。私にとって「死」は、敗北ではない。次世への投資であり、ミッションの完遂だ。


 一万回の観測で、私は一つの結論を得ている。彼は、記憶を持たない。毎回、ゼロから始まる。だから毎回、ゼロから『気づかせる』のが私の仕事になる。今回の手札は、情報優位性。革命型の舞台は数世で歩いてきた。戦乱の機微も、軍略の骨も、器は毎世違えど、魂の側に染み込んでいる。三手先の計算は、もう終わっている。


 屋敷に散らばった、この器の父が潜伏のために描き残した地図を襟の内側に畳み込む。反乱軍が欲しがる情報の断片が、すべてここに揃っている。皮肉と言うべきか、設計通りと言うべきか。


 礼拝堂の扉に手をかけて、私は一度だけ振り返る。この屋敷で過ごした時間は、もう記録から落とした。情は残さない。設計図に感傷は要らない。


 ——あとは、彼の懐に入ることだ。


   *   *   *


 屋敷から野営地まで、徒歩二時間。革命前夜の森は、静かすぎる。鳥の声が欠けている。兵士たちが林道に潜んでいるからだ。足音、呼吸、金属の擦れる音——私は風の流れと同期させて読む。どの方向に何人いるかは、森に入った三分で把握し終えた。一万回の記憶は、聴覚の解像度を限界まで引き上げている。


 森の縁で、前哨の兵が二人現れる。若い、まだ二十歳前。銃口はぶれている。初陣の兵が、定石通りに怯えている。


「止まれ。名乗れ」


「名乗りは意味を持たない。あなた方の西側哨戒網が、今朝二時の交替で二十七分間抜けた。王都守備隊の斥候は、その間に森の南縁に三人、すでに入っている」


 二人の顔色が変わる。数分後、通行の許可が下りた。情報優位性の、最初の実演。




 野営地中央、指揮幕の前。彼は地図を広げていた。


 若い将軍。三十を越えていない、黒髪、目の奥に光を溜めた男。剣は腰に差したまま、抜かない。私の指先、襟元、足の位置の三点を順に走査する。有能な指揮官の動線は、私の観察と、よく似ている。


「話は聞いた。だが、お前の口からも聞きたい」


 声は低く、落ち着いている。敵意は表に出ていない。有能な指揮官の条件だ。——一万回、この声を聴いてきた。毎回、少しずつ違う身体から、同じ魂が同じ抑揚で発する声を。


 私は名乗らない。ただ、広げられた地図の王都東門の一点を指で示した。


「あなたの東門作戦は、七十二時間後に全滅する」


 将軍の肩が、一瞬だけ固くなる。副官が息を呑む音。


「続けろ」


「補給路の第三区画、商人ゴルヴァス——王都に内通している。情報は、最短六時間で敵側に届く。王都守備隊のローテーションは偶数日の午前三時と午後五時に交替、その谷間が東門警備の最薄点。——ここまではあなた方も知っているかもしれない。知らないのはこの先」


 地図の裏、余白の空間を指差す。——ゴルヴァスの顔は、これで三度目だ。


「旧体制の忠臣、伯爵家の私兵が、革命発生時の復古戦力として、東門の地下聖堂に百五十人伏せている。あなた方が東門を抜いた瞬間、背後から挟撃される。七十二時間後、あなた方の一番隊は全員、石畳の上に倒れる」


 将軍の呼吸が、止まる。一拍だけ。


「——地下聖堂、か」


 彼の声には、既に半信が混ざっていた。気づきかけていた。しかし確信が持てなかった。私の言葉が、それを確信に変えた。


「百五十人、か。具体的だな」


「具体性は証拠」


 彼は薄く笑った。戦場の人間特有の、刃を研ぐような笑い方。——「この情報は使える」と判断した時の反応を、私は一万回、器を変えながら観測してきた。彼の魂の、癖だ。


「……その情報の出所はどこだ」


 私は答えない。答えないことで、答えている。出所を問うこと自体が、敗北の認めに近い。


 将軍もそれを理解した。副官に視線をやり、副官が外に駆け出す。伯爵家私兵の伏兵確認に走ったのだ。これで、私の言葉が半分、証明される。残り半分の証明は、私がこの幕の中にいる間に、彼自身の頭の中で完成する。


「で、お前は何をしに来た」


「修正案を差し出しに」


 私は懐から折り畳んだ紙を取り出す。屋敷跡で描いてきた、東門作戦の差し替え設計図。彼に渡すために、指を伸ばす。


 彼の指が、それを受け取るために伸びる。爪は短く切られ、剣胼胝の位置が前世と完全に一致していた。——観測、継続。


 紙の端が、彼の指先に触れる。


 ——小指が、触れた。


 一瞬。ほんの一瞬。互いの視線が絡む。将軍の瞳の奥で、何かが波紋を描く。既視感。彼には説明のつかない、しかし確かにある、体の芯が覚えている感触。


 波紋は、私の指先にも、届いていた。——記すか否か、今だけは、判断を、保留する。


 彼は小指を、すぐには離さなかった。離せなかった、の方が正確かもしれない。紙を挟んだまま、彼の指先は私の指先と、紙一枚の距離で止まっている。


 彼の呼吸が、止まる。


 ——一万一回目。私だけが数えている。


 数える側の、私の指先に、彼の熱が、まだ、残っていた。

 一万回、こんな熱は、なかった。

小指が触れた瞬間、彼は呼吸を止めた。既視感の正体を、彼はまだ知らない――私だけが、それが一万一回目だと数えている。

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